第38話『変異』

「でも忘れないでちょうだい。もしも助けるという理由で卑猥なことをするというのなら、私はあなたを殺す」

「わかっている」


 そんな、目に見えないナイフを突きつけられなくたって、そんな悪徳療法なんかじゃない。


「それで、まずは何をするのかしら。治療法がわからないのでしょう?」

「そうだな……手を握ってみるとか?」

「あなた、殺すわよ」

「違う違う、そんな下心をもって触れるんじゃない」

「ならその理由を説明しなさいよ。舞はね、世界一可愛いのよ。私より可愛いからって、こういうタイミングを利用しようって根端なんでしょ」


 僕はため息を吐いた。

 まず自分を美人と言われる類に含まれていることを自覚したうえで、妹を可愛いといっているのもあるし、世界一可愛いとかどんだけ妹馬鹿なんだよ」


『主様も大概じゃがの』

『そうか? 衣月ちゃんと小陽ちゃんは本当に世界一可愛いんだぞ?』

『はぁ……やれやれじゃ』


 僕はなんのことを言われているのかわからなかったが、悠長にしていられない。

 一度目を閉じ、前進に意識を集中させる。


「な、なにそれ」


 僕の手から光が発し始めたのが伊地に見えたらしい。

 目を開け、説明をする。


「まあ、これが祓魔師っていうことだな。この光は『気』と言われていて、これを霊とか怪異に打ち込んだりするんだ」

「と、驚いてみたけれど、実は少しだけ知っていたわよ」

「なん……だと」

「いつだったかは憶えていないのだけれど、あなたが道端で壁に話をしているのを見掛けてね。その時、後ろからだったけれど、薄っすらと見えたのよ」

「な、なるほどな」


 身に覚えがある。

 なんてないある日に、通学路の途中で女の子の霊と会話をしていた。

 伊地が言っているのはたぶんその時のことだろう。

 新しい土地だったからとはいえ、少しばかり不用意だったな。


「これを今から、妹さんに流し込む」

「……心底不愉快ね。その得体の知れない『気』だかなんだか知らないけれど、あなたのものが私の大切な妹の中に入ると想像しただけで吐きそうだわ」

「その物言いだと、【黒霊病】よりよっぽど僕の方が病原体みたいな扱いだな」

「違うの?」

「違うわいっ」

「ごめんなさい。私も今、物凄く不安なのよ」


 その気持ちはわからなくもないが、それで全ての暴言が許されるわけではないぞ?


 だがまあ、言葉以上にその不安そうに視線を下げる表情が物語っている。


「にしてもよく眠ってんな」

「そうね。……まるでこのまま目が覚めてしまわないんじゃないかって思ってしまうほどに」

「不吉なことを言うな」

「そうね……ごめんなさい」

「じゃあ始めるぞ」


 僕はすやすやと気持ちよさそうに眠る妹さんの右手を握る。


『どうなると思う』

『こればかりは妾も未知数じゃからの。じゃが、正直なところ言うと、望みは薄いと思うの』

『……だよな。宮家のようなものとは違って、僕の力は底辺だからな』


 ……ん、待てよ。


「伊地。妹さんの黒い痣はどの程度まで広がっているんだ」

「……それは、答えなくてはいけないのかしら」

「すまない。嫌な記憶を思い出させることになるが、僕には少しでも情報が必要なんだ」


 僕は最初から大きな勘違いをしているかもしれない。

 女子が二人でこんなところまでお散歩をしていた、というのなら焦る必要もないのだが、これがもし取り返しがつかない程まで病状が進行していたのなら、話が変わってくる。


「……背中全体。そこから、両腕の裏側まで広がっているわ」

「な、なに?!」


 だから、こんな半袖でも外に出れそうな天気模様の日に長袖を着ていたのか。しかもこんなに汗をかいて。


「すまない。腕をまくらせてもらっても良いか」

「……うん」


 焦りつつ、ゆっくりと袖をまくる。

 と、そこには想像を絶する光景があった。

 黒い痣、というよりは、黒く焦げているようになっている。

 これが、背中全体にだと……?

 こんなの僕にだってわかる、これは取り返しのつかない段階まで進んでしまっている。


「どうしてこんなになるまで放置していたのか。と言いたそうね。でも、仕方ないじゃない。誰も、誰にも頼れないのだから」


 僕がそれを口に出さないのは、その気持ちがわかるからだ。


「どうせあなたには少ししかわからないでしょうね。両親が居て、すぐ誰かに助けを求められそうな性格をしていそうだし」

「……僕は、生まれて一度たりとも両親の顔を見たことがない」

「え……一度も……? ……ごめんなさい」

「そんなこと、今はどうだって良い」


 そうだ、今そんなことを議論している暇はない。

 何か手はないのか。


『絶、吸血姫っていうぐらいなんだから、何か吸い出すとかそういうのはできたりしないのか』

『うーむ……まず試したことがないからの。じゃがその場合、妾が今すぐに体を具現化させることになるが』

『それはできるだけ避けたいな。こんな状況で意地を張っている場合ではないのかもしれないが、伊地を信用できない』

『そうじゃの』


 今僕にできるのは、こうして『気』を微弱ではあるが送り続けること。

 そして、絶の力による再生。加えて、護ること。

 笑えてくるな。

 これしかできないというのに、誰かをこうして救おうっていうんだから、あまりにも無力すぎる。


 何か手はないのか……何か……。


 そうこうしていると、妹さんが動き出してしまった。


「……ん? あれ?」

「あら舞、おはよう」

「おはよ~う。と、これはどういう状況なのかな?」

「初めまして。僕はお姉さんと同級生の、瓶戸天空っていうんだ」

「よ、よろしくお願いします。握手って思ったら、もう握手してますね――って、うえぇ!? 手、手が光ってる?!」


 状況を知らずにこの光景を見たら、そのリアクションになるだろうな。


「とりあえず、僕はキミの病状を治すためにここへきた」

「そうなんですね! あ、ありがとうございます。じゃあ私は動かないでじっとしていた方が良いですよね」

「そういうことになるね」

「わ、わかりましたよぉ。私は体を起こさずにこのまま静かに寝たままでいますよぉ。私は良い子ですから、言うことはちゃんと聞きますよー!」

「ふふっ、舞ったら緊張しちゃって」

「わわわわわ、お姉ちゃん! 言わないでよぉ」


 このやり取りを見て、本当に仲睦まじい関係性だというのがすぐにわかった。

 あの冷徹だと思っていた伊地が、この妹さんとの会話で、極自然に笑っている。

 それに、この姉にしてどんな妹かと思っていたが、本当に普通の気さくな女の子なんだな。


「ごめん。こんな時だから、名前で呼ぶのを許してほしい」

「そんなこと、気にする必要はないわ。だけど、どうせあなたは私に『さん』をつけようとしているだろうから、それも不要よ」

「それは助かる。じゃあ舞さん、今のところの自覚症状を教えてくれないかな」

「体がすっごく熱くて、汗が止まらなくて、咳も出てって感じです」

「ありがとう。他にはないかな、背中ら辺に違和感があるとか」

「……そういえば、ここ数日はそんな感じだったんですけど、今日の朝ぐらいから背中とか腕の後ろとかがチクチクッと痛んだり、時々ズキンッてなることがあります」

「……なんでそんな大事なことを隠していたの」

「ごめんなさい。でもこれ以上、お姉ちゃんに心配をかけさせたくなくって」


 その痛みというのは初耳だ。

 ということは、さきほど予想した通りで症状が進行してしまっているということだ。


「もしかして、今もなのかな」

「はい、んっ」


 顔をしかめてしまうほど痛いというのか。

 その痛みをずっと……?

 守、キミの妹はお前が思っている以上にお前のことが大好きで、お前が思っている以上にお前のことを想っているぞ。

 とんだ両想いな姉妹だな。


 絶対に救ってやらなきゃ、な。


 しかし、情報が手に入ったところで、解決策が見つかったわけではない。

 ……どうするか。

 すると。


「痛い、痛いっ」

「ど、どうしたんだ」

「痛いんです。背中の辺りが何かで刺されているかのように、痛いんです!」

「舞!? 大丈夫なの?!」


 舞さんは体をよじり、悶え苦しみ始める。


「痛い痛い痛い痛い痛い! 助けてお姉ちゃん」

「大丈夫よ。私はここに居るから。耐えて、頑張って耐えて」


 僕は成す術なく手を放してしまう。


「瓶戸くん、何か手はないの!? 舞を今すぐこの苦しみから救ってあげて!」


 涙を流しながら苦痛に歪む顔を、僕はただ見ることしかできない。


「ねえ瓶戸くん! あなた言ったわよね、舞を助けてくれるって! ねえお願い、舞を助けてあげて……お願い……」


 手を握りながら泣き崩れる守を、僕はただ罪悪感と自分の無力さを噛み締めることしかできない。


 ――くそ。僕は本当に何もできないのか。気持ちだけじゃ、目の前の助けを求めている女の子一人を救えないっていうのか。力がない僕じゃダメだっていうのか!


「痛い痛い痛い痛い痛い――痛い痛い――いた……い……」

「え……舞、舞!? 舞! 舞ってば! ねえ返事して!」


 舞さんからの返事はなかった。

 守から手がするりと落ち、全ての終わりを告げた。


「ねえ瓶戸くん――嘘だと言って、こんなの現実じゃないわ。ええ、こんなのあるはずがないわ。そうよね瓶戸くん」

「……すまな――っ!?」

「かっはっ」

「舞!?」


 蘇生した……のか?

 だが、様子がおかしい。


「守、舞さんの心臓は動いているのか!」

「え、え? ――う、動いているわよ」

「なんだ、どうなってるんだ」

『おい絶、どうなっているかわかるか』

『わからぬ。舞とやらからはまだ命の灯を感じる。じゃが……もはや黒い匂いどころではなくなっておるぞ』

『どういうことだ』


 絶からの解答がある前に、それは起こった。


「あ……あ……」

「え……」

「守、離れろ。僕より後ろに、早くしろ!」


 僕は守の腕を強引に手繰り寄せる。

 いよいよ、【黒霊病】の真髄が姿を現した。

 舞さんの体は力尽きたようにダラッとしているのに、背から宙に浮き始める。

 そして、そこから漏れ出るように黒い靄が翼を形成し始めた。


 ……黒い天使、とでも言えてしまえそうな、そんな。あれが、【黒霊体】か。


『絶、どれぐらいヤバいと思う』

『最初から全力で護らなければ、死ぬぞ』

『だよな』

「守、動けるか」

「う、うん」

「じゃあ少しだけここから距離をとるぞ。何も話しかけるな、ただ言うことを聴け、じゃなきゃ僕と一緒にここで死ぬことになるぞ」


 守はただ頷き、目の前のただ浮いているだけの【黒霊体】から視線を外さず後ずさりをした。

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