第3話

 音がくぐもって聞こえてくる。いつもより体が少し重く感じて目を開けてみると、周りには水しかなかった。水しかなかったというのは語弊があるかもしれない。というのも、水の中には町があり、人々が暮らしていたからだ。いうなれば、いつもなら空気があるところが水に代わっているということだ。でも、普通に息はできるし、体は動かしづらくても、軽いというか、重力が少ないというか、ジャンプすればいつもより高く飛べる。

 あと、いつもと違うところと言えば、空には魚が泳いでいるということだ。鳥もいないわけではないが、ペンギンのように、泳ぎに特化している体つきだ。そのほかはまるっきり自分が普段暮らしている世界と変わりなかった。

 俺は自分の住んでいる部屋に向かった。水の中を進むのは空気の中を歩くより疲れなかった。ただ、少し気になったのは、ひらひらした服を着れないということだ。Tシャツとか歩いている途中に上に上がってきてしまう。でも、まだ男子はいいが、問題は女子の皆さんだ。スカートは履けない。Tシャツも気を付けなくてはいけない。この世界では男性と女性のファッションはあまり区別がないようだった。

 部屋の中にも水に満たされている。まあ、この世界にはたぶん空気の中で生活することがないのだろう。本は大体電子機器で読めてしまうし、その電子機器も耐水性だ。まあ、当たり前だろうか。だから自分の家にあったはずの漫画などがなくなり、机の上にタブレットのような機械が置かれていた。

「いつ帰ってきてたの?」

 有馬さんが奥の部屋から顔を出す。今起きたようで、目は完全には開いていなかった。

「今」

「お帰り」

 へへと微笑みながら有馬さんが言う。水の中では日の光が届かない。この世界に日の光があるのかもわからないが。そのため、光が欠かせなくなってくる。人々が暮らしている場所の上には膜のような発光体がかぶせられていて、朝になったら明るくなり、夜には暗くなるようになっている。

「今何時?」

 まだ目をこすっている有馬さんが聞く。

「もう昼だよ」

「まじか。私の半日飛んで消えてった」

「そうだよ」

「てか、もう大学終わったの?」

 この世界にも大学はあるらしい。

「今日何曜日?」

「水曜日」

「さぼった」

「やば。不良じゃん」

「普通だろ。これまでは真面目にいってたから一回ぐらい行かなくても大丈夫」

「私も今日はさぼりました。てか、気が付いたらさぼってた」

「じゃあ、どっか行く?あと半日あるし」

「行く」

 いつもならしない提案を夢の中では平然とする。

 少し身支度を整えて、有馬さんを待つ。さっきまではパジャマだったし、少し時間がかかるだろう。机の上の電子書籍を開き、小説を読み始めた。よくある主人公が捨てられて、そこから大逆転劇を引き起こす物語。みんなはもう飽きてきたというけれど、俺は全然気にしないで読めてしまう。自分では経験できない世界で、こんなにキャラクターを動かせるなんてとてもできない。

 そもそも小説を書くこと自体、とんでもない量の文章を書かなくてはいけないわけだし、表現がそんなに浮かばない。だから、表現を書けるようになるためにノートを作っているわけだけれども。

「もう出られるの?」

 服を着替え終わった有馬さんが部屋から出てくる。

「だって、一回は大学行ってるから」

「ちょっと待っててね」

「はいはい」

 あとは、メイクと髪をセットすれば終わりそうだ。水の中では髪の毛は浮いて、ライオンみたいになってしまうから、大他の人がまとめてポニーテールか、みつあみなどでまとめ上げてしまうかのどちらかだ。たまに、ショートカットで、髪があまり崩れない人がいるが、なんでなのかは定かではない。

「終わった」

「いける?」

「うん」

 準備が終わり、家を出る。どこに向かうかは決めていない。行きたい方に行こう。

 水の中では歩幅を合わせるというのが難しい。かといって、泳ぐのも疲れるし。手をつないだら、それも解決なのだろうが、僕たちはそんな関係ではない。

「どこ行きたい?」

「行きたいとこなんて、すぐぱっと出せない」

「まあ、そうだよね」

 歩き続ける。まだ、今は夕方と呼ぶには早い。時間はまだまだある。

「ここら辺は何もないからなあ」

 ほんとに何もない。観光地でもないし、都会にあるような遊べる場所もない。

「こんなこと言ってると、公園しかなくなるけど?」

「公園は夜のほうがいいでしょ」

 今の時期、紅葉がきれいで、湖の淵の並木道ではライトアップが行われている。

「夜も歩くなら、少し休めるとこ行こうよ」

「どこだよ」

「あそこさ」

 そういって指さしたのは家の近くにある山の山頂。近くにあるといっても、30分ぐらい歩かないとつかないけれど。

「そこに行くまでがたいへんじゃないか」

「大丈夫!まだまだ時間はある」

 時間はあるって。まあ、今日が終わるまではまだまだだけど。

 二人で山のふもとまでくる。山には木々が生えていて、その間を魚が悠々と泳いでいる。紅葉がきれいだ。

「登山道あるらしいよ」

「今から登山かよ」

「そうだよ。元気出して。やる気出して」

 歩きやすい靴で来てよかった。意外と石も多いし、勾配がある。

「大丈夫か」

 言い始めたのは有馬さんのはずなのに、僕よりも疲れている。

「これでも、高校は運動部だったんだから」

 ぐっと足を踏み出して有馬さんが言った。

「その割に疲れてるみたいだけど?」

「体力専門じゃなかっただけ」

「休憩する?」

「しない!」

 いや、休憩した方が絶対いいと思うんだけど。まだ、ここで中間ぐらいだぞ。

「俺がしたい」

「しょうがないなあ」

 近くにあった座りやすそうな石に腰かけながら有馬さんが言う。

 平日だから人が全然いない。紅葉時期だからもっとおじいちゃんおばあちゃんが上りに来てると思ったけど。

「そろそろ行く?」

「行く」

 あと半分だ。頑張ろう。

 頂上に向かうほどに坂は勾配をなくしていった。有馬さんは歩きやすくなって、ちょっとは元気になったようだ。

「もうちょっとでつく?」

「たぶんね」

 この山には上ったことがあるから覚えている。この道なら、もう20分もしないうちにてっぺんが見えてくるだろう。

「お、見えてきた」

 ちょうど夕方になるころだろうか。周りを赤い光が照らしている。

「頂上だ」

 この山からは町が見下ろせる。自分が通っている大学も、自分の家も、公園も全部見える。そのすべてが赤い光に照らされている。風を感じることはない。だけど、すごくさわやかな気分になった。

「こっちこっち」

 有馬さんが呼んでいる。少し、下ったところにベンチがあるらしい。

「休憩スポット兼めっちゃ景色がいいスポット」

「こんな景色がいいって知ってたの?」

「一応ね」

 前に来たことはあるけれど、小さいころだったし、こんないい景色が見れるなんて知らなかった。

 夕日が沈んでいって、夜が刻々と訪れ始めている。そんな長い時ここにいた気はしない。まだ星は見えないけれど、もうそろそろ一番星が見えるだろう。そろそろ降りなければ。

「降りようか」

「そだね」

 すると、有馬さんは何かを探し始めた。何か落としてしまったのだろうか。でも、暗くなってきたし、見つかるか難しいところだと思うけれど。

「何か落とした?」

「いや、え?」

 あり得ないという顔で僕を見てくる。僕も落とし物を探せということだろうか。

「なんで突っ立ってるのさ」

「いや、なんか探してるから」

「自分の分は自分で探してよね」

 何を探せというのか。

「私はもう見つけたからね」

 そういって見せてきたのは少し大きい石。

「持ち帰るの?」

「役目が追わったら捨てるよ」

「そうなんだ」

 ちょっとわけがわからないと思いながら、元来た道を歩き出そうとする。

「いや、歩いて降りるつもり?」

「それ以外何があるんだよ」

「あるから言ってるんでしょ」

 有馬さんが自分が持ってる石を同じくらいの大きさの石を僕に渡してきた。結構重い気がする。

「はい、これ持って」

「いや、俺、石集める趣味とかないんだけど」

「別に私も石集めてるわけじゃないよ」

 すると有馬さんが昇ってきた道と反対方向へ歩きだす。

「いや、ちょっと待ってよ」

 僕は今から有馬さんがやろうとしていることに気付いて声をかけた。

「そんな焦んなくても大丈夫だって」

 焦んなくてもって。焦るにきまってる。

「ほら、秋山君もこっち来て」

 そういって手招きしている。僕が躊躇していると、

「何?怖いの?そっかあ」

あからさまに煽ってきている。

「怖くはないけど」

 僕の悪いところはつまらないとこで意地を張ってしまうことだ。

「じゃあ、できる」

 有馬さんの隣に立って、下を見る。いや、高い。そんな高い山ではないといわれていても、山であることに変わりはない。

「一緒に飛ぼう」

「一緒だとぶつかるかも」

「大丈夫」

 有馬さんは楽観的だ。

「ケガしても知らないからな」

「最初ビビッてたのはそっちでしょ」

「ビビッてないし」

「秋山君は意外とチキンなんですね」

「うるさい」

 手に石を持って飛ぶ準備をする。あぶないと思ったら石を手放せば速度は下がるだろう。

「いける?」

「うん」

「おけ」

 いける、いける。絶対いける。と、自分を励ましていたら、なんの合図もなく有馬さんが飛び出した。

「え、ちょっと」

「早く飛んで!」

 せかされて僕は足を踏み出した。はるか下の方で有馬さんも落ちている。水が頬をかすめていく。怖いよりも爽快感のほうが上回って、きもちいい。ジェットコースターに乗っているようだ。いや、ジェットコースターよりも、あの、落ちるアトラクションみたいだ。

「うっひょーい」

 下から声が聞こえてきた。女子なのになんて声上げてるんだ。

 意外と落ちるのは早かった。落ちる感覚に身をゆだねていたら、地面はもうすぐに迫っていた。落ちる直前で石を手放して足をつく。

「楽しかったでしょ」

 正直楽しかった。

「普通かな」

「素直じゃないな」

「そろそろ行かなきゃ」

「うん」

 二人で公園に向かって歩き出す。この暗さだと、もうライトアップは始まっているだろう。ライトが水の中でぼんやり光っているのが見えて、足が速くなった。

 湖に着いて、遊歩道を歩く。湖と言っても、魚の群生地のようなものだ。水の湖の境目がないから、どこからが湖なのかがわからない。

「きれいだね」

 紅葉した木々はライトに照らされて、暗いなか浮かび上がっているように見えた。

「ねえねえ、こっちでお祭りやってる」

「まじ?」

 確かに、提灯が連なっているのが見える。小さい祭りのようで、出店は手で数えられるほどしかなかった。それでも、お祭りというだけでテンションは上がるもので。小さい子たちがはしゃいでいるのが見えた。

「行ってみようか」

 そう、有馬さんに声をかけ、お祭り会場に入る。

 かき氷、フランクフルト、ラムネ、ヨーヨー。小さい頃はよく、金魚すくいがやりたくて駄々をこねていたのを覚えている。ただ、世話できないでしょと親に言われ、させてはもらえなかったけど。

「かき氷食べる?」

「食べよ」

 かき氷は、50円という安さ。最近のかき氷は1000円とか破格の値段で売っているから、50円に驚く。でも、普通そんな高くないよな。

「何味にする?」

「ブルーハワイ」

 いつもきまってブルーハワイだった。メロンと迷って、結局ブルーハワイにするのが定番の流れ。

「はいおまち」

 有馬さんはいちごにしたらしい。

「ちょっといる?」

「え!?」

 ということは。もしかして。か、間接キス!?と思っていたら、ストローのスプーンでピンク色の氷を自分の皿に乗せられた。だんだん色が混じって紫色になる。ちょっとがっかりしながら、ピンク色のところをすくって食べる。よく、かき氷のシロップは色だけ違くて味は一緒なんだよって言われるけど、ちゃんと味は違うことがわかる。でも、イチゴかと聞かれるとやっぱ違うけど。

 祭りの雰囲気に包まれながら歩く。奥の方には神社が建っていた。

「おみくじでもしようか」

 社の横に小さく置かれていたおみくじを二人で引いた。あまりよくはないけど、悪くもない結果だ。

「お参りしてこ」

 有馬さんに言われて、5円玉を探す。5円玉は財布の中にはないようだ。似ている50円玉でいいかなと思ったけど、ふと以前なんかの記事で『似ているからと言って50円玉は使ってはいけない!?』みたいな感じのを読んだから、10円玉にする。

 お賽銭を投げて、鈴を鳴らして、手を鳴らす。今日は何をお願いしようか。いつもは彼女ができますようにとか、成績が良くなりますようにとかをお願いしていた。今日は…。

 急に息が苦しくなる。ごぼごぼと口から空気が漏れ、体が重くなる。心臓の鼓動が速くなり、視界がかすんで暗くなっていく。有馬さんが駆け寄ってくるのが見えたのを最後に、僕は目を閉じた。

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