死への恐怖
━━━ああ、そうか。
だから、刀が通らなかったのか。
気持ちの悪い喉に引っかかった小骨のような感覚が、すぅっと溶けたような。
そんな感覚。
しかし同時に、僕は信じたくないという思いにも襲われていた。
僕は生きてる。
だから、生きていたい。
“あのとき”にはなかった、生存していたい願う本能。
…“あのとき”?
“あのとき”ってなに?
突如湯水のように溢れ出したのは、“あのとき”だった。
なにかのストッパーがはずれたかのように、思い出した。
大量に、重い記憶が。
一気に流れ込んできて、情報を集めすぎた携帯が熱くなるかのごとく、僕は体力と精神を消耗した。
がくん、視界ごと崩れる。
「…あ、あああ……」
「クミ!?」
いきなり倒れ込んだ僕に戸惑うカレンの声。
そんなのよりも、ちがう、ちがうと僕の全本能が異常なまでに否定していた。
僕は、生きてる。
生きてるさ。
思いだす。
ぬめぬめとした光を放つ刃物が、眼前に飛びかかる瞬間を。
思い出す。
刃を冷たいと思った感触を。
溢れだす。
血と肉と命たち。
どうして、忘れてたのか。
疑問に思うほど思い出せた。
「…ちがう、生きてる!」
とっさに出たは、意外にも否定。
認めたら、認めたら。
「バカなことを言うな!」
━━本当に、死ななくちゃならなくなる。
そうおもって、驚いた。
人間って、本当に醜い。
こんな一瞬で死んでることを半ば認め、そして保身に走れるとは。
だってそうだろう。
こいつらは警察。
間違いなく、もう一度僕たちを殺すのだ。
秩序のために。
とっさに殺されるのと、死ぬと意識して殺されるのとでは、全然恐怖が違うらしい。
「視えてた、ということはやはり感受性が強いようですね」
「…なんかしたのかぁ、御先」
「意図的にこの子が閉じ込めてた記憶を放してあげただけです。
あなた様と違って忙しいので、話は早い方が効果的ですから」
「ま、1人にしか効いてないみてぇだけどなぁ」
「…ちっ」
「御先ー、行儀悪ぃぞ?」
僕の保身なんか露ほども興味がないのか、予想内なのか。
彼らはのんきに会話をしていた。
「ちょっと…どうしちゃったの!?クミ!」
「……」
全く事態が追いついてないカレンはしきりに疑問だけを並べた。
僕だけか、この状況は。
「あたまがいいのなぁ、お前」
黒庵さんが倒れ込んだ僕に近づいてくる。
もう殺す気なのか。
そう思うとお腹の底から恐怖が込み上げてきて、全くちがう人にみえてきた。
思わず身を起こして尻だけで移動し、後ずさる。
「ははっ、そこまで考えてんのかぁ
すげえや、そこのお二人さんも少しはお勉強しろ
まあもう無駄だけど」
怖い、あまりにも彼が怖くて吐きそうだ。
「そこまで露骨に怖がられると、俺様サドだからいじめたくなっちまうな」
愉悦を浮かべて、近寄ってくる。
黒い霧でも纏ってるように、僕には恐怖の塊にみえた。
「っ、に、逃げろ!カレン!ヒナちゃん!」
何もわかってないだろうカレンたち。
説明とかより先に、逃がす方が先だと判断した。
「ククッ、いいこと教えてやろうか」
「…っ近寄んな!あっち行け!」
後ずさる、しかし、尻ごときでは彼の長い足は、いともたやすく追いつかれてしまう。
耳元まで来て、恐怖に目をつむった。
あの変幻自在の謎な刀で、彼は僕を殺すのだ。
嫌だ、と身を固まらせ━━━しかし、僕に刺激を与えたのは耳だけだった。
「…落ち着け、まだ殺す気はねぇよ」
思いの外優しい声音。
先ほどのドSとは全くちがう、まるで娘にかけるかのような。
仰天していると、ぽんっとまた頭を撫でられた。
「悪かったなぁ、つか考えすぎなんだよ
…言ったろ、お前らには同情もしてんだ」
“すまなかったな、気付いてやれなくって”
やけに悲しそうに、そう言ったのを思い出した。
「…安心しろ、さすがに娘と変わんないてめぇらをいきなり叩き切ったりしねぇから」
「…てことは、いつか切るのか」
「悪ぃ」
「……」
オブラートに包むことも、表面上の否定もなかった。
そのおかげで、というのは皮肉なのだろうか。
僕は随分と受け入れられた。
落ち着いた。
今すぐではないことの安堵なのだろうか。
それとも、それを含めた彼の優しさだろうか。
「…よしよし、怖かったな」
なでなでなで。
髪の毛をわしゃわしゃと撫でくりまわされ、そのまま押さえつけるようにぽんっとまた手のひらを頭頂部に置いて。
「御先ぃ、てめえもうちょっと子供との関わり方を考えた方がいいぞ?
頭いいから変な風に受け取られて、怖がられた」
「……申し訳ありません。
子供がいない身ですので」
「…いいわけには採用しねぇぞ」
僕から離れながら、彼らはそんな会話をしていた。
呆気にとられていたカレンとヒナちゃんが僕のもとへ駆けてきて、身を起こそうとしてくれる。
「ど、どうしたんですか?
いきなり…」
「ごめん、取り乱しすぎたんだ」
心配そうに見つめてくれるヒナちゃん。
安心させて、事情を話さねば。
制服の臀部についた土を払いながら立って、カレンたちと目線を同等にする。
「…あのね、落ち着いて聞いて欲しい
僕は落ち着けなかったけど、だからこそ。
僕たちは、辻斬りにとっくに殺されてるんだ」
僕の言葉に、二人は顔を見合わせて。
「…さっきもそんなことを言ってたけど、私たち足もあるし…信じらんないんだけど」
訝しげな目で見られて、少し戸惑う。
やっぱり、驚いたり倒れたりしないことから、カレンたちは記憶を思い出してないらしい。
僕だけなのか。
記憶から見るに、僕はカモくんを庇った形で切られた。
ということは、視えてた故に助けた僕に巻き込まれる形でカレンたちは切られたのか。
……罪悪感。
カレンは僕がカモくんを助けようと駈け寄らなければ死なずに済んだのかもしれない。
ヒナちゃんは通行人で、もっと僕が足止めしてたら切られずに済んだかもしれないのに。
悪いのは暴走した辻斬り、されど。
「……」
どうしたら、彼女たちに死んだ旨を伝えられる?
僕のように記憶を思い出せたなら、話は早いのに。
考えあぐねてると、助け船が入った。
「…クミの言う通りだ。私が君たちを殺した」
久しぶりに面を上げたカモくんだった。
静かに泣いていて、涙でぐしゃぐしゃになった面を隠すこともせずにしゃくりあげる。
…幼いな。
泣いてる姿は、本当に幼い。
「…本当、なの?信じられないんだけど」
「だって手も足も透けてないし、みんなに見えてますし…」
ようやく信じ始めた。
しかしまだ疑心暗鬼らしい。
「…君たちは幽霊ではない
死体の傷口を無理やり塞いだ体に、霊を入れただけだ」
「……つまり、血肉が通ってる体じゃないってことですか…?」
「そうだ」
ぐい、と袖口で涙とかを拭いながら。
「…偽物だ、私よりかはマシだが」
はっきりと、死んだということを告げた。
そして彼は、握られていたミサキさんの手を振りほどいて僕たちの前へ歩んでくる。
危機感を覚えたミサキくんが構えようとして、黒庵さんがまた制した。
いきなり、土の上へ座る。
そしてそのまま体を地面へ━━土下座をした。
「……どうすれば、いい?」
詰まった声が子供らしくて驚く。
表情は見えないが、止まりかけていた涙が出てるのは明らかだった。
「答えてくれ、私はどう責任を取ればいい?」
「…え」
カレンが困ったように声を出した。
「……カレン、君は最初、自分たちは将来があって暇じゃないからと断ったよな」
「あ…そういえば」
「あれがどれだけ辛かったことか」
ぐ、と土を巻き込んで拳を作る。
「私のせいだ…私が将来を奪った…!
その体も命も、全部私の未熟さゆえ…!!
どうすれば許してもらえる!!」
どこにそんな声があったのかと問うような声だった。
腹の底から出したのは、自分を責め続ける本心。
「ずっと…ずっと謝りたかったんだ…
だから無理やり生かさせた…
ごめんなさい……謝って済むことじゃないが、本当にごめんなさい…」
すすり泣く声。
責める人も出ず、しばらくカモくんのしゃくりあげる声だけが響いた。
…ずっと、苦しんでたんだ。
彼は彼なりに考えて行動したのに、僕らを巻き込んでしまった結果に。
「…そんな風に謝れたら、責めらんないじゃん…」
カレンがそう呟くと、つられるようにヒナちゃんも口を開いた。
「まあヒナたちが自分で行動したんですし…全責任があるってわけじゃないと思いますよ」
「そうだな、今更ごねたって生き返るわけじゃないし」
「…許さないでくれ」
しかし、返答はおかしなものだった。
おおよそ想像してたのとは全然違う返しに、疑問がたくさん生まれた。
「ここで許すな…責めてくれ!
“もっと生きたかった”って!
じゃなければ私は…!あまりにも酷すぎる!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます