死神 後編
「この数か月の間に、俺が担当する訪問先で亡くなられた方は九名です」
彼一人で九名なら、事業所だけでもかなりの人間が亡くなっているはずだ。
「多くないですか?」
「正直、異常に多いです」
「全員脱水症状で?」
「いえ、老衰です」
七見は肩透かしを食らった。てっきり事件性があるものかと想像していたからだ。
「失礼ですが、どこが異常なんですか。老衰なら、失礼な言い方ですが仕方ないのでは?」
「老衰になるんです」
「老衰に、なる? どういう意味です」
「お見取りなど、医師から余命宣告されている等の場合、意識や呼吸が無くなっても救急車を呼ばず、かかりつけ医を呼びます。そして死亡診断書を医師が記載し、そのままお葬式の流れになります」
「治療したり、病院に搬送しないんですか?」
「ええ。治療で苦しむよりも、苦痛なく最後まで生きることも、その方の尊厳を守ることに繋がると俺は考えますし、そうお考えになるご家族もいらっしゃいます。そういう方は救急車を呼ぶより、そのまま安らかに眠っていただくことを望みます」
「が、それでもここ最近老衰の方が多すぎる、と?」
「偶然かもしれません。偶然だと思っています。ですが」
「ですが?」
「亡くなられた方の共通点が多いのです」
楯川が挙げた共通点は以下になる。
認知症を患っている、もしくは長期間寝たきりの状態が続いている。
ご家族が同居している。
経済的に苦しい。
同じ地域に住んでいる。
「いや、私の想像ですが、この条件に当てはまるご家庭の方が多いのではないですか?」
「ええ、まあ。ですので、最後の条件がなければ俺も気にはしなかったと思います」
「同じ地域に住んでいる、ですか?」
「そうです。俺の担当地域ばかりなのも気になった理由です。それに」
「それに、何です」
「俺は、一応介護職です。ですので、勉強はしているつもりですが医療関係者や薬剤師ほど薬について詳しいわけではありません。ですが、亡くなった方全員に処方されていた薬の中に、共通するものがありました」
「高齢者の方は同じ病気を患っている方もいるでしょうし、同じ種類の薬を処方されていてもおかしくないのでは?」
「別の地域の方の担当もしているのですが、そちらには入っていないのです。もちろん、俺が知らないだけの可能性が大きいでしょう。ですが、飲んでいる方が亡くなり、飲んでない方がまだご健在なのは、気になる点です。また、その薬が処方され始めたのは同時期です。それから数か月後に、同時期に亡くなり始めたのです」
「まさか、医療事故、とか。でも、そんなニュースは」
「ありません。偶然重なった老衰、ですから」
「そんな。誰も異常だと思わないのですか?」
「かかりつけ医が老衰と判断しました。家族も訴える様子はありません。医者と家族が思わなければ、異常は何もありませんよ」
ゾクッと七見は体を震わせた。ようやく楯川の言いたいことがわかったのだ。
「同じ地域ということは、ケアマネージャーも、かかりつけ医も、薬局も同じ。葬儀屋もお寺も同じ。ご家族もご近所さんで親しいかもしれない。つまりは、そういう事なのですか」
本人もしくは家族と医師で行われる嘱託殺人。
「ええ。介護が必要な高齢者を抱えるご家族同士なら、仲良くなっていてもおかしくない。むしろ積極的に情報交換をしているでしょう。そんな彼らに、苦しまずに楽になれる薬を処方する医者がいる、と話を聞いたら。経済的にも苦しくなってきた彼らが依頼をしても、おかしくない。家族の困窮が自分のせいだと知った本人なら言わずもがなです」
もちろん全て俺の想像です、楯川はそう続ける。
「ミステリーを読みすぎた俺の悪い癖です。事件なら、なんて想像をしてしまう。実際はそんなことはあり得ないのに」
「いや、楯川さん。それだけの偶然が重なっていたら、疑ってしまうのは仕方ないのではないですかね」
むしろ、その話の方が死神というオカルトよりもよほどしっくり来てしまう。
「誰かに相談とか、報告などはされたんですか?」
七見が問うと、楯川は首を横に振った。
「どうしてですか。突拍子もない話ですけど、薬の事とか、変わったことは上司に報告する義務があるはずでは?」
「変わったことなど、ありませんよ」
「ありませんって、今あなたが言った事は変わったことだらけじゃないですか」
まさか、と七見は楯川を睨んだ。
「責任を取りたくないとか、そういう事ですか」
明らかに厄介なことになりそうな時、知らないふりをしてやり過ごし、面倒を避けようとする人間は確かにいる。七見が嫌悪するタイプの人種だ。案の定、楯川は「面倒ごとは嫌いなんですよ」と言った。
「あなたが報告しないというなら、私から、高齢者を支援する地域包括支援センターや警察に相談します」
「全て僕の想像ですし、今話したことは口外しないという約束のはずですが」
「事情が事情です。人命がかかっているかもしれないなら、見過ごすわけにはいかない」
タブレットを取り出し、七見は地域包括支援センターの場所をマップ機能で調べる。
「人命がかかっているから、事情が事情だから、ですか」
画面に目を向けている七見に、楯川のため息が聞こえた。
「七見さん。ご家族に年配の方は?」
「祖父母がいますが」
「その方々の介助をされたことは?」
「いえ、二人とも、まだ元気なので」
何を問われているのかわからず、七見はタブレットを操作していた手を止めて、楯川の顔を見た。
「徘徊されたことは? 近くを走り回って探したことや、何十キロも離れたところで発見したこと、警察のご厄介になったことは?」
「ありませんが」
「食事の介助をしたことは? 三度の食事の用意をしたこと、歯が悪ければ全てをミキサーにかけたり柔らかい介護食を準備したりしたこと、寝たきりの状態なら体を起こし車椅子に移乗したり、ベッドにクッションを敷き体を固定しエプロンをつけ食事介助したこと、用意した全ての料理をひっくり返され、それを掃除したことは?」
「だから、ありませんって。何が言いたいんですか」
尋ねるも、楯川は無視して続ける。
「トイレの介助は? 歩行が危うければ毎回毎回付き添い、トイレまで誘導し、不安定な体を支えながらズボンや下着を脱がし、慎重に腰を下ろしていただくこと、汚れがあれば更衣や陰部を洗浄すること、失禁した尿や便を手で触り、家じゅうに塗りたくられたことは? 寝たきりであればベッド上での排泄介助は? 拘縮や、力が入らない体の衣服を脱がせたこと、ベッドが汚染され匂いも汚れも取れなくなったことは? どれだけ用意してもおむつや尿取りパッド等の備品が瞬く間に失われていくことは? 夜中に奇声をあげられて何度も叩き起こされ、本人のために尽くしているのに理不尽に悲鳴を上げられ怒鳴られ罵倒され、唾を吐きかけられ暴力を振るわれたことは? それら全てを我慢して一年三百六十五日二十四時間家から出ず、同じ空間で介護をし続けたことは? そして限界が来て、愛する家族に殺意を抱いたことは? 浮かんだ思考に愕然とし、自己嫌悪に陥ったことは?」
ないですよね。
非難するわけでも、同情を買うわけでもなく、ただ平坦に事実を楯川は述べた。
「で、でも、だからこそあなたのような介護職がいるんじゃないですか」
自分が何も知らなかったということを恥じつつも、七見は何とか言葉を吐き出す。
「行政には、それを支援するための制度がある。それを利用すれば」
「解決できると、本気でお思いですか」
楯川の言葉が、七見の二の句を断った。
「医療保険、介護保険の負担額は上がりました。支給される物品で事足りるわけがないから不足分は自費で負担することになります。預けるべき施設には空きがありません。スタッフもなり手がいないから足りません。よしんば施設があったとしても、莫大な料金が発生します。言い訳になりますが介護スタッフに、介護保険に出来ることは限られています」
経済的に苦しい家庭、という条件を思い出す。
「精神、肉体共に追い詰められ、金に余裕がなくなれば人間がどうなるか簡単に想像がつきます。七見さん。あなたは人の命がかかっているとおっしゃいましたよね。そこに、ご家族の命は含まれていましたか?」
七見は答えられない。
「あなたに聞かれたことを、逆に問い返します。死神は、誰ですか」
介護疲れに陥った家族か。
毒を処方した医療関係者か。
不完全な制度と政治か。
事件を黙認し、人を見殺しにした介護士か。
事件を公表し、家族を追い詰めた記者か。
「すみません。そろそろ失礼しますね」
楯川が自転車に跨る。ペダルをこぎ出そうとして「あ、そうそう」と振り返って七見に言った。
「多分ですが、俺が気づく程度のことは、警察も把握していると思いますよ。日本の警察は優秀ですから」
「えっ?」
「でも、事件になってません。訴えがないだけではなさそうですね。だから、あなたがどこに相談しようと、何一つ変わらないと思いますよ」
諦念と無気力な言葉を残して、楯川は去っていった。残された七見の手から、折れたペンが零れ落ちた。
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