第六章【ああ、僕が祓魔師だ】
第37話『疑問は確信になり、誠意をみせる』
スマホで時間を確認した後、豪邸のチャイムを鳴らす。
僕が伊地の家に辿り着いたのは一時ちょうど。
さて、出てくれるか。
「…………」
まあ、出てくれるわけはないよな。
出ない状況考えるならば……今押したところにスマホの一部についているカメラがある。
ということは、今僕の光景を安全地帯から高みの見物を決めこまれているか、そもそもチャイムが鳴ったとしても出ないと決めているか。
どちらにしてもこのままじゃ埒が明かない。
ここは強行突破するしかないか……。
『主様、微か匂いがする』
『どういうことだ? 【黒霊病】の症状がわからないからなんとも言えないけれど、進行度合いによっては風邪みたいだからってお出掛けでもしたっていうのか?』
『そんなのは妾に言われてもわからぬわい。じゃが、確実にここを通ったような感じに匂いが残っておる』
僕は現状をまるで理解できていない。
症状をちゃんと理解していないというのもあるけれど、そもそも伊地の妹は【黒霊病】がどこまで進行してしまっているのかがわからないんだ。
深刻な心持でここまで来てみたものの、もしかしたら本当に買い物とか出掛けられるぐらい軽症なのかもしれない。
前者であれば急がなければならないが、後者であった場合は急ぎ損だ。
いや……悪化してからじゃ遅い。
治せるのならば、できるかで早い方が良いに決まっている。
こんなところで立ち止まっていても仕方がない。
『絶レーダーには写せたりしないのか?』
『無理じゃの。そもそも前にも言ったが、妾の意思でやっているサービスではない』
『そうだよな。追いつくには少しばかり時間が掛かるかもしれないが、地道に歩いていくしかないな。絶、道案内を頼んだ』
『了解じゃ』
「えへへ、おんぶしてもらうの久しぶりだね」
「そうね。最後におんぶしてあげたのは――」
「憶えてるよ。私が小学校二年生の時だったよね。嬉しいことがあって、調子に乗って走り出したらズサーッと転んじゃって」
「おっちょこちょいなのは昔からだったわね」
「ぐぬぬ……否定はできない」
あの時は、とんでもないほど泣いていたわね。
耳がはちきれそうかと思ってしまったわ。
それに、汗やら涙やら鼻水やらよだれやらで私の背中はびしょびしょになってしまったのを憶えている。
今も似たような状況だけれど、不思議ね、今も昔も他人だったらすぐにでも逃げだすというのに、舞が背中に居るって思うだけで全然違う。
そして重くて腕が痛いけれど、背中に居るのが舞だって思うと不思議と頑張れちゃうわ。
「あ、この道じゃないかしら」
「もう着いたの?」
本当に懐かしい道。
なにか特徴があるわけでもない一本道。コンクリートで補装された道の横には草や野花が咲いているだけ。
今は誰も歩いたりしていないけれど、昔の記憶ではよく犬の散歩をしている人が居たような記憶がある。
だけど、今はこんなにも人気がない場所になってしまったのね。
目線を少し逸らすと、流れの緩い川と何もない野原。
遊具の一つもないけれど、それがまた良くて、のんびりした時間を温かい太陽に照らされながら過ごすのがまた心地良かった。
坂道の草の上に座って景色を眺めながら弁当を食べたり、野原に寝転がってお昼寝したり、川の近くまで行って石を投げこんだり。
そのどれもが今でも思い出せるぐらい新鮮で、大切な記憶。
「お姉ちゃんも疲れたでしょ。下に降りたら、前みたいに寝転がったりしようよ」
「そうね」
がくがくな足を必死に踏ん張って、階段を下りた。
そしてすぐに舞を逆へ下ろして同じく腰を下ろす。
ずっと前屈みだったせいで、妙に陽の光が眩しい。
「風邪も気持ち良いし、太陽も気持ち良いね~」
「本当ね。人目を気にしないなら、昔みたいにここでお昼寝するのもありね」
「いいね~。もしかしたら全然人が居ないみたいだし、寝てみちゃう?」
「もしもするとしても、舞だけね。さすがにこの年でこんなところで二人とも寝てたら、それを見た人に救急車を呼ばれかねないわ」
「ぷふっ、たしかに。大騒ぎになっちゃうね」
でも、それもありなのかもしれないわね。
考えたくもないけれど、これがもしも最後の外出になってしまうのであれば、舞がやってみたいことを全て叶えてあげたい。
横で顔を赤目ながら苦しそうにしている舞の頭を優しく撫でる。
「どうしたのお姉ちゃん」
「私は起きているから、舞は少しぐらいなら寝てみてもいいんじゃないかしら」
「え、本当に良いの?」
「ええ。こんな、陽の光がお布団みたいに温かくて、心地良すぎる風もあるのよ? これこそがお昼寝日和というやつよ」
「えへへ、じゃあお言葉に甘えちゃおうかな」
「それが良いわ。ゆっくりとお休みなさい」
この方向は……。
『絶、本当にこっちの方向で大丈夫なのか』
『間違いない。妾も少しばかり驚いておるのじゃ』
向かっている方向に覚えがある。
たった数日前に仕事できた場所。
普段は特に場所への思い入れはないけれど、あの場所は初めて死を予見した場所だ。
しかも絶の能力を初めて知った場所でもあり、絶を久しぶりに見た場所でもある。
情報量が多かったというのもあるが、それだけのことが起きた場所をそう簡単に忘れる方が無理だ。
あの屋敷跡地も同じく。
『しかし、既に十分は歩いているよな。この様子だと、本当に妹の方がピンピンしていそうだよな』
『……少し言い難いのじゃが、妾がこうして匂いを追えているのには明確な理由がある』
『薄々そうじゃないかって思っていたけれど、やっぱりそういうことなのか』
『そうじゃ。あの"黒い匂い"は以前より濃くなっておる。これが意味するところを知りはせぬが、かなり進行してしまっておると踏んでよいじゃろう』
『だよな……』
ったく。
今日は何一つ笑えやしない。
絶に言われるまで気づいていない振りをしていた。
そうじゃないでくれと、どこか期待していた。
目を背けていた。
こんなことをし始めて、こんなところまで来て、まだ覚悟が決まっていない。
情けないな。
もしも師匠がここに居たのなら、頬に張り手でもくらっていたのかな。
衣月ちゃんと小陽ちゃんの顔がよぎる。
伊地は今、誰にも相談できずに苦しんでいるはずだ。
……だけど、僕も今、誰にも相談できずに悩んでいる。
祓魔師としての仕事だっていうのに、これじゃあ誰に見られたって笑われちまうな。
『いいや、妾は笑わぬぞ』
『……』
『主様は他の者が持たぬ"心"を持っておる。他の者をあまり知らぬが、少なくともあの宮家というやつを見ていたらわかる。――主様は、相手に寄り添い、相手のことを想い、相手を尊重しておる。じゃからこそ、心が苦しいじゃろうが――じゃが、それは決して無駄ではない』
『ありがとう絶。……僕の心が弱っていたら、惚れていたぜ』
『そうなのかえ? 主様は、妾に見惚れておったのを忘れてはおらぬぞ?』
『そういえばそうだったな。僕はお前に見惚れていた。惹かれていた。それは間違いないな』
まさかな。
まさか最強の吸血姫様に慰めてもらえるだなんてな。
『絶のおかげで思い出したよ』
『おっ』
『僕は助けを求める相手を絶対に見捨てない。助けを求められるならば、僕は僕の全力をもって助ける。ただそれだけだ』
『かっかっかっ。それこそが妾の主様じゃ』
見覚えのある一本道に出た。
なんの装飾があるわけでも、家々が並んでいるわけでもないコンクリート道。
時折咲いている野花は、散歩なんかしていたら癒しポイントだろう。
こんな見晴らしの良い所に出れば。
『主様、下の野原に"匂い"が続いておる』
『わかった』
ここまで来れば、もはや自分の目で確認した方が早い。
僕は野原まで坂道を滑り降りて、視野を広げる。
すると、答えはすぐに見つかった。
少し離れている場所からでもわかるほど艶やかな黒髪を垂らす少女。
そして、その隣に寝転がる人物を目視。
こちらに気づいていないのを良いことに、僕はそちらへ歩き出した。
「よお。今日は天気が良くて気持ちが良いな」
「……何の用かしら」
ギロリッと、いつも以上に鋭い視線を向けられる。
「見てわからないのかしら。私は今、誰かと話せるような状況ではないの。わからない? 暇じゃないってことよ」
ちらりと隣に居る人物に視線を向けると、とても気持ちよさそうに寝ているようだ。
「そうだな。このまま話を続けるには妹さんが起きてしまう」
「……なぜこの子が妹だと知っているの。――もしかして、美勝さんの仕業かしら」
「一部そうであるが、森夏からはそこまで情報を聞いていない。僕にも妹達が居るんだ。年齢的には一つしか違わない」
「……そう、なのね。知らなかったわ、あなたに妹が居たなんて。ん、妹達?」
「ああ、妹達は双子でね。両方女の子なんだ」
妹さんは眠っているけれど、息苦しそうにしている。
長話をしている場合じゃない、早速話題に入らないと。
「伊地、頼むから答えてくれ。頭の良いお前なら、いろいろと勘づいているかもしれないが、妹さんは【黒霊病】を患ってしまっているな?」
「だとしたらなんだというの。あなたに関係があるのかしら?」
「ある、大いにある。信じてもらえないかもしれないけれど、僕は祓魔師だ」
「やっぱりそうだったのね」
「なんだよ、そこまで気づいていたのかよ。じゃあ」
「だからなんだというの? みるからに末端の祓魔師にしかみえないあなたに、一体何ができるというの?」
「そのことに関しては否定できない。実際に、僕は新米祓魔師だ。それに、【黒霊病】についての対処法を知っているわけでもない」
「ほらみなさい。そんな相手に、大切な妹を任せられると思うの?」
「……無理だな」
「ふざけないで。逆に考えてみなさい。あなたの大切な妹達がこんな状況になって、赤の他人に任せられるの? その後、一生会えないのかもしれないのよ」
「……」
僕はそのことに何も言い返せない。
「ごめんなさい。少しだけ言い過ぎたわ。でも、妹を持つ同じ立場ならば、わかるはずよね」
「ああ、そうだ。だから……だからこそなんだ。だからこそ、僕にお前の妹を助けさせてくれ」
「いい加減にっ――」
伊地の言葉より先に、僕は深く頭を下げた。
「その不安が理解できるとは口が裂けても言えない。だけど、僕だって考えた。考えまくった。もしも、僕の大切な妹達が同じ病になったとして、未熟な自分の手で救えるのか、誰かに預けられるのかを。――考えた。胸が苦しくても、必死に考えた」
「……」
「情けないよな。そんなに考えたところで、答えは出なかった。出せなかった。でも、これだけは言える。絶対に諦めなって、最後まで一緒に居てあげるって」
「そうよね。そこに行き着くわよね。なら」
「でも、僕には救える可能性がある力がある。だから最後まで諦めずに自分の力を信じる。助けたいって気持ちを絶対に絶やさない。そして今、僕は伊地の妹を助けてやりたい、助けたいんだ。どうかお願いだ。一度で良い、僕を信じてはくれないか」
僕は頭を上げない。
今、伊地に力一杯に殴られようが、蹴り倒されようが絶対に抵抗しない。
立てなくなったら土下座してやる。
「僕にお前に大切な家族を護る手助けをさせてはくれないか」
「――……わかったわ。あなたって意外と強情な人なのね。でも忘れないで、あなたも十分に理解していると思うけれど、もしものことがあったのなら、私はあなたを一生許さないから。もしかしたら、あなたを毎日殺しに向かうと思うわ」
「わかった」
許しが出たかのように、僕はゆっくりと顔を上げた。
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