取調室に、二人 後編

「この状況でしらばっくれる気? 無理がない?」

「犯人ではないのに、犯人だと証言したら、虚偽に当たらないのですか? そういう罪がありますよね?」

 偽証罪という罪があるが、今回のは意味が少し違う。

「じゃあ、あなたは自分が犯人でないことを証明できるというの? アリバイはないわよね?」

「ええ。家にいましたので。証人はいませんし、どこかの店の監視カメラに映っていることもないでしょう」

「どうやって覆すの? 後学のために教えてくれる?」

 悪あがきだ、そう決めつけて横山は腕を組んだ。

 わかりました、と楯川は横山の馬鹿にしたような態度など気にもせず、淡々と話し始める。

「まず、指紋のことです。この証拠となったという」

「あなたまさか、警察の捜査を疑っているの?」

「ええ。疑っています」

「ふざけないで」

「ふざけてなどいません。だから俺は、何度も横山刑事に本当ですか、と尋ねたんです」

「自分が言っている意味わかってるの? あなた、警察が提出した証拠が間違っていると言っているのよ」

「そうです」

「捏造したって言ってるのよ?」

「だから、そうです。おそらくですが、その証拠は捏造されたものです」

「何で? どうしてそんなことをしなければならないの?」

「そんなことは知りません。それを調べるのは、そちらの仕事では? 日本の警察は優秀なのですから、すぐに調べがつくでしょう」

 皮肉のような物言いに苛立ちつつも横山は尋ねた。

「そもそも、何でこの証拠が間違っているなんて断言できるのよ」

「俺の指紋がきれいに取れた、などというのは、ありえないからです」

「は? 何で?」

「ご存じの通り、俺は介護職です。介護職の人間は、一日に何度も手を洗います。その結果がこれです」

 楯川が両掌を見せた。

「荒れ放題の手です。だから、俺は真我里さんのお宅の鍵である指紋認証ができませんでした」

「いや、試作品の指紋認証キーと警察の指紋照合を一緒にしないでくれる?」

「話はまだ続きます。手が荒れていると、どうしても衣服の繊維に引っかかります。引っかかると非常に痛いし、時に触れた利用者様を傷つけてしまいます。だから俺はここ最近、手の指先に接着剤を塗布して滑らかにしています。剥がすのは休みの日だけ。犯行日時以降も仕事はありますので、その時は剥がしていません。ああそうだ、念のため。空き巣事件の発生はいつ頃からですか?」

「最初の空き巣被害が、三か月前よ」

「そうですか。その頃には接着剤を塗布していますので、やはり俺ではありえませんね。というか、空き巣にしても強盗殺人にしても、犯行に及ぼうと考えるなら、剥がす必要ないですよね」

 横山の言葉が封殺された。

「話をお聞きし、またこの見せていただいた指紋を照合したというこの紙には、接着剤の成分のことなど一切書かれていませんでした。俺の指紋が仮に取れたとして、おそらく接着剤によって一部が薄れたり欠けたりした奇妙な指紋だったでしょうし、他にも成分を検出したり比較したりするものではないのですか? だから驚いたんです。きれいに指紋が取れた、と聞いた時に」

 もし楯川の証言が真実なら、なぜ提出した指紋が一致したのか。一致するはずないものが一致した。その理由は? 横山の背中に悪寒が走った。

「そうなると、俺が殺人事件の容疑者という理屈も怪しくなっています。俺が疑われていた理由は、その指紋から紐づけされたものですから。俺が『連続空き巣犯』で、『指紋を残したことを焦り』『急遽海外に逃げなければならず』『大金をすぐに入手しなければならなかった』という前提が崩れるからです」

 それに、と楯川はつづけた。

「仮に真我里さんのお宅で盗みを働いたとしても、殺人には結び付きません」

「何でよ」

「先ほどお伝えしたはずです。彼の目となり耳となり手足となった、と。あれはそのままの意味です。加齢により視力は落ち、耳も遠くなっていました。ベッドから移動するのもままならない状態です。かかりつけ医に確認していただければわかるはずですが。であるなら、横山刑事がおっしゃった『真我里さんに見つかって衝動的に殺した』というのは考えられません。なぜなら、真我里さんはかなり近づき、大声を出さないと俺のことに気づかないからです。盗みに入ったとしても、俺なら殺す必要がありません。見られてないも同じですから」

 かかりつけの医師にも聞き込みは行い、同様の話を聞いている。だが、楯川の容疑を固める証拠ではないので必要ないとされてしまっていた。ちなみにですが、と楯川が尋ねた。

「真我里さんの金庫の中ですが、お金や通帳以外に取られたものはありませんか?」

「お金以外?」

「そうです」

「お金以外に何が入っていたか、知ってるの?」

 詳しくは知りません、と楯川は首を横に振った。

「ですが、俺以外にも、あそこにあった物を知っているかもしれない人がいます。弁護士さんです」

「弁護士?」

「はい。弁護士さんに渡す書類についてあれやこれや準備してほしい、と言われました。その際手紙を二通用意され、一通を俺が金庫に、もう一通を郵便で送った記憶があります。詳細についてはその弁護士さんに聞いた方が良いと思います」

 警察が金庫を調べた時、そこには何もなかった。金庫には貴重品しかない。金、貴金属、それらと同列に扱われる手紙の内容とは?

「横山刑事」

「何? まだ何か?」

「もう帰ってもいいですよね? 明日も仕事ですので。後数時間の休みですが、ゆっくりしたいのです」

 任意同行ゆえに、楯川本人の意思で中断、退室、帰宅を求められる。それに、横山に彼を引き止める理由はもうなかった。


 後日、真我里智也殺害の容疑者として長男の真我里浩司が逮捕された。動機は会社の資金援助、および遺産相続のトラブルだった。楯川が智也に頼まれて金庫に入れた手紙は『自分の遺産を全て介護士の楯川に譲る』という内容の遺言書だった。遺言書を発見した浩司は激高し、智也殺害を計画。楯川にカードキーを渡していることを利用して彼に罪を擦り付ける計画を思いついた。他にカードキーはないと偽証し、浩司は堂々とカードキーで入室して智也を殺害、強盗の仕業に見せかけるため金庫の中に入っていた金や通帳と共に遺言書を持ち出して処分した。後は楯川に容疑が向くようにカードキーの入退室情報を提供。パスポートを持っていない楯川が溜まった有給の使い方について悩んでいた時、海外旅行を進めたのも浩司だ。パスポートを急に取得すればさらに容疑が深まる。普通のことでも、何かの事件に関係していると疑えば、その普通のことですら事件に関係していると警察が疑うのを浩司は見越していた。きっと、強盗殺人事件だけであれば、楯川の容疑はまだ晴れていなかったはずだ。

 もう一つの事件である空き巣は、皮肉にも警察官による犯罪だった。芽具露署管内の交番勤務員と鑑識官が空き巣の犯人だったのだ。交番勤務員が地域を巡回して物色し、盗みに入る実行犯。鑑識官が証拠の隠滅を行っていた。だが、交番勤務員が同僚から疑われ、焦った彼らは四件目の空き巣の現場にわざと別人の偽造した指紋を残した。そして自分たちの身代わりになる生贄を探していたところ、丁度いいタイミングで強盗殺人の連絡が入った。犯人の交番勤務員は自分が現場付近にいたことを天の助けと感じ、現場に偽造した指紋を残す。交番勤務員から連絡を受けた鑑識は容疑者として連れてこられた楯川の指紋と自分たちが作った偽造した指紋をすり替え、楯川に容疑を擦り付けようとした。おそらく、空き巣事件だけであれば、楯川の容疑はまだ晴れていなかったはずだ。

 皮肉にも、二つの事件が一つの事件として取り扱われてしまったため、楯川の容疑が晴れてしまった。どころか、二つの事件の真犯人の偽造が明るみに出てしまった。


 事件後、楯川は所属していた訪問介護事業所を退職した。妙な噂が立ったため、だけではない。真我里智也の遺産を手にしたためだ。

 智也が弁護士充てに出していた遺言書は、浩司が見た遺言書とは内容が少し異なっていた。

『もし浩司が私を殺害したら、遺産は全て介護士の楯川に譲る』

 智也は浩司が経営で苦しんでいるのを知っていた。だから、自分に資金援助を頼みにくるのは容易に想像がついた。才覚一つで莫大な富を得た智也は、浩司の会社に資金援助をしても遠かれ早かれ倒産することを見越していた。ならばいっそ潰し、新しくやり直すためになら資金援助をするための下準備し、その他、すでに取得している特許を利用した新事業計画案を弁護士に託していた。ただその中で、妙ないたずら心も芽生えてしまった。

 これは、かつて自分が読んだことのあるミステリーと似たような状況ではないか、と。

 そこで、智也は遺言書を二通用意した。『全財産を楯川に譲る』と書いた遺言書は金庫に。『もし浩司が自分を殺したら全財産を楯川に譲る』と書いた遺言書は弁護士に届けさせた。浩司がただ資金援助を頼みに来るだけなら金庫を覗くことなどありえない。だがもし、金庫の金や通帳に手を出そうとしたら、いたずらが発動するように。これには、息子に対する『そうはならないでほしい』という願いも込められていたが、残念ながら智也の思いは浩司に届かなかった。もし浩司が殺人を犯さなければ、遺産は浩司が相続できていたのだ。


「浩司は殺し損なのよね」

 どことなく釈然としない思いを抱えたまま横山は今回の事件に思いを馳せる。親子の愛情を信じ、裏切られた父と、裏切られたと思い、殺害した息子。掛け違いが起こした不幸な事件ではあったが、同情の余地はない。警察官の犯罪など論外ではあるが。

「で、結局楯川の一人勝ちか」

 今頃、どこかのビーチでトロピカルドリンクでも飲んでいるのだろうか。その気になれば移住して、一生遊んで暮らすことも可能だ。それだけの財産を彼は相続している。

 智也が楯川に感謝しているのはわかる。五年もの間献身的に介護し、智也を支え続けたのだから。しかし、それで全財産を譲るとなるものだろうか?

 もしかして、あの遺言書は偽造? と考え、横山は首を横に振る。これまで親戚、友人、関係各所に送られた手紙と今回の遺言書を筆跡鑑定にかけた結果、同一人物の筆跡だった。確かに元気だった頃と病に臥せってからの筆跡は比較すると少し差が出たが、以降は間違いなく同じ筆跡だと証明されている。

 終わった事件だ。頭を切り替えよう。さっさと報告書を書いて帰ろう。パソコンに向き合い、キーボードを打ち込む。疲れているのか、画面の文字がぼやけてきた。目薬を取り出し、目に点す。何度か瞬きして瞳が潤ったところで画面に向き直る。ぼやけていた字がハッキリと映り。

「そんなこと、ある?」

 思考もハッキリしてきた。思い出したのだ。楯川は言っていた。真我里の目となり耳となり手足となった、と。目や耳は悪く、移動もおぼつかないほど衰弱していた体で、遺言書を二通も書けたのか?

 代筆、していたのではないのか。五年前から。であるなら、楯川の字イコール智也の字となる。楯川の感情の浮かばない顔を思い出し、横山は戦慄した。

 いや、弁護士に提出された新事業計画案など、楯川に思いつくようなものではない。浩司の会社の経営状況や自分の財産を正確に把握していなければ作成できない。

 音声入力で書類を作成したのならどうか。それなら衰弱した彼にもできる。ほとんどパソコンで入力し、氏名を記入するところだけ楯川が代筆していたとすれば筋が通る。そこに楯川は加筆したのではないか。

 楯川はリスクを考えなかったのだろうか。遺言書の文面を不審に思った弁護士が会いに来たら全ておじゃんになってしまう。

「賭けに出た? 違う。想定済みだったんだ。だって、息子が自分を殺すことなど起きないでほしいと書かれ、それ以外は順当に息子に相続させるとあったのだから」

 弁護士は不審に思いつつも保留しただろう。彼だって殺人が起きるなど夢にも思わない。何より、本人の筆跡だったのだから。茶目っ気のある性格と周知されていたのなら、真面目な相続の話の後にちょっとした『ジョーク』をそえていてもおかしくない。弁護士は読み飛ばしていたのだ。

 楯川はいつから計画していたのだろうか。確信があったわけではないだろう。なぜなら、浩司が智也を殺さない可能性はあったし、弁護士が確認を取りに来る可能性だってあった。

「そうか。違う。最初は金庫にしか遺言書を入れていなかったんだ」

 浩司が金庫の中の遺言書を確認したのをみて、内容について父親に詰め寄らないのを見て、浩司が殺害計画を企てていることを確信した。五年務めれば、たまにしか会わない浩司の性格であってもある程度把握できたことだろう。それから弁護士に遺言書を出しても遅くはない。後は、浩司が智也を殺すのをただ待てばいい。楯川自身への疑いも、強い動機が浩司にあるとわかれば警察は浩司を最有力の被疑者として調べ出す。事実、浩司に焦点を合わせて捜査を開始してすぐにカードキーの存在も浩司の目撃証言も得られた。日本の警察は優秀、と言った楯川の真意がこれだった。嫌味ではなく、心からそう思っていた。利用するために。

 やられた。

 横山は頭を抱えた。この問題で一番厄介なのは、楯川の詐欺を立証する方法がないことだ。本当に智也に頼まれたからと言い切られたら確かめることができない。そもそも、その筆跡を本人のものだと証明したのはほかならぬ警察だ。だから弁護士も疑うことなく遺産相続を進めた。ここから間違いでしたなんて警察が認めるわけがない。事件を立証することが困難なことに加えて、犯人はすでに海外に逃亡し、捕まえることができないのだ。であるなら、詐欺そのものをなかったことにした方が体裁は良い。

 ゆっくりしたいのです。取調室から去り際に楯川は言った。

「一生ゆっくりできるようになった感想はどうなのよ」

 椅子に背中を預けて思い切り伸びをしながら、横山は吐き捨てた。

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