取調室に、三人 後編

「どこをどう聞いたら自分が犯人じゃないって言えるんだよ。言っただろ。全ての証拠がお前を犯人だと示しているんだ。くだらねえ言い訳するんじゃねえ!」

 梶倉の怒声を、楯川は涼しい顔で聞き流した。

「横山さん。警察というのは裏取りと呼ばれる情報の真偽を確かめる行為をするのではなかったのですか?」

「ええ。するわよ」

「今回の事件に関しては?」

「裏取り中よ。取り調べと並行して行っているわ」

「なるほど。まだ途中なんですね。では仕方ないかもしれません」

「まるで、裏取りが進めば自分が犯人でないことが証明されるとでも言いたげだな」

 梶倉が噛みついた。

「ええ。多分。証明されると思います。日本の警察は優秀なので。ただし、盲目になっていなければ、の話ですが」

「お前、俺が節穴だと言いたいのか?」

「節穴ではなく、盲目です」

「どう違う」

「使い方です。盲目という言葉の前につける言葉にどんなものがあるか、わかります?」

 尋ねられ、梶倉は言葉に詰まった。心のどこかに、否定できない自分がいた。

「もしかして、恋、とか?」

 代わりに横山が答えた。

「ええ、そうです。それが先ほどの梶倉さんの反応の正体ではないか、と思います。もちろん恋というのは例えです。別に愛でも友情でもいい。彼と被害者の母親は知り合い、それもかなり親密な間柄ではないかということが言いたかったんです」

「どうなの。梶倉君」

 問われ、仕方なく梶倉は答えた。

「幼馴染で、昔から世話になっていた姉のような人です」

 目を瞑ると、事件当日に事情聴取に行った時のことを思い出す。腕に食い込んだ彼女の指の痛みや、とめどなく涙があふれる赤く充血した目、必死で事情を説明する姿を。

 だからこそ、目の前の犯人が許せない。

「裏取りは進める。あなたの話の裏付けも含めて。だから話して。どうして自分が犯人でないと証明できるのか」

 横山の問いに、あっけらかんと楯川は答えた。

「簡単なことです。僕の顔を見たなんて、ありえないからです」

「彼女が嘘をついてると?」

「そうです。先ほどの質問で、彼女が僕の顔をきちんと認識したのは事件当日だと言いました。だったら、僕だと断定できるわけがないんです。僕、こんなひどい花粉症ですよ? くしゃみしてたとか聞きました?」

 言われてみれば、当たり前だ。彼自身が言っていた。外に出る時には花粉を防ぐ眼鏡、マスクをつけ、パーカーのフードを被っていたと。そんな人間の人相がわかるわけない。

「それに、です。小学生の子どもがいる家庭の主婦が、朝の八時九時に子どもを公園になんて連れていきませんよ。その時間は小学生の登校準備のためにかなり時間に追われるはずです。子どもが登校しても、その後に朝食の片付け、掃除、洗濯、曜日によってはゴミ出しもある。公園に連れていく余裕なんかあるわけない。公園には普通、お昼過ぎとかに行くものでは?」

「確かに、違和感を覚えるわね」

「ちょっと、横山さん!」

 容疑者の話に丸め込まれそうな先輩の肩を掴む。

「こんな奴の言う事なんて当てになりませんよ! どうせ言い逃れのために、適当に嘘を並べているんだ」

「その嘘を看破するためにも、話を全て聞いて裏取りを行うべきよ。可能性は全て潰さなければ、私たちは冤罪を生むことになる。その恐ろしさがわからないの?」

 続けて、と横山が楯川を促した。

「では、指紋についてはどう説明する気? さっきも話したけど、積み木の箱には被害者親子とあなたの指紋しかなかった。今度こそ、絶対、間違いなくあなたの指紋よ。あなた以外に誰が犯人だと? それとも、その前から置いてあったから犯人が指紋を消してから置いたとでも言うつもり?」

 随分と指紋のことを強調して横山は言った。

「その可能性もあるでしょう。が、もし指紋を重要視するならば、犯人は僕以外の指紋の持ち主でしょう」

「ふざけんな!」

 横山の制止を振り切って、とうとう梶倉が楯川の胸倉を掴んだ。

「加寿子さんが、息子を殺したってのか! どこに息子を殺す母親がいるんだよ!」

「知りません。それを調べるのはそちらの仕事でしょう」

「俺はな、何度も彼女たちに逢ってるんだ。修一郎君のことを、加寿子さんがどれほど愛していたか知っているんだ。その彼女が、愛する息子を殺すわけがないだろうが!」

「梶倉君、落ち着いて!」

 横山が二人を引き離す。

「証言に疑いが出たのだから、母親に再度話を聞く必要があるわ」

「横山さん!」

「言ったでしょう。可能性は全て潰さないといけないの。身内を信じたい気持ちはわかるけど、あなたは刑事なのよ。事件の真相を暴かないといけない。そこに私情を挟む余地はない。それができないなら、この事件から外れなさい!」

 一喝を受けて、梶倉は奥歯が砕けそうなくらい食いしばって下がった。加寿子さんが殺人など犯すわけがない。なぜ誰も信じてくれないのだ。理不尽な思いを抱きながら、しかし、自分が彼女の無実を晴らせばいい。先輩たちを黙らせればいいのだと切り替える。

 そんな彼の思いは裏切られる。後日、横山の事情聴取で関加寿子が自白し、警察署に連行された。

 取調室で加寿子は全面自供した。話している内容は、楯川が推測したことと概ね一致していた。

 殺害動機は、育児疲れだった。小学生の息子が学校から持って帰ってきた植物菜園セットの農薬を使用したと自供した。子どもの手に触れる物なら、そこまで毒性は高くないだろう、数日間入院して、少しでも体と心を休めることができればいい、死んでしまうなんて思わなかった、そう供述している。

 取り調べを終えた加寿子は、送検されるまでの間拘留されることになった。取調室を出た彼女と横山が廊下を進んでいると、前から釈放された楯川と梶倉が歩いてきた。梶倉は姉のように慕っていた人から目を背けていた。楯川は横を通り過ぎようとする彼女を見ていた。加寿子は立ち止まり、楯川に頭を下げた。

「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。私は、あなたに罪を着せようとしました」

 彼女の後頭部をじっと見ていた楯川は、ふいに口を開いた。

「息子さんが、大切ですか」

「え?」

 嫌味を言われたのだと思ったのだろう、加寿子は驚いて上げた顔をすぐに伏せた。

「全て、私のせいなんです。私の弱さが、こんな悲劇を招いてしまった。あんなに、息子を愛していたのに、なぜこんなことをしたのか自分でも理解できないんです」

「ああ、すみません。修一郎君のことを言っているのではないんです」

 楯川は今日の天気の話をするかのように、言った。

「慎太郎君のことですよ」

 加寿子の肩が微かに震えた。何を言っているかわからない横山と梶倉は、二人を引き離すのも忘れて会話に聞き入っていた。

「母の愛は偉大ですね。全てを投げうってでも、我が子を守ろうとなさる」

「何が、おっしゃりたいのか」

「積み木」

 明らかに、加寿子に動揺が走った。

「気になってたんです。なぜ一つの積み木にしか唾液がついてなかったのか」

「それは、私がそれにしかつけなかったからで」

「なぜそんな確率の低いことを? 全部につければ、確実に毒を舐めたのに」

「それは、私の臆病さゆえです。そもそも、私はあの子を殺したかったわけじゃない。少し毒を塗ったものの、これを舐めてくれれば、病院に入院してくれれば、と思うだけで、気持ちが少し楽になったから」

「だから、口に入りそうもない、あんな大きな球に塗ったんですね。他にも細い棒や三角形があったのに。もともと、そんなつもりはなかった、と? 運悪くそれを舐めてしまったと?」

「ええ。その通りです」

 顔を上げた加寿子はそそくさとその場を立ち去ろうとした。

「刑事さん。行きましょう」

「死んでたのではないのですか?」

 彼女の背に、楯川の声がぶつかった。

「家で、あなたが気づいた時には、すでに」

「何のことかさっぱり」

「あなたが朝、バタバタしている間に、慎太郎君が弟に飲ませたのではないのですか。自分から愛する母親を奪った弟を」

「馬鹿じゃないんですか。慎太郎はまだ小学生ですよ。そんなことできるわけ」

「ありませんか? 小学生だからこそ純粋に殺意を表さないと?」

「刑事さん。速く行きましょう」

「そうはいきません。今の話、どうなんですか?」

 横山が問い詰める。

「ありえません。事件の全貌は、先ほど刑事さんにお話しした通りです。私の自己中心的な考えが息子を死に追いやった。それだけです」

「そうでしょうか。なら、なぜ自分の家に元々あるものではなく、公園にあった積み木を使ったんです? 自分の家にもおもちゃくらいあるでしょう。それに、今の話を信じるなら、あなたは毒を塗った積み木を長期間外に放置していたことになるんです。誰か別の子どもが使うかもしれないのに」

「それは、まったく配慮してなかったとしか」

「本気で言ってます? 臆病だと自分を表したあなたがそんな大胆なことを? もし他人の子が死んだら、あなたはどうするつもりだったんですか。今回と同じように僕が犯人だと証言するつもりでしたか? それとも誰か別の犯人がいるとか?」

「あなたのせいにするつもりでした。これでいいですか? そういう浅慮な女なんです私は。後先考えず、毒のついた積み木を何日も放っておくような馬鹿な母親だったんです!」

 それでいいでしょう、そう怒鳴る加寿子の声が、横山にも梶倉にも届かない。

「前から置いてあった積み木、と今言いましたか?」

 横山が恐る恐ると言った風に尋ねる。

「ええ。言いました。前からあったから、丁度いいと思って」

「ありえません」

「え?」

「あの積み木が置かれたのは、事件が発生する前日の夕方以降です。以前から毒を塗っておくのは不可能です」

 あ、という形に口を開けて、加寿子は固まってしまった。

「まだ話を聞くべき人間が、いるようですね」

「ちが、違うんです刑事さん。今のは勘違いです」

 その言葉を信じる者は、ここにはいない。

「あなたは、選択を誤ったんですね」

 楯川が加寿子に言った。

「あなたは僕に罪を着せるための策を考えた。たまたま公園にいた僕と、たまたま公園に置いてあった積み木を紐づけて利用しようとした。午前中の忙しい時間に、見事なものです。皆騙された。けどもしかしたら、僕が犯人ではないことに後々警察は気づくかもしれない。そこでもう一つ策を講じた。真相に気づかれそうになったら、自分が犯人だと自白することです。そうすることで、もう一方の愛する者を守ることができると考えた」

「さぞ、気分が良いのでしょうね。探偵気取りで謎を解いて」

 憎しみに満ちた目で、加寿子は楯川を睨みつけた。

「いえ、残念でなりません。様々な考えがよぎったことは想像に難くありません。世間体だとか、残った子どもが後ろ指刺されるとか、もちろん、あなたの監督不行き届きについて世間から、なにより家族から責められるかもと想像してしまった事でしょう。だから、敵を自分とは関係ない外部に求めてしまうのも無理からぬこと。それが出来る材料が、偶然にも揃ってしまった。公園によく現れる僕の存在、たまたま置かれていた積み木、自分に御せる刑事。それらの点が繋がってしまったのだから。しかし、あなたが信じるべきは、あなたを妄信し、あなたが示した筋書き以外の考えを持てなかった弟分ではなく、事件当日、近くにいた僕を頼るべきでした。毒を誤飲した息子がいるから助けてくれと普通に対処すればよかったんです。それなら不幸な事故として、事件は片付いていたかもしれないのに」

 加寿子が、膝から崩れ落ちた。

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取調室に、二人 叶 遼太郎 @20_kano_16

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