02話

「んーむ、何故か帰る気にならない」


 教室でずっと過ごしているのに飽きる気配がない、動きたくない。

 別に銀牙と喧嘩をしたとか銀相手にやらかしたとかそういうことでもないのに駄目だった、いっそのこと完全下校時刻までゆっくりするのもありかもしれない。

 ちなみに初日だけではなく銀に興味を持ったままの素子は放課後になるなりすぐに消えた。


「まだ残っていたんですか」

「今日は帰る気にならなくてここでゆっくりしていました」


 この人の名字も名前も覚えていない、でも放課後に残っているとたまにこうして来ては話しかけてくる。

 教師としては絶対に言わなければならないことなのかもしれないが私達はもう高校ニ年生のわけだからいらないと思う。


「急に変わってこの後雨が降るみたいです、濡れてしまう前に帰った方がいいです」

「心配してくれてありがとうございます」

「とにかく、早く帰ってくださいね」


 帰る気にならないから仕方がない、そうしたくなるようなきっかけがないのだからぎりぎりまで残るだけだ。

 それでもじっとしていたら眠たくなってきた、変な場所というわけではないから寝てから帰ろうと決めて任せた。

 で、何故か目を開けたときには外にいたことになる。


「だから何故気軽に触れてしまえるのだ」

「早く帰ってこないすいが悪い」

「教室に来た人間が言えばおかしくはないが来なかった人間が言うのはおかしなことだな」


 はぁ、心臓に悪い、流石の私でも気づけば別の場所にいたら驚く。

 むかついたから後頭部を叩いておいた、ちゃんと声をかけてから、本人に求められたらするべきことだろう。


「自分で歩く、下ろせ」

「……嫌だ、言うことを聞いたりはしないぞ」

「はぁ、こういうことを繰り返していれば嫌われて当然だな、貴様のそれは積極的に動けているというわけではない」

「そんなのどうでもいい」


 これか、本能が嫌がって帰らないようにしていたのか、だが続ければ続けるほど彼が頑固になる可能性が高まるということだ。

 でも、変な風にならないように合わせるというのも微妙だ、どうすればいい……。


「おい銀、家の前でなにをしているんだ?」

「一人で寂しかった」

「なるほどな、でも今回はすいが悪いから俺を責めないでくれよ?」


 一応礼を言って部屋に移動する、それからさっさと制服から着替えてベッドに寝転んだ。

 一人っ子というのはそれはそれで楽だったということだ、いまのままだと自由に残ることもできない。


「すい、入りますよ」


 こっちはこっちで頑なに敬語だし、上手くいかないことばかりだ。


「素子とはどうだったのだ?」

「今度遊びに行く約束をしたんです」

「ふっ、素子は変わらないな」


 ついでにそのまま銀や銀牙を貰ってくれはしないだろうか? どうせ父も母もこちらを放置してきているわけだからいなくなっても構わないだろう。

 というか何回も言っているように初めぐらいは付き合うべきだ、私達がある程度は問題なくやれるようになってから仕事に集中するべきだった。

 働いてくれているからこそ云々はいま関係ない、再婚することを選んだうえに子どもがいるということであればしっかりやらなければならない。


「すいにとってそういう男の子はいないんですか?」

「いるぞ、いま銀の後ろにいる男だ」

「兄ちゃんのそれは違いますよ、寂しがり屋で構ってほしいだけなんです」


 構ってもらいたいなら普通に近づいて普通に話しかけるべきだった、注意をしても変わらないのであれば注意をすることすら無駄なのかもしれない。


「素子のは違うと?」

「はい、ある程度は異性といたので分かるんです」

「自信がないと言っていた銀はもういないのだな、寂しいものだ」

「自信がないのはいまも同じです」


 怖い怖い、それなら自信を持てたらもっと変わるということか。

 だが兄と違って距離感を間違えているわけではないから問題はないか、一時間ぐらい授業をしてやってほしいと思う、残念ながら「勉強をやってきますね」と帰られてしまったがいつかしてもらいたいものだ。


「銀牙、ちょっと来い」

「……なんだよ」

「何故貴様が不機嫌になっているのだ?」


 こっちが自由にされた側なのだから勘違いをするべきではない。


「当たり前だろ、叩かれていい気分になる人間はいない」

「そのきっかけを作ったのは貴様だ」

「でも叩いたら悪いのはすいだろ」

「でもと言うのは自覚しているからではないか」

「はぁ、その前にきっかけを作ったのはすいだろ」


 小学生がそのまま高校生レベルの身長になってしまったようにしか見えなかった、簡単に言うと呆れてしまっている状態だ。

 上手くやっていける自信が完全になくなった、つまり私達の相性は悪いということだった。


「一ヶ月ぐらい話すのはやめよう」

「はっ? なんでだよ!」

「少なくとも貴様が同じようにやり続ける限りは一緒にいたくない。ふっ、貴様としても面倒くさい女といなくて済んでありがたいだろう?」


 食事も登下校も一緒にしない。

 なに、彼にとっては銀がいるのだから問題はないはずだった。




「あ、こんにちは、昨日は濡れませんでしたか?」

「こんにちは、はい、濡れることはありませんでした」

「それならよかったです、冬でなくても風邪を引いてしまうかもしれないですから」


 教師は「特に用もないなら早く帰ってくださいね」と言って歩いて行った。

 絶妙な距離感だ、早く帰らせようとする点についてはしつこいがそれ以外では相手が気にならないように上手くやっている。

 男の教師ということで女子生徒に話しかけるときには気をつけているのもあるかもしれない。


「うわ、またすいに話しかけていたね」

「私だけというわけではないだろう?」

「ううん、すいにばっかり話しかけているよあいつ。気をつけてね、油断していたらあっという間にやられちゃうよ」


 こちらの手を掴んでから「男なんてみんな変態ぐらいの認識でいいんだよ」と過激なことを言っていた。


「はは、銀もそうなのか?」

「あ、銀君は例外ねっ、あんなにいい子はいないよっ」


 気に入ったときに全てがよく見えてしまうのもそれはそれで問題だと言える。

 それなら気に入らない方がいい、そうすれば危険なことには繋がらない。

 だからあの選択は間違っていなかったわけだ、まあ何故か銀とまで話せなくなってしまったがどうでもいいと片付ける。


「素子も気をつけてくれ、なんでも口にしていたらいつ敵ができるか分からないぞ」

「そうだね、気をつけるよ」

「ああ、じゃああそこに銀がいるから行ってこい」

「ほんとだっ、行ってくるっ」


 面倒くさいことになったなと呟いて窓の外に意識を戻した。

 昨日の夜と違って晴れてくれてはいるがどうにもすっきりしない、出会ったばかりの相手に自由に言われたというわけではなく言った側なのに駄目みたいだ。

 でも自分からやっぱりなしにしてくれないかなどと言うような人間ではないため、当分の間はこれと付き合わなければならないことになる。

 そういうのもあってやらなければならないことがある授業中というのが救いだ、残念な点は集中しているだけで早く終わってしまうことだけだった。


「そういえばあの変態男も来なくなったね」

「友達ができたのだろ――なんだ?」


 表情で揺さぶる作戦は私には効かない、が、ついつい止めてしまったことになる。


「本当に? すいって嘘をつくとき左を見ながら話す癖があるんだけどいま左を見ていたよね?」

「勝手に人の癖を作るな、本当にそうするようになったらどうしてくれる」

「もしそうなったら分かりやすくていいね」


 自分が分かりやすく存在する意味などない、自分を知ってほしい人間だけそうやって存在していればいい。

 それなら銀牙のアレも分かってもらいたいからしているということなのだろうかと考え込んでしまって「話を聞いてよ」と怒られてしまった。


「沖田、俺もいいか?」

「いや、銀君ならいいよ」

「そう言うなよ、参加させてもらうぞ」


 これは私と仲直りするためではなくて素子に興味を持ったからだということが話しかけるのをやめないところを見て分かった。

 完全に無視をすることができないらしく嫌そうにしながらも相手をするところが面白い、続ける彼もすごかった。


「もう、なんなのこの子……」

「普通のことをしているだけだ」

「……ま、やらかしたこと以外は別に悪いわけじゃないけどさ」

「そうか、ありがとう」


 さ、流石に簡単に影響を受けすぎではないだろうか? 私の友はここまでちょろかったのかと驚くことになったためトイレということにして離脱、それからは邪魔にならないように個室にこもる。


「やっべーんだけどっ、まじ漏れちゃうってっ――あっ、出てくれてさんきゅー!」

「すまない」

「や、いいって、じゃなくて入るわっ」


 手を洗うついでに鏡で確認をしてみたらつまらなさそうな顔をしている女がいた、誰がどう見ても近づきにくい人間なのに素子はよく来てくれているなと笑う。

 最近で言えばろくに知りもしない物好きな男が来ていたがまあそれももう終わるだろうからおかしな人間リストに加える必要はない。


「最近なんか無性に冷えんだよね、あんたはどう?」

「私は問題ない」

「そっかー、じゃああたしだけの問題かー」

「運動不足なんかも影響しているのではないか?」

「あー、あたし運動とか嫌いだからなー、体育とか毎回休みてーって思ってっし」


 休みたいか、体育のときにそう感じたことはないな。

 いまなら家以外の場所にいたいと強く思う、あそこはもう心休まる場所ではない。


「つか隣のクラスの……えっと、すし? だっけか」

「すいだ、大千すい」


 寿司か、たまには一人で食べに行ってもいいかもしれない。

 教室で無限に時間をつぶすということはできないからどうしても出るわけで、だがうろちょろしていても大していいことはないから店などを利用する。

 美味しい食べ物が食べられれば複雑な内側もなんとかなるだろう、その状態でこそ気持ちよく帰れるというものだ。


「ああ! 沖田って元気な子といるよね」

「ああ、素子とはそれなりに一緒にいる――待て、手を洗わなくていいのか?」

「や、あ、忘れていただけだかんね? いつも洗っていないとかそういうことじゃねえから!」


 いいのか、そこで慌てるとそのようにしか見えてこないが。

 ただ彼女の言動と行動はいまの私にはありがたいものだと言えた。




「美味しいな」

「マグロ食べようぜマグロ」

「銀牙」

「お、初めて名前で呼んでくれたな、それでどうした?」

「すまなかった」


 無難にやるということができていなかった、だから謝罪をした。

 もちろん学校に残るということをやめるつもりはないし、自分から話しかけるつもりもない、だがちゃんと前に進めておけば問題にはならないということだ。

 何故そう言い切れるのかはこれまた素子が相手のときもやってきたからだ、他者から言われたことよりも自分が実際に行動をして得られた答えの方がよっぽど力になってくれる。


「じゃあやめてくれるということか?」

「やめない」

「なんでだよ」

「貴様達が来てからあの家は心休まる場所ではなくなったのだ」


 ニ貫ずつ乗っているから三皿だけでも十分足りる、そういうのもあって会計を済ませて外に出た。

 残念だったのは雨が降っていたことだ、窓があるにはあったが席からは見えなかったから気づけなかった。


「待てよ」

「貴様達が来てからと言ったが貴様達が悪いわけではない。同じ被害者だ、寧ろ転校することになった分貴様達の方がそうだと言えるな」

「転校もしていないのに被害者ってことは結局俺達のせいってことじゃねえかよ」

「そう聞こえたか? だがこれは私の問題だ、だから気にするな」

「とにかく傘を買ってくるから待っていろ!」


 傘なんかどうでもいい、明日はまだ平日だが風邪を引いたのなら休めばいい。

 意味もなく公園に寄ってベンチに座る、放課後になってからすぐに出たから雨でもそこそこ明るいのはよかった。


「あれ、こんな偶然もあるんだなー」

「家が近いのか?」

「うん、あそこがあたしの家だから、あ、ちょっと寄ってかない?」

「じゃあ少しだけ寄らせてもらうことにしよう」


 たまたまに頼って時間をつぶしてきっと怒っているであろう銀牙に会わないようにしたい。


「はい」

「ありがとう」

「はぁ、家ってやっぱり落ち着くよねー」

「いい場所だな、ここでぼうっとしているだけで楽しめそうだ」


 こうして逃げ出せるような場所があればどんなに楽だったことか、でもそこは素子がいてくれればいいと片付け生きてきてしまった自分が悪いで終わってしまう話だ。


「ぼうっとしてんのに楽しめるって意味不明、それに一人じゃ寂しいでしょ」

「別に他の誰かといたがっている人間を否定するつもりはないぞ」

「そもそもあんたには沖田がいんじゃん、一緒に過ごせばよくない?」

「素子はいまある男子に夢中でな、邪魔をしてやるのも可哀想だろう?」


 仮にこちらにその気があっても「明日でいい?」と言われてしまうだけだからこれでいい。


「そんなの怖いだけでしょ、ずっとそんなことを続けていたら人は残らないよ」

「どうした、雨だからマイナス寄りになっているのか?」

「あんたはあたしを知らないだけでしかないよ」


 知らないことばかりだ、知っていることの方が少ない。

 それでも求めすぎなければなんてことはない人生でも楽しめる、きっと最後にはよかったと言えるはずだ。

 自分が満足できているのであればそれでいいわけで、変わろうとする必要性はないのではないだろうか。


「ただいま」

「ごめん、もう帰って」

「ああ」


 慌てていた割にはその人物がこちらに顔を出すこともなく階段を上がって行ってしまったから挨拶をすることもできなかった。

 声音的に女性であることは分かったが妹か姉か母か、少なくとも上手くいっていないことだけは――いやただ単純に見られたくなかっただけなのかもしれないものの、気になることがあるということだ。


「母親か」


 あの二人の母は結局まだ見られていないし、私を産んだ親は早々に消えた。

 でもなにも思い出というやつがないわけではない、それこそ自分が小さい頃はよく相手をしてくれていたものだ。


「ただいま」

「おかえりなさい」


 そういえば濡れていたというのにあの女子はよく誘ってくれたなと今更気づいた、私もそのまま甘えてしまったが申し訳ないことをしてしまったことになる。


「兄ちゃんならいまお風呂に入っています」

「そうか、教えてくれてありがとう」


 わざわざ煽るようなことをする人間ではないから奇麗なタオルで拭いて部屋に移動して床に座った。


「すい、いるんだろ」

「ああ、いま帰ってきたのだ」

「入るぞ」


 さて彼はどうするのか。

 正直、ここで叫ぶようであれば私のそれはもっと酷くなる、常に叫ばれていたら落ち着いていることなどできないから仕方がない。


「濡れてんじゃねえか、先に風呂に入ってこいよ」

「いや、先に言いたいことを言えばいい」

「……どうせ大人しく残っていないと分かっていた、だから怒ってはいない」

「ああ」


 怒ってはいないが別の感情を抱いたということであればありがたい、さっさと飽きてくれるのが一番だからだ。

 そうすれば彼らがいてもこれまでと同じように生きることができる、誰からも否定されずには難しいかもしれないが自分が楽しめているのであればいいと先程も言ったように片づけることができるのだ。

 だがいまのままではそれができないから困っているわけで、半分ぐらいは諦めつつも半分ぐらいは期待してしまっている状態だった。


「でもさ、それでもなんか違うだろこういうのは」

「何故貴様は私に拘る、素子でも他の女子でもいいだろう?」

「家族だからだろ、なったばかりでも母さん達が離婚しなければずっとこのままなんだから」

「家族か、よくすぐに受け入れられるものだな」


 同性だったらなどと考えても意味はない、また、それならそれで出た新たな壁にぶつかっていただろうから距離を置けばいい分いまの方が楽だ。


「分かった、絶対にしないと誓うから許してくれ、触ったりしなければいいんだろ?」

「注意をしてからすぐに似たようなことをした貴様に本当にできるのか?」

「できる、やる、いられなくなるぐらいならな」

「なんでここまでしなければならないと違和感を覚えている自分もいるのだろう?」

「いないよ、あ、一緒にいられないことの違和感はあるけどさ」


 風邪を引いたら馬鹿らしいから彼の言う通りお風呂に入ってくることにした。

 着替えを持って洗面所へ、中に入ったら突っ立っていても意味はないから服を脱ぐ。


「っくしゅっ、早く入ろう……」


 自分の体を見たところでメリットはない、それより湯舟につかることが優先されることだった。

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