第5話
「そろそろ起きないと」
体を揺さぶられて、目を開ける。有馬さんが僕のことを起こしてくれたようだ。
「今何時?」
有馬さんはもう着替えて準備万端という感じで僕を待っていた。
「8時20分」
「8時20分か」
8時20分。8時、20分。
「20分!?」
「そうだよ」
やばい、やばい。これはやばい。いつもならもうちょっと早く起きて髪のセットとか教科書の準備とかできていたのに。急いで服を着て、歯磨きをする。
「ぎりぎりだから先行っててもいいよ?」
僕の寝坊で有馬さんまで遅刻させるわけにはいかない。
「待ってる。こんな経験もないからさ」
教科書、ノート、パソコン。パソコンの充電は半分ちょっとといったところか。まあ、空き時間で充電できるからいいだろう。あ、今日はバイトの日だ。いや、一回家に帰ってからバスに乗ろう。今は1限に間に合うかどうかの瀬戸際だ。そんな準備をしている暇はない。
「有馬さんは出れる?」
「全然いける!」
鍵を持って玄関を飛び出す。
「先に下行ってて」
戸締りを忘れずにして階段を駆け下りる。下で待っている有馬さんはこの危機的状況があまりわかっていないようだ。
「走るよ。荷物貸して」
有馬さんの荷物と自分の荷物を手にもって走り始める。荷物を持っていないにしても、有馬さんは速かった。信号に捕まることなく大学の正門まで着く。今は35分。教室までは正門から少し距離がある。5分あるからといって気を抜いたら間に合わない。
「5分あるね」
「でも、教室までちょっと遠いから」
速足で構内を歩く。遅刻あるあるで、周りに人がいなくて焦るというのがあるが、今の僕の心境はまさにその状態だった。なかなかここまでギリギリに家を出ることが少ないから、人がいない状況に慣れない。
「友達が前の方しか席空いてないって」
最悪だ。まあ、まだ見えるところに席があるだけましか。たまにどこが空いてるのかわからなくて探し回ることがあるから。そうなると本当に恥ずかしい。遅刻しなければいいって話ではあるけれど。
今日が一階の教室の日でよかった。上階だったら駆け上がらなくてはいけなかったところだ。
教室に入るとほんとに前しか席が空いてなくて、授業中の内職はあきらめるしかなさそうだ。資格取得のための勉強はこの時間はできないな.
「前しか空いてないね」
「まじでごめん」
有馬さんはいつも真ん中の方に座っているから、今日の席は不満だろう。
「いや、逆に寝なくていいから全然OK」
確かに、こんなに先生の前だと寝ようにも寝れない。
『寝坊か?』
いつも近くに座っている友達からチャットが来る。
『そそ。前の席きつい』
『ドンマイだな。てか、有馬さんと一緒に来たけど,もしかして?』
『なわけ.俺が付き合えると思ってる?』
『ほんとかあ?だって、有馬さん、いつもなら授業始まる20分前には絶対来てるんだぞ』
『なんでお前がそれ知ってるんだよ』
『ノーコメント』
さすがに昨日自分の家に泊まったとは言えないだろ。
「中間テストが昨日までで締め切りだったんですが、提出のし忘れ等何かありませんか?」
先生が授業を始めた。この授業は中間テストと期末テストで単位が決まるから、テスト前は真面目に勉強しなければならない。中間テストはレポート形式だったので、寝る間を惜しんで完成させたものを早めに出しておいたはずだ。
「出されてなかったら、単位落とす可能性が高いから、遅れてでも提出するように」
先生の長々とした授業が終わり、空きコマになる。自分が所属している工学部は2年になったらキャンパスを移動する。だから、自分の学科の棟なんてこのキャンパスにはない。だから、空きコマの時間をつぶせる教室が少ない。ないわけではないけど、あまりに少ない。
有馬さんはいつも一緒にいる友達と早々に教室を出ていった。有馬さんたちも空き教室を探すのだろう。
「俺らどうする?」
「空き教室?」
「最悪図書館だな」
図書館にはグループで使える、貸し出し用の部屋がある。2時間しか使えないけど、貴重な空き部屋だ。何にしろ早く決断して探さないとどこも埋まってしまう。
「そしたら、早めに学食行っちゃう?」
「もう空いてんの?」
「わからん」
「11時からだろ」
「今何時?」
「10時半前」
「まだじゃん」
「じゃあ、近くのファミレス行く?」
「いいね」
授業は2限が空きコマで、3限まで十分に時間がある。ファミレスに行くとしてもこの時間なら大丈夫だろう。
大学を出てファミレスに着いた。僕はいつも頼むものが決まっているから、みんなが決めるのを待つ。
「ドリンクバー頼む?」
「いや、別に長くいるわけじゃないんだし、いらない」
大体みんな頼み終わって。運ばれてくるまで雑談をする。
「まず水持ってこよ」
みんなに水がいきわたり、他愛のない会話が始まる。
「サークルでさあ…」
「まじ!?」
「今日、祭り行く?」
「俺めんどくさいから行かない」
今日祭りがあるのか。やっぱりサークルとか部活とか入っていないとそういうイベントなどの情報が入りにくいから、ちょっと不利だ。
「秋山は行くの?」
「いや、行く人がいないからいかん」
「誰か誘えよ」
「なんでだよ」
「面白いから」
第3者で聞ける恋バナほど面白いものはない。恋バナは他人事だから笑っていられるのだ。当事者にはなりたくない.
「別に面白くないだろ」
「恋しないような秋山に」
「春が来てほしいんだあ」
「うっせ」
そんなことを話しているうちに料理が運ばれてきた。おなかが減っていたので、すぐに食べ終わってしまった。自分でも食べる速さがほんとに早いと思う。高校の時の文化祭で部活のみんなで早食い大会に出たが、当時高校1年生だったのに決勝戦まで勝ち上がってしまった。あの時は周りが先輩たちばかりだったので、居心地がとても悪かったのを覚えている。
ひとりひとりと食べ終わり始め、時間もいい具合になってきた。
「そろそろ帰るか」
「そだね」
別々にお会計をしてもらい、店を出る。店の中が温かかったから、少し外が寒く感じた。ひんやりとした空気が流れている。
「まじ3限だるくね」
「それな」
「出たくないわ」
いつもの会話だ。授業が始まる前にはいつもこの会話が始まる。
みんなの会話を聞いていると、携帯が震えた。チャットだろうか。バイト先だったらいやだなあと思いながら電源を入れる。
『今日さ、バイト入ってる?』
有馬さんからだった。シフトの記録表を開いて確認すると、今日はオフの日だった。
『いや、入ってないよ』
『じゃあ、今日お祭り行かない?』
有馬さんから誘われることなんて考えていなかったから、少し思考がフリーズした。
「秋山どうしたん」
「なんでもない」
これはみんなに知られると、めんどくさいことになる。質問の嵐だ。絶対に授業中もチャットの通知が止まらないだろう。
『友達とは行かなくていいの?』
『秋山君とも友達のつもりだけど?』
『まあ...』
『あ、もしかして行きたくないとか?』
『そんなことないけど』
『じゃあ、大丈夫そ?』
『わかった。行こう』
『お祭り始まるの何時だかわかる?』
『確か5時半から出店とかは出てるって聞いたよ』
『私、授業終わるの5時半なんだけど、秋山君は?』
『俺も5時半』
『じゃあ、授業終わりに落ち合うってことでいい?』
『了解』
『はーい』
スタンプが送られてきて会話が終わる。祭りなんて行く予定なかったのに、結局行くことになってしまった。友達に有馬さんと歩いているところを見られたら、やばいじゃないか。チャットの怖いところは、あんまり考えなくても会話が成り立ってしまうから、後々のことを考えない場合が多いことだ。
というか、女子と二人で祭りに行くなんてほとんどデート、いや、もうこれはデートと言っても過言ではない。デートなんて数回しか行ったことないし、そもそも最後に行ったのは何年前なのか。
授業が1コマ1コマ終わっていく。いつもはつまらない授業を聞いて、時間が過ぎるのは遅かったのに、今日はいつの間にか授業が終わる時間になっていた。心の奥底では今日の祭りを楽しみにしているのだろうか。5限目なんて、いつもより心臓がうるさかったし、先生の話なんて一時も聞いていなかった。いや、聞けなかったという方が正しいか。
ドキドキしながら、授業を受けているとチャットの通知がなった。
『5時半って言ったんだけどさ、ちょっと寄るところあるから、少し遅れても大丈夫?』
『全然大丈夫だよ』
『ありがとう』
僕も一回帰って荷物を置いてこようか。教科書をずっと持っているのも肩が疲れる。最近バイトで重いものを持ちすぎているせいなのかはわからないが、肩甲骨の付け根が痛い。ふと気づいたら痛くなっているので、何か対策をしようとしてもできないことが難点だ。
「帰ろうぜ」
「でも、すぐわかれるじゃん」
バスで帰る友達に一緒に帰ろうと誘われる。
「え、今日バイトじゃないの?」
「違うよ」
「いつもなら一緒に帰れるのに。秋山を頼りにしてたのに」
「一人でも帰れるだろ。甘えんな」
「秋山君…。ひどい…」
「気持ち悪い声出すな」
少し速足で家に帰る。とりあえず財布とスマホぐらいがあればいいだろうか。一応モバイルバッテリーも持っていこう。
『秋山君、今どこにいる?』
『今家だから少し待ってて』
思ったより早く有馬さんからチャットが来る。今日の服は朝急いで着たものだから、少し着替えよう。肌寒いからジャケットを着る。コートを羽織っていこう.
『今から行く』
ダッシュしているスタンプを送って、家を出る。
『学食前にいるね』
有馬さんは荷物はどうしているんだろう。うちに置いておいた方が動きやすいよな。一応、チャットで聞いておこう。
『荷物は大丈夫?』
『友達の家に置かせてもらったから大丈夫』
『わかった』
チャットで会話しながらも学校への足は止めない。信号をぎりぎりすり抜け、正門まで走る。今日二回目のダッシュに運動不足の体が追い付いていかない。運動不足なのは自覚しているので、ランニングでも始めようかといつも思うけどなかなか手を出せない。家にいることが快適すぎて、外に出たくないと思ってしまう。
『そろそろつくよ』
正門を抜けたら、学食はすぐそこだ。多分もうそろそろ有馬さんが見えてくる。肺が痛くなってきた。
『あ、見えた』
手を振っている有馬さんが見える。
「急に誘ってごめんね」
息を整え、顔をぱたぱたと仰ぐ。多分今自分の顔は真っ赤になっている。いや、走っただけの理由じゃない気がする。
「全然大丈夫。てか、浴衣すごい似合ってるね」
有馬さんが少し遅れるといったのは浴衣に着替えるためかもしれない。白い生地に赤い椿の模様。帯は紺に黄色の紐。髪の毛はいつもおろしているのに、今日は上の方でまとめられている。
「ありがとう」
嬉しそうに有馬さんが笑う。
「駅の近くだよね?」
「そうそう」
確か駅の近くの広場みたいなところで出店をやっているはずだ。
「じゃあ、バスで行く感じだね」
「歩くには遠いよね」
大学前のバス停まで移動してバスが来るのを待つ。この時間はもう大学生も帰った後だし混んでるということはないだろう。
「かき氷あるかな?」
「でも、寒くない?」
「お祭り行ったら食べるって決めてるの」
「俺は綿あめ食べたい」
「意外だね」
「なんで」
「フランクフルトとか、焼きそばとかそこらへんがくると思った」
「男子だからって、そういうのがいつも食べたいわけじゃないんだぞ」
「お、そしたらパンケーキとか好きなタイプですか」
「普通においしいでしょ」
有馬さんとの会話は絶えない。この前まではあまり話したことがなかったのに、不思議だ。あっという間にバスが来る時間が来て、乗り込んだ。有馬さんを座らせて、自分はその横に立つ。さすがに、隣にすわるのは気恥ずかしすぎて無理だ。
駅に近づくほどに歩いている人が増えていく。お囃子の音も聞こえ、祭りに来たんだという気持ちにさせてくれる。
「次だね」
「わかった」
次のバス停で降りて少し歩けばもうお祭り会場だ。みんなお祭り目的で載っていた人が多いらしく、小銭をじゃらじゃらといじる音がしている。
続々とバスを降りる人に続いて僕たちもバスを降りた。提灯が歩道を明るく照らしている。小さいころからお祭りに行くとドキドキする。祭り独特の雰囲気。今日の今だけは普段の悩みを忘れて楽しめる。何もかもを忘れて、はしゃげる。
「どこから行く?」
「最初はあったかいものからでしょ」
「あ、じゃがばた食べたい」
「いいね」
二人で屋台の間を歩き回る。じゃがばた、フランクフルト、焼きそば。祭りとか、食べ歩きというものはいくらでも食べられてしまうから、怖い。いつもならおなか一杯になってしまう量でもぺろりと食べてしまう。
「あ、こんなところに神社なんてあったんだ」
「俺も全然知らなかった」
広場を少し抜けた先に小さな神社があった。
「お参りしてく?」
「ん、いや、しなくていいよ」
「なんで」
「なんか、なんとなく?」
「その理由はなんだ」
有馬さんがけらけらと笑う。いつもならお参りするけど、今日はしたくない気分だった。明確な理由があるわけではないけれど。
「じゃあ、綿あめとかき氷食べる?」
「そうだね。花火までまだちょっと時間あるから、買ったら少し移動しよう」
綿あめとかき氷を買ったあと、有馬さんを連れてお祭り会場を離れた。
「どこ行くの?」
「俺のバイト先」
バイト先の先輩に屋上から花火がきれいに見えるという話を聞いたのを今思い出した。まあ、今日出勤の比ではないけど許してくれるだろう。
マネージャーに話して、屋上のカギをもらう。お客さんに見られないように屋上に入る。もうすこしで花火が始まる。今年の夏は花火を見る機会がなかったから、楽しみだ。
「ちょっと寒いね」
有馬さんが言う。浴衣は意外とあったかいかと思ったがそうでもないようだ。
「俺の上着貸すよ」
漫画みたいなシーンでちょっと戸惑う。でも、漫画の登場人物みたいにかっこいいセリフは吐けないけど。
有馬さんにジャケットを着せて、綿あめをほおばる。いつもより食べるのが速いのは少し恥ずかしいからと言い聞かせ,氷を口に運ぶ。有馬さんのかき氷は少し溶けかけていて、しゃくしゃくと食べていた。イチゴのシロップがいつもよりピンクに見える。
食べ終わった後、二人は無言で花火が上がる方の空を見つめていた。何を話すわけでもなく、スマホを見るわけでもなく、ただ夜空を見ていた。
長くて短い時間が過ぎ、ふとスマホの時計を見る。
「もう時間だね」
「もうそんな時間なの?」
すると、空に一つの光の線が打ちあがった。腹に響くような音の後、火の花が夜空に咲く。先輩が言った通り、屋上からは花火がよく見えて、今までで聞いたことがないほど音が大きかった。
「うわあ。今までで一番音が響いてくる」
有馬さんが驚いたように言う。
「ほんと。こんな腹に響いてきたことないよ」
重い音が鳴りやまない。どうやら最後のスターマインに入ったようだ。1時間ほどの短い花火大会だったが、それでも1時間ずっと飽きずに僕たちは夜空の花を見続けていた。
「終わっちゃったね」
「なんかいつもより時間が速かった」
「1時間立ったなんて信じられない」
僕たちは少しだけ花火の余韻に浸って。
「そろそろ帰らなきゃね」
「そうだね」
少しここから現実に戻ると考えると悲しくなりながら、自分の家に帰ってきた。最近、と言っても二日だけだけど、有馬さんとの距離が近くて意識してしまう。こんなに自分は惚れやすい男だったのかと思うほどだ。これがほんとに惚れているということなのかわからないけれど。ただ、一緒にお祭りに行って、自分の部屋で一緒に寝て…。意図せず鼓動が大きくなる。こんなこと考えてないで寝よう。ずっと考え続けてしまう気がする。
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