取調室に、二人
叶 遼太郎
取調べ室に、二人
取調室に、二人 前編
取調室に二人。容疑者と刑事がいる。実際は調書を作成する刑事も同席しているのだが、この部屋のメインは二人だ。取り調べる刑事と取り調べられる容疑者。
メインの一人である芽具露署の刑事、横山は机の上に一枚のプリント用紙を広げた。
「これが動かぬ証拠、というやつよ。現場に残っていた指紋が、あなたの指紋と一致した」
対面に座る容疑者、楯川は用紙を手に取って、まじまじと見つめている。彼の前頭部に向かって横山は続けた。
「ここ最近頻発していた連続空き巣事件、および、真我里氏宅で発生した強盗殺人の犯人は、あなたね」
楯川はゆっくりと視線を上げて、横山を見た。
事件が発覚したのは昨日の朝。資産家の真我里智也の長男、真我里浩司が久しぶりに実家に戻った。浩司は経営難に陥った自分の会社の資金援助を頼みに来たという。鍵を開けて入ると、家の中が荒らされている。心配になった浩司はすぐに寝室に向かうと、寝室でぐったりしている智也を発見。警察と救急に通報した。だが、智也はすでに死亡していた。死因は窒息死だった。顔に枕のようなものを押し付けられて殺害されたと考えられている。
智也は高齢のため体力もなく、最近ではヘルパーの手を借りなければ起き上がることもままならないほどだった。そんな体では抵抗することもできなかっただろう。
容疑者として浮上したのは、智也の家に来ていたそのヘルパーだった。
楯川良晴、三十三歳。独身。職業、介護士。黒の短髪、中肉中背、腰を痛めているのか、顔をしかめて何度も椅子を座りなおしている。介護士は大多数が腰を痛めるといわれており、彼もその一人なのだろう。また椅子の背もたれを掴む時、彼はたまに顔をしかめていた。パイプ椅子の背もたれは経年劣化のせいでクッションのゴムの部分がひび割れている。そこに手の皮が引っかかっている。訪問の度、ケアの度に消毒し、ナイロンの手袋『ディスポーザー』を装着して手が荒れているせいだ。
楯川は突き付けられた証拠と横山を交互に見て、言った。
「どうして、俺が犯人になるんですか」
怯えも、焦りも、戸惑いも、不安もない。本心から不思議に感じて尋ねたような感じだ。追い詰められている容疑者特有の感情の揺れが見られない事に、横山は少し戸惑った。
「言ったでしょう。現場から指紋が検出されたの。提出されたあなたの指紋と一致したと鑑識から報告があったわ」
気を取り直し、毅然とした態度で横山は対峙する。
「本当ですか?」
「嘘ついてどうするのよ」
ふむ、と楯川はこめかみを人差し指で掻いた。
「確認なのですが、俺は窃盗と強盗殺人で疑われているんですか?」
「そうよ」
「何故ですか?」
「何故って、さっきからふざけてるの?」
横山は机から身を乗り出し凄んで見せた。女だからと舐めてかかってくる犯人は多い。
「ふざけてなどいません。真剣にお尋ねしております。俺も、近所で起きている窃盗事件のことは伝聞ですが知っています」
「伝聞?」
「近隣で起きた事件は、どんな些細なことであれ奥様方の井戸端会議の議題となります。俺はそういうのを一方的に聞かされることが多いので」
「ああ、訪問先で聞くってことね」
地方の窃盗事件など小さな事件など、そうそう新聞やニュースは取り上げない。犯人が捕まってようやく、これまで何件もの窃盗事件がありました、と報道するくらいだ。一瞬秘密の暴露かと前のめりになったが、楯川もそこまで愚かではなかったか。
「どうして俺は、まず、その窃盗事件で疑われているんですか?」
「窃盗事件の現場で、犯人は指紋を残したの。それがこれ」
これ、のリズムに合わせて机の紙を叩く。鑑識からの報告書だ。窃盗事件で残されていた指紋と、楯川の指紋が一致した。二枚目には、それぞれの指紋の特微点、指紋の中にある約百点の特徴を比較した画像が写っている。
「きれいに一致したそうよ。警察学校の教本として使いたいぐらい。五本の指の指紋がしっかりとね」
「本当ですか?」
「だから、嘘ついてどうするのよ」
「ちなみにですが、どこから採取された指紋ですか?」
「四件目の金庫。金庫を開けた拍子に、手袋が扉に挟まってすっぽ抜けちゃったんでしょう。あの金庫、蝶番が歪んでいて開けるのにかなり力がいる。片手で押さえながら開けなければならないから。扉の部分に微量だけど手袋の繊維も残っていたわ。慌てて回収したけど、その時指紋を残してしまった。これまで証拠を残さなかったあなたも運が尽きたわけだ」
「仮にですが、その四件目が俺の犯行だとして、他の空き巣が俺とは限らないのでは?」
「たまたま別々の犯人によって空き巣が起こされたって言いたいの? ならこれまでの被害者宅が、あなたの訪問先から近い家ばかりなのも偶然? 訪問するふりをして、近所を物色していたんでしょう」
楯川はまた、ふむ、とこめかみを搔いている。舐められているのだろうか、怒鳴りつけてやろうと横山が息を吸い込んだ瞬間、ぐるりと楯川が横山を覗き込んだ。
「では次に、どうして俺が真我里さんを殺害したことになっているのですか?」
「あなた以外に殺害できる人間がいないからよ」
「どういうことです?」
「あの家の鍵は、真我里智也の家族か、カードキーを持つあなたにしか開けられない」
真我里家の鍵は指紋認証とカードキーの二種類存在する。玄関入り口に腰までの高さの台があり、そこに登録された人間の指紋、もしくはゲスト用のカードキーをかざすことで鍵が開く。なぜこんな鍵にしたかと言えば、浩司の会社の商品だからだ。試作品として設置し、そのまま使い続けている。
「俺以外にも開けられる人はいますよ。俺が休みの時は同僚が入りますし、当然のことながらご家族は指紋で入れます」
「そんなことは分かってるわよ。でも、誰が開錠したか記録されている事までは知らないようね」
横山はスマートフォンを取り出し、楯川にある写真を突き付ける。
「これを見て。息子の浩司氏が鍵を開けたのが今日の朝。あなたの同僚が訪問したのは三日前の朝、昼、夕。で、智也氏が殺害されたと思われる夜は、カードキーによって開けられている」
机の上に、楯川の私物を広げる。スマートフォン、家の鍵、リップクリームにハンドクリームなどの他、なぜか接着剤も入っていた。その中の一つを横山は摘まみ上げた。
「あの家の鍵は試作品で、本製品のカードキーでは開かない。このカードキーでしか開けられないの。そして、このカードキーを渡されているのはあなただけ。どうして指紋認証にしなかったの? メインで入るスタッフは指紋登録する話が合ったんでしょう?」
「登録しようとしたんですが、色々と不具合があったので、カードキーを貸与されました」
「指紋を取られるのを恐れたのでは?」
「そういうわけではありません。しかし、今しがた同僚もこのカードキーで俺が休みの時入室しているのを確認していますよね。なぜそちらは容疑から外れたんです?」
「他の同僚にはしっかりとしたアリバイがあったから」
「アリバイ、ですか。では、同僚が犯人である可能性はない、ということですね?」
「ええ」
話を続けましょう。横山は言った。
「おそらくあなたが次に聞きたいことは『どうして窃盗事件と強盗殺人事件の両方の容疑が自分にかかっているのか』という事だと思っているのだけど」
「ええ、おっしゃる通りです。二つの別々の事件ではないのですか?」
「しつこいようだけど、それを結びつけたのがこの指紋なの。真我里家には当たり前だけどあなたの指紋が出てきた。業務内容を確認したけど、ずいぶんと色んなことを頼まれていたのね。食事や排泄介助の他、掃除、洗濯などの家事全般、買い物等々」
「本当はダメなんですけどね。介護保険ではできる範囲は決まっていますから。ただ、解釈次第でグレーゾーンになるので、大目に見てもらっていました。真我里さんは多少偏屈で変わり者ですが、お茶目な部分もあるし、根は良い人だったので。そういう方には協力したくなるのが人情という者でしょう。真我里さんの目となり耳となり手足となり、色々お手伝いさせていただきました」
「人情、ねえ」
鼻を鳴らし、私たちの見立ては次の通りよ、と前置きして横山が告げる。
「あなたはこれまで訪問先に行く度に盗みの下見をしていた。訪問のヘルパーなら、近隣を走り回っていても誰も不思議に思わないし、見知らぬあなたが家に入っていっても、訪問ヘルパーが来たと勝手に解釈してくれる。そうして、いくつもの盗みを成功させてきた。けれど、指紋を残す、というミスを犯したことに気づいた。早急に大金をまとめて逃げなければならない。あなた、つい最近パスポートを取得したそうね」
「ええ。有休が溜まっているのを上司から怒られまして。今度まとめてとることになったので、この機に海外旅行でも行こうかと」
「国外逃亡を計画していた、の間違いじゃないの? 海外に逃げるため早急に大金が必要になったあなたは、訪問先の真我里家に目を付けた。足が付くのを恐れ、訪問先ではなく近隣を狙っていたが、時間がないため真我里家に盗みに入った。カードキーで侵入し、どこに何があるかも完璧に把握していたあなたは、寝室にある金庫の場所も知っていた。智也氏の目となり耳となっていたあなたなら、暗証番号も教えられていたはず」
「はい。教わりました。銀行振込とかも頼まれますので」
「金庫から金を盗み出したあなただが、智也氏に気づかれた。彼は介護を必要としているが意識も記憶もはっきりしている。証言の信ぴょう性は疑うべくもない。問い詰められたあなたは、目撃者である智也氏を殺害するに至った」
どう? と横山は楯川をねめつけた。楯川は表情一つ変えず、相変わらず人差し指でこめかみを掻いている。いや、内心焦っているはずだ。指紋という決定的な証拠がある。実行できるのも彼だけという状況証拠もある。動機については横山たち警察の推測になるが。
楯川がこめかみを掻くのをやめ、ふう、と息を吐いた。落ちた。横山は内心そう思った。
「ありえません」
「何が?」
早く自白してしまえ。そう期待しながら椅子に座りなおした横山の鼓膜を、それこそありえない言葉が震わせた。
「俺が犯人であることは、ありえません」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます