死神 中編
切り込み方を間違えた、と言ってしまってから七見は悔いた。もっと当り障りのない話から、徐々に確信に迫るべきだった。この辺で死神が現れるという噂があるんですがご存じですか、という風な。しかし、酸欠の頭では考えがまとまらず、まとまる前に自分の一番聞きたいことを直球でぶつけてしまった。さっきの母子に話した配慮云々は二酸化炭素と一緒に吐き出されてしまったようだ。
「違いますね。人違いです」
案の定、男は否定して、話は終わりとばかりに自転車を再び漕ぎ出そうとしている。
「お願いですからちょっと待ってください。話を聞いてください」
何とか呼び止める。
「あの、俺忙しいんですが」
「申し訳ありません。私、こういう者でして」
名刺を差し出す。
「オカルト雑誌の記者をしている、七見と申します。今、この地域の子どもたちの間で流行っている、死神の噂について調べているところでして」
「すみませんが、聞いたことないですね。俺ではお力になれないかと」
「実はですね。あなたの姿が噂の死神の恰好と似ているんです」
「死神の恰好と?」
男が自分の体を見下ろす。
「ええ、夏でも黒いパーカーにジーンズ、黒いマスク。銀色の自転車に乗って死神は現れる」
「俺の格好とほぼ一緒ですね」
「偶然が一致した結果だとは思うのですが、噂どおりの恰好をしたあなたが現れたものですから」
「思わず声をかけた、ということですか」
七見は頷く。ようやく息が整ってきた。
「もちろん、死神なんている訳がありません。子どもの噂ですから。ですが、それを彷彿させるような事があったのではないかと思い、取材を行っています。何か関連するような情報をお持ちではないですか。どんな些細な情報でもいいのですが」
「自転車で走っているとはいえ、俺は別にこの辺りに詳しいわけじゃないんですが」
楯川と名乗った男はそう言いつつも、こめかみを指で掻きながら記憶を掘り返そうとしてくれていた。
「例えば、ですが」
せっかく考えてくれているのだ、七見は検索ワードを楯川に投げかけてみる。
「この辺りでは、最近随分と亡くなられている方が多いと聞きました。もしかしたらそれが死神という存在を生み出したのでしょうか」
「確かに、多いですかね」
少し言いづらそうに楯川は答えた。
「俺、介護職なんですよ。だから、そういう話は不謹慎ですし、個人を特定することにつながるので、出来れば話したくないんです」
そういうわけで、とすぐに立ち去りそうな楯川を七見は何とか押しとどめた。おそらくは、少年たちが見たという死神は楯川だとほぼ確信していた。介護職なら人の家に勝手に入っても誰にも見咎められないし、何度でも定期的に何度でも訪問する。
「お願いします。誰が亡くなられたとか、けして個人が特定されるような記事は書きません。私が書いているのはオカルトです。実際の地名も人名も書きません。書くのは死神というオカルトだけです。楯川さんにも、誰にも迷惑はおかけしませんから」
必死の説得が功を奏したか、楯川は個人情報の取り扱いに関する念書を七見に記載させて、ようやく話を始めた。それでも、家や個人を特定されないように慎重にしていた。
「ご高齢の方が多いから、利用者様が亡くなるのは良くある話です。ですが、ここ最近はご訃報の話が多く耳に入ってきます。この夏は酷暑でしたし、それも原因かもしれません」
「脱水症状などで亡くなられる方が多いと聞きますが」
「ええ。気温の変化に気づきにくいですし、喉の渇きも感じづらい。積極的にエアコンの使用、水分補給を促す必要がありますが、それでも病院に搬送される方がいます。認知症の方の中には、どうしても理解が難しい方もいらっしゃいますし」
「ご家族がいても難しいものですか」
「難しい方は、難しいでしょう。どれほど周囲が気を張っていても、無理な時は無理です。独居の方ならなお更ですね」
「楯川さんが訪問されるお宅でも、亡くなられた方が?」
七見が尋ねると。楯川は喋りすぎたか、という顔で「ええ、まあ」と頷いた。口を閉ざされたらまずいと思った七見は、慌てて話を戻す。
「でも、あれですね。脱水症状は恐ろしいものではありますが、全部が全部そうというわけじゃないですよね。人が亡くなるのは様々な要因がありますし」
「ええ。些細なことが死につながります。ですので介護をされているご家族には頭が下がります」
「楯川さんも、介護職ではないですか」
「俺は仕事ですから、仕事が終わればその重圧から解放されます。ですが、ご家族はそうはいかない。二十四時間ずっとつきっきりでケアをされています」
心労いかばかりか、七見には想像もつかない。
「ここまで話しておいてなんですが、ご家族のためにもこの話は記事にしない方がよいかと思います」
楯川はそう締めくくろうとした。七見からすれば、突然の気変わりに思えた。
「え、いや、いきなりどうしたんですか。先ほどお話ししました通り、私が書くのは死神というオカルトだけで」
「お聞きしました。俺の勘ですが、あなたは誠実な記者さんだ。きっと約束を守られるでしょう。ですが、あなたの記事を読んだ心無い誰かが調べ始めるかもしれない」
「オカルト記事を鵜呑みにして、とこかわからない場所の誰かを特定しようとすると?」
そんな馬鹿な話あるわけない、七見が一笑に付そうとしても、楯川の表情は一つも揺らがなかった。それが逆に七見の勘を働かせる結果になった。
「楯川さん、あなた何か知っているのですね」
だから調べ始めるかもしれない、などと発言したのではないか。
「死神の噂に関して、何も知らないとお答えしたはずですが」
「いえ、多くの人が亡くなられているという話です。まさかあなたが関係しているのではないですか?」
もしそれが真実であれば、記者としては真実を追求しなければならないし、記者である前に一般市民として、警察に通報する義務がある。警察の名前を出した途端、楯川はかすかに、だが明らかに動揺した。
「話していただけなければ、私は市民の義務として警察に相談しなければなりません」
「勘で警察が動くとでも?」
「門前払いかもしれません。ですが、大勢の人が亡くなられているのは事実です。もしかしたらあなたに事情聴取くらいはしに行くかもしれません。そうなると困るのでは?」
楯川の目じりがピクリと痙攣したように動いた。もう一押しだ、と七見は踏ん張った。
「お願いします。話を聞かせてください。私も記者である前に人です。良心もあります。出せないと判断すれば記事は没にします。ですがこのままでは、私は真実を明らかにするために調査を続けなければなりません」
彼の肩を掴み、じっと彼の目を見返す。やがて根負けした楯川は言った。
「全て俺の想像です。そして、ここで聞いた話は一切出さないと約束してください」
「約束します」
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