死神

死神 前編

 ある地域に住む子どもの間で死神の噂が広がっている。曰く


 死神は黒いパーカーにマスク、ジーンズ姿をしている。

 死神は常にパーカーを被っている。

 死神は銀色の自転車に乗ってやってくる。

 死神が七回訪れた家では、一週間以内に人が死ぬ。


 ありきたりな、どこにでもありそうな都市伝説、学校の怪談が、オカルト雑誌の編集部に届いた。

 わざわざ調べる必要はないと新人記者の七見は思っていた。だが、先輩記者から「記者が自分の目で確かめないでどうする」と窘められ、取材に行かざるを得なくなった。

 近年物騒なため、子どもに直接取材をするのは困難になった。不審者は即通報される。なので、まずは小学校くらいの子どもを連れた大人を探す。苦戦するかなと思いきや、小学校近くのスーパーで簡単に何組かの家族連れに話を聞くことができた。

「僕、見たことあるよ」

 母親に「やめなさい」と窘められながらも、小学五年生の少年は言った。

「学校の帰り道で、死神を見た」

「見たの?」

 ボールペンをマイクのように前に出すと、彼は頷いた。

「学校から帰る途中、前から自転車に乗った死神が現れたんだ。自転車は僕の横を通り過ぎて、家の前に停まった。死神は、そのまま家に入っていったんだ」

「そのまま? チャイムも鳴らさずに?」

「うん、鳴らしてなかった」

「鍵は、かかってなかったのかな?」

「かかってなかったと思うよ。がちゃがちゃって音してなかった」

「それは、その家の人だったんじゃ」

「違うよ。あそこに住んでるのは、年取ったおじいちゃんだけだよ。たまにおじいちゃんの子どもが様子を見に来るだけで、いつもは一人で暮らしてるんだよ」

「泥棒なんじゃ」

「ううん。僕以外にもたくさん人はいた。けれど皆、死神が見えていないみたいだった。皆無視してたよ」

 子どもにしか見えない死神。少し興味が出てきた。

「それからどうなったの?」

「見張ってた。三十分くらいかな。家から出てきた」

 あんたいつもより帰りが遅いと思ったら、と母親が嘆いている。まあまあ、と母親を宥める。このくらいの年齢の子は、寄り道して色々発見するのが仕事だ。そのおかげでこちらも取材がしやすくなっているわけだし。

「それで?」

「死神は自転車に乗って、どっかに行った。それで、何日か後だったかな。おじいちゃんの家の前に提灯がついてたよ。サスペンスドラマとかで見る、何か変な漢字が二文字がついたやつ」

「忌中、かな?」

 メモ帳に書いて少年に見せると、これこれ、と目を開いた。

「これ、確か人が死んだときにつけるやつでしょ?」

 頷きつつ考える。死神がおじいさんの家を訪れて、数日後に死んだ、と考えられる。だが、偶然かもしれない。彼が知らないだけで、例えば孫が遊びに来ただけかもしれない。近所の人は孫の事を知っていたから、別に気にしなかっただけ、という可能性も。

 しかし、その可能性は少年の次の言葉でかき消された。

「それだけじゃないんだ。違う日に、違う場所でも見たんだよ」

 彼は今度は、自分の家の近所でも見かけたというのだ。

「それは、同じ人、死神だったのかい」

「うん。服装も一緒で、自転車も同じ色だった。死神は今度は、何度も何度もその家に来てたんだ。回数も数えた。七回。間違いない。そして、七回死神が来た後、また人が死んだんだ」

 死神が七回訪れた家で、人が死ぬ。

 ぶるり、と体が震えた。これはもしかしたら、もしかするかもしれないと七見は先輩に感謝した。あの時鬱陶しいな、古臭い考え持ちやがって、なんて思ってごめんなさい。

 少年が話すには、彼の友達も死神を見たことがあるらしい。しかも、別の家で、その家でも人が亡くなっている。

「不謹慎かもしれないけど」

 息子が話していることに誘発されたのか、母親も気になっていたことを口にした。いいぞ、好循環が生まれている。話しやすい場が生まれていると七見は内心ほくそ笑んだ。こうなれば、自分が何かしなくとも、水を向けるだけで話をしてくれるだろう。

「最近、ご近所でもお葬式が多いのよね。救急車もせわしなく走り回っているし」

「それは、いつ頃からか覚えてらっしゃいますか?」

「え、いえ。流石にそこまでは。でも最近なのは間違いないと思うんですよう」

 よう、と語尾を少し伸ばし、嘘ではないのだと母親は主張した。もちろん七見に疑う理由はないし、間違いであっても「そうかもしれない」と関連付けられそうな尾ひれがあった方が記事は盛り上がる。

「死神の噂を君が聞いたのは、いつ頃かな?」

 再び少年にペンを向ける。

「僕が聞いたのは、夏休みに入る前、くらいだったと思うよ」

 夏休み前、六月か七月ごろということは、今から三か月ほど前か。今年の夏はゴールデンウィークくらいから三十度を超える日も出たほどの酷暑だった。その中で黒いパーカーを羽織るなど正気の沙汰じゃない。正体が何であれ、がぜん興味がわいてきた。

「場所はわかるかい? 出来るだけ詳しく」

 いいよ、と少年は快諾した。七見はタブレットを取り出し、周辺地図を映し出す。少年の通っている小学校を中心に移すと、彼は慣れた手つきで画面をスライドさせ、この辺、と人差し指で示した。

「小学校がここで、最初に死神を見たのはここ。次が、ここだよ」

「ありがとう。早速行ってみるよ」

「死神のこと、何かわかったら教えてね」

「ああ。良かったらうちの雑誌を買ってくれよな」

「あの」

 立ち去ろうとした七見に母親が心配そうな声で呼び止めた。

「出来れば、色々と配慮していただけると」

「もちろんです。亡くなられている方がいるわけですから、細心の注意と敬意を払い慎重に取材を行います。もちろん、お母さまや息子さんにも。お二人から話を伺ったということは口外せず、記事にも掲載しませんし、特定されないようにいたします。個人情報の取り扱いに関しても十分配慮させていただき、ご迷惑をおかけしないようにいたしますので」

 そう言うと、母親はほっとしたような顔でよろしくお願いします、と頭を下げた。やはり気にしていたのはそこか。不用意な発言が記事に乗り、自分たちに不利益を被るのではないかと言ってしまってから気になったのだろう。迂闊な一言が破滅を招くことになるデジタルタトゥーの恐ろしさを、彼女は理解していたようだ。誰もが簡単に自分の情報をネット上に載せることができる昨今、そこから発生する問題を軽視している人間が多い。彼女くらいの警戒心を皆持っていてほしいと思う。

 もちろんこちらだって情報という爆弾の使い方を誤るつもりはない。訴訟も法廷も賠償金もまっぴらだし、情報の出し方ひとつで人が死ぬ可能性があることだって理解している。記者として未熟であろうと、バズるために誰かを傷つけることは可能な限り避ける。それが七見の矜持だ。

 立ち去る二人に礼を返し、その背中が見えなくなってから少年に教えてもらった場所へと向かう。まずは小学校前だ。

 小学校へ続く道は、一軒家が立ち並ぶ住宅街だった。閑散としているわけでもなく、さりとて人通りが多いか、と言われれば首を横に振る、大型の車が一台通れる程度の広さの道だ。

 小学校に到着した。ここから少年が最初に死神を見た場所まで、およそ三百メートル。その方向へ歩き出そうとしたとき、チリン、と後ろでベルが鳴った。横に避けると、自転車が七見を追い越していく。黒いパーカーの背中を見送り。

「あ」

 黒いパーカーにジーンズ、銀色の自転車。勘が働いた七見は慌てて走り出す。黒の背中を手の代わりに声で叩く。

「すみません!」

 自転車は、最初は止まらなかったが、何度も声をかけ続けているうちに、気怠そうにブレーキがかかり始めた。自転車から左足が下りて、地面につく。振り返った視線が、七見の姿を捉えた。

「す、すみません、お忙しいところ」

 息を切らせながら、七見は自転車に追いついた。顔を上げると、黒いパーカーに黒いマスク姿の、見たところ三十前後の男が七見を見下ろしていた。

「どうかしましたか?」

 抑揚のない声で男が尋ねた。

「あなたが、死神ですか?」

「は?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る