第7話
閉じている眼を光が刺激する。瞼では防ぎ切れない光が僕の意識を覚醒させた。寝不足な気もするけれど、それでもここの空気は気持ちがいい。周りの木々は緑を身にまとっているし、その木々の間を心地の良い風が通り抜けている。ここは森林の中だ。いつもは苦手な昆虫たちも、今だけはきれいに見える。
しばらく風を感じていると、寝ぼけていた頭がすっきりしてきた。そういえば、一緒にいるはずの有馬さんがいない。なんで気付かなかったんだ。
周りを見回しても有馬さんの痕跡は見当たらない。確か昨日の夜は隣で寝ていたはずだ。遠くまで行っていないことを願いながらあたりを探す。
周りには木々ばかりで目印もない.どこから探すか自分の勘で決めるしかなかった。またここに戻ってこられるように印を残しておこうか。もしかしたら有馬さんが気付いて追ってきてくれるかもしれない.切れ味がよさそうな石を持ってきて、かりかりと木に丸印を書いておく。この印が必ず目印になるという確信はないが、ないよりは自分の心に余裕ができる。さて、歩き出そう。
サクサクと足音を鳴らしながら足を踏みだす。僕の歩いた後には苔で足の跡がついている。一人で歩くのは心地いい.しかし,ともに少し寂しいと感じる。いつもは隣に有馬さんがいたから、なおさらだ。
太陽が真上に昇ってきたらしい。日の光が葉っぱをすり抜けて足元まで落ちてきている。少しのどが渇いてきた。水辺を探そう。もしかしたら、有馬さんも水を探しに行ったのかもしれない。
森林の中で水辺を探すのはとても難しい。果実があれば少しでも水分は補給できるのだが、ここには生えていない。布があれば,足に巻き付けて歩き回ることで,草についている露を取る方法があるが、あいにくそんな布はここにはない。ズボンは湿っているが、あいにくデニム素材であるため,水を搾り取るには適さないだろう。
水を求めて歩いていると、少し開けた場所に出た。大木を中心に、澄んだ水が流れている。手ですくって少し口に含む。おいしい。夢中になって飲んで、息をつく。無我夢中で水を飲んでいたせいで先客に気付かなかったようだ。地面からせり出している根っこの上からじっとこちらを見ている。狼だ。少しあせた白の毛に、白い瞳。目を合わせないようにしながら後退する。後退すると同時に軽やかな動きで狼が降りてきた。
僕の方に歩いてくる狼に敵意はないようだ。近づいてきてふんふんと僕のにおいをかいでいる。
「人間だ。久しぶりにみた」
僕の周りをぐるぐる回りながら物珍しそうに狼が言う。
「なにしに来た?」
僕の目前に戻ってきた狼は僕に尋ねた。
「人を探してるんだ」
「そうなのか」
狼は周りをかぎ始めた。
「人間のにおい、特徴的。だけど、ここら辺にはいないみたい」
このあたりにはいないようだ。
「ありがとう」
「いい。はやくどっか行け」
狼にとって、人間のにおいはあまり好みではないようだ。でも、次はどこに行こうか。僕はまた歩き始めた。
起きた時は心地よかった木々のさざめきも時間がたつごとに煩わしくなってきた。少しも周りの景色は変わらない。変わらない風景と変わらない状況に、僕は警戒心が薄れてきていた。そのせいか,自分の腰ほどある茂みを通るときにどんっと何かにぶつかってしまった。
「いてっ」
「ごめんなさい」
とっさに退く。声の主は背中に斑点模様がついた子鹿だった。
「気を付けてよね」
「ほんとごめん」
「なんでここに人間がいるんだよ」
「いや、人を探してて…」
「ここら辺にはいないよ。もしいたとしたら,ぼく,ここにはいないもん」
「なんでわかるの?」
「なんでってどういうこと?」
鹿の行動範囲は50~100ヘクタールだという。縄張り意識だろうか。でも,目の前にいるのはどう見ても子鹿であるけれども。
「わかんない」
「人間って不便だね」
「どのあたりににいるかわかる?」
「そこまではわかんないよ。お母さんならわかるかもしれないけど」
「お母さんは?」
「会いたいの?」
行ってみようか。
「うん。それで手掛かりがつかめるなら」
「んー。僕はいいけど」
ついてきて。と言って子鹿が迷いがない足取りで歩き始める。
「もうそろそろだよ」
なぜこの森の中を迷わずに進めるのだろう。この小鹿の言うように人間は不便だ。
「かあさん」
一匹の鹿がこちらを向いた。少し警戒するように僕を見つめている。
「誰なの、この人間は」
「なんか人を探してるんだって。かあさんならわかるかなって」
母鹿は僕を見つめながら言う。
「ここから北の方に行ったところにいるわ」
「そっか。ありがとう」
「わかったらどこかに行ってちょうだい」
「わかったよ」
今は子育ての時期。母鹿は群れを離れて行動する。子供を自分だけで守らなくてはいけないため、大変な時期だろう。
北を知る方法は木の年輪を見るのが有名だろう。太陽で方向を知ることもできるが、森の中でうまく太陽を見ることができないためあきらめる。
あたりを探すと朽ちた老木が立っていたので、木に印をつけてきた石で幹を切る。幹がそんなに太くなくてよかった。途方もない時間がかかってしまうところだった。
年輪の幅が狭い方が北だったはずだ。南側は太陽に多く当たるから北側より成長幅が大きく、年輪の幅が大きくなる。僕の両親がキャンプ好きでよかった。まあ、キャンプ好きと言っても山の中で野宿するようなものではなく、キャンプサイトでテントを張って一晩泊まるようなものだけれど。でも、それだけでも子供の頃はわくわくして楽しかったのを覚えている。大きくなってからも楽しいことに変わりはない.
北の方に歩いていくと、大きく開けた場所に出た。野原が広がっている。やっと太陽が見えて、少しだけ気分が晴れた。ここにいるのだろうか。ここにいなかったらどうしよう。もう会えないんじゃないか。
一通り野原を回ってみたけれど、有馬さんはいないようだった。ここにもいないとなると、もっと北の方に歩いて行ったのだろうか。いや、もしかしたら東や西側に逸れたのかもしれない.母鹿から話を聞いて時間が経っている.また、八方ふさがりになってしまった。
「困っているのか」
急に声をかけられて体がこわばる。後ろを振り向くと、黒いスーツを着た男性が立っていた。あまりにもここになじまない恰好なだけに声を出せないでいると。
「困っていないのか」
と歩み去ってしまう雰囲気だったから、
「困ってる」
と声を出した。誰かはわからないし、何か解決策を知っているかもわからないが、一人でいるよりはましだと思った。
「そうか。困っているのか」
「人を探しているんですけど、なかなか見つからなくて」
「森の中で人を探すのは難儀だっただろう」
「知りませんか?僕と同じぐらいの女の子なんですけど」
「ああ、知っている」
「ほんとですか!」
鹿たちや、狼も知らないことをなぜこの人が知っているのかという疑問はあったが、それよりも、ようやく会えるのかという期待の方が大きかった。
「案内しよう」
すると、男性は東の方に歩き始めた。すたすたとなんの迷いもなく男性は歩いていく。
「なんで場所がわかるんですか?」
男性は少し沈黙した後に、答えた。
「見えるんだ」
「見える?何が?」
歩いた足跡とかだろうか。だとしたら、それだけサバイバル経験がそれだけ豊富なのだろう。
「まあ、そんなもんかな」
「え?」
「...歩いた足跡とか、だよ」
少しの沈黙の後、男が言う。
「もう少しだ」
「え?」
風が強く吹き目を閉じる。水の音が聞こえて目を開けると、目の前には川が流れていた。
「秋山君?」
「有馬さん?」
やっと見つけた。有馬さんは川の向こう側に立っていた。
「そっちに行くよ」
川は浅いようだった。濡れることは避けられないが、流れが速いわけでもないから、渡れないほどではないだろう。ばしゃばしゃと川の中を歩いていく。
「気を付けて!」
そう有馬さんが叫んだとき、視界が一気に下がる。自分でもわけがわからなく、足を動かす。足が重い。浅いと思っていた川は、真ん中の方から深くなっているようだった。服がまとわりついてくる。僕が最期に見たのは、おぼれる僕を助けようと川に入ってくる有馬さんと、川辺で立っている無表情の男の姿だった。
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夢に住む人へ。 Scent of moon @twomoons
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