第28話『あの日から、私が守ると決めたのだから』

 お風呂上り、居間のソファーで私達はいつも通りに髪を乾かす。

 なんら特別感のない、日常の一コマ。

 私が舞の髪の毛を乾かしている間、舞は「うわぁ、わあ」と奇妙な声を出している。


「え? なんて言っているのかわからないわ」


 ドライヤーの音で舞が何を言っているのかわからない。

 止めてしまった話を続けるのも良いのだけれど、こう、今のこの話しているのに話が通じていない感じがまたいいのよね。

 実際、こういう時って大体はどうでも良い内容だったり、痛いとか熱いとかそういう類のものだし。

 一旦停止。


「じゃあ交代かしらね」

「よぉーし、乾かしちゃうぞぉ」


 選手交代。

 これにはもちろん意味がある。

 時間を掛けて髪を乾かしたと思いきや、電源を切って元の位置に戻した後にまだ濡れていたなんてことはしょっちゅうある。

 それを防ぐために、一旦止めて濡れたところを探るついでに、乾かす側を交代すれば時間の無駄にならない。

 とかなんとか真っ当なことを並べて、こういう時ぐらいしか髪の毛や頭を触ったり触れられたりできないからっていう理由が九割ぐらいね。


「どぉですかお客様~」


 ふふっ、美容師さんになりきっているわね。

 お姉ちゃんはね、ちゃんと知っているのよ。

 あなたが将来の夢として掲げているもの、美容師。

 毎晩のようにファッションなんかを見ているのも、そこに載っているモデルの髪型やセットなんかを見ているのよね。

 こんな超能力染みたことを言っているけれど、寝落ちしている横にそんなメモ紙が何枚もあるものだから知っているのだけなのだけれど。


 ああ、このか細くて柔らかい指と手で頭を撫でられるのは心地が良すぎるわ。

 こんな素晴らしいものを是非ともコンテンツ化しないかしら。

 本当にもったいない、お風呂上がりのこの時にしか味わえないのが本当にもったいないわ。


 自分からおねだりなんて、お姉ちゃんの立場でそんなこともできないし……一瞬だけ考えてみたけれど、やっぱりダメね。自分からおねだりだなんて、恥ずかしいわ。


「あら、もう交代なのね」

「え? お姉ちゃんの髪は私より長いから、ドライヤーの時間も長かったと思うんだけど」

「あらあら、そうだったのね。全然気づかなかったわ。髪の毛を一瞬で乾かしてしまう魔法使いかと思ってしまったもの」

「そんな魔法使いになりたくないよ! 魔法使いになるんだったらもっと画期的な魔法の使い方をするよ!」

「それもそうね。じゃあ、交代しましょう」


 今思えば、舞が髪の毛を短くし始めたのはいつぐらいからかしら。

 私としたことが、忘れてしまうなんてらしくないわね。


「残念。もう終わってしまったわ」

「ありがとー。じゃあお姉ちゃんの艶々な髪を仕上げちゃいましょ~」

「美容師先生、お願いします」

「お任せあれっ」


 そういえば、小さい頃はずっと泣き虫だったのに、いつの間にかなくなっちゃって寂しいわ。

 また昔みたいに、「お姉ちゃーん、うわーん」って私の胸に顔を埋めてくれないかしら。

 あの頃は良かったわ。

 何が原因でもああいう状況になってしまえば、抱きたい放題撫でたい放題吸いたい放題だったのに。


「はいおしまーい」

「あら、もうそんなに時間が過ぎてしまったの」

「お姉ちゃん、髪の毛乾かしてる間に何を考えてたの?」

「舞の小さい頃をちょこっとだけ」

「なにそれ気になる」

「こーんな小さい頃は、よくお姉ちゃんお姉ちゃんってずっと言っていたのよ。ずっと私の後ろを歩いて。ひよこみたいに」

「あーもー! そんな時のことは忘れてー!」

「ふふっ、それは無理な相談ね」


 ムキーッと怒っているようで起こりきれていないのがまた可愛いわね。


「もうそろそろテスト期間だし、肩でも揉んであげましょう」

「おー、それは良いですねぇ。ではお言葉に甘えさせてもらって」


 舞が床に座り、私はソファーへ座る。

 舞の両首筋に手を置き、優しくほぐす。

 もみもみ、優しく肌を撫でるように。

 全くの素人だけど、こういうのは気持ちが大事よね。


「いかがですかお客様」

「よきですねぇ、よきですねぇー。あちょーっ、そこが気持ちよき~」

「ほうほうここですか、ここが気持ちよいのですか」

「あああ~き、効く~」


 首筋から肩甲骨辺りを親指で押すと、舞はとても気持ちよさそうな声を上げる。

 そこを重点的に、親指でぐりぐりと力を込めて押す。

 すると舞は「きゃーっ、気持ちいい~っ」と、少しおじさん臭い台詞を吐いちゃって。

 そんなに嬉しい反応をしてくれると、もっとやってあげたくなっちゃうわ。


 でも、これだけでは終わらないわよ。


「ええいっ」

「あちょ、お姉ちゃんっ。あっ、ははっ、あははっ、はーっ!」


 私は目の前にあるピチピチの柔肌をくすぐり始める。

 背中に、脇の下に、脇腹に、首の裏をソワソワーって指を広げたり。


「あひゃひゃひゃ、あーはっはっはー」

「どうだどうだ、ここがええんか、ここか、ほれほれ」

「お姉ちゃんどこかの悪代官みたいになってるよーっ」

「ほれほれほれ~」

「きゃあぁーっ!」


 あら、少しだけやり過ぎてしまったわ。

 舞は長距離走を走り切ったぐらい、「ぜえはあぜえはあ」と息を荒げている。

 それはもう、過呼吸一歩手前ぐらい。

 しかもお洋服まではだけちゃって、ピチピチの柔肌が露になってしまっているわ。

 実行犯は私なのだから、服ぐらいは戻してあげな……く……っちゃ……。


 ……こ、これは。


 左脇腹の少し背中寄りのところに、黒い染みが。


「ねえ舞、最近体のどこかをぶつけたとかあるのかしら」

「いいや? そんなことはないよ?」

「本当? 痣になるほど、例えば寝ている間にぶつけたとか」

「私は寝たまま歩いたりしないよ!?」

「もしかして夢遊病なのかしら」

「絶対に違うよ?!」


 お風呂に入っている時には気づかなかったわ。

 まあ、常に反対の位置になるような感じだから見れなかったのだけれど。


 それにしても変ね。

 こんなに真黒な痣になるほどのならば、当然の如く痛みに覚えがあるはず。

 今の会話の中で嘘を吐いているような素振りは無かった。

 じゃあ……。


 こんな時に、嫌なことを思い出してしまう。

 つい数日前に見たニュースにあった【黒霊病】。

 いいえ、そんなことがあるはずないじゃない。

 当てはまるものなんて……――『初期症状は普通の風邪と変わらない』――『本人では気づけないような場所にできる黒い痣』――。


 ……そ、そんな。そんなことはないよ。きっと何かの間違いよ。

 ……そうよ、舞はおっちょこちょいだから、夜中に寝ぼけておトイレに行く途中でぶつけてしまったりしただけよ。

 だってほら、現に風邪の症状は収まったじゃない。

 そうよ、そんなこと――。


「こほっ、こほっ」


 …………。


「ありゃ、また風邪をひいちゃったのかな」


 ダメよ、取り乱してはダメ。

 冷静に、そうよ、ただの風邪よ。


「まだわからないわ。風邪の初期症状に気づけたのなら、悪化しないようにすればいいだけよ」

「お姉ちゃんさっすがっ」

「だから、今日はもう寝ましょう。絶対に夜更かしをしてはダメよ。約束してちょうだい」

「うん、わかったよ。――お姉ちゃんどうしたの? ちょっとだけ顔が怖いよ」

「え、そ、そう? ごめんなさい。ちょっとお腹が痛くて」

「え! それはダメだよ。私も家事のお手伝いをするから、お姉ちゃんこそちゃんと休まないとダメだよ。よーっし、やる――」

「ダメよ! 今日はもう寝なさい!」

「ひぇっ」

「――ご、ごめんなさい。急に声を大きくしてしまって」

「ううん。私こそごめんなさい。そうだよね、ちゃんとお姉ちゃんの言うことを聞かなくちゃ。もう部屋に行くけど、何か悩み事があるんだったら、私に相談してね」

「え、ええ。私のことは気にしなくて大丈夫だから、ゆっくりと体を温めて寝なさい」

「うん、おやすみなさい」


 舞、本当にごめんなさい。

 何をしているのよ私。

 あんな……あんなどこでも一緒のことしか言わないニュースなんて信じる人間だったの? あんな、ありきたりなものを信じて生きてきていないわ。

 なのに、なのに……どうして思い浮かべてしまうの。

 あの時、ニュースでは【黒霊病】は最終的に大事となってしまうって言っていたわ。

 それはつまり、言葉を濁しているだけで、放置すれば必ず死に至る病ということ。

 ふざけないでちょうだい。

 私の大切な妹が、そんな得体の知れない病によって死ぬわけないじゃない。

 馬鹿馬鹿しいわ、ええ、本当に馬鹿馬鹿しいわ。

 そんなの、あっていいわけがないじゃない。

 もしもそれが本当だとしたら、そんな理不尽を受け入れられるはずがないじゃない。

 本当にくだらない。


 どこかの誰かに大切なたった一人だけの家族を任せるわけにはいかないわ。

 だってそうでしょう。


 あの日から、舞は、舞だけは、私が守ると決めたのだから。

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