第25話『同郷だから稽古をつけてやるって?』
僕は今、自分の耳を疑った。
「なんだよ、その腑抜けた顔は。あ、それはいつも通りだったな」
言われて気づいたが、僕は口をポカンと開けていた。
「頭も悪い上に、耳も悪いのかよお前。もう一度だけしか言わねえぞ。俺はこの街に滞在することになった。だから、俺はお前の上司になる。ってことは、部下のお前に対して指導を行うってのは何も間違っちゃいねえよな?」
その理屈が通るならば、世の中は間違いなくパワハラが横行しているに違いない。
ていうか、そんなことはこの際諦めるとしよう。
だけど、この地域はアルバイトの僕だけで事足りるはず。だからこそ僕はここに派遣されたのであって。
まだほんの数日程度しか住んでないが、この街は随分と穏やかなものだと思う。
だというのに、なぜ?
「ああわかるぜ。なんでこんな平凡な街に俺みたいな超エリートが来たのか疑問なんだよな? それに」
「同級生とは必ず組み合わされることはない」
「なんだ、お粗末な頭をしている割にちゃんとわかってんじゃねえか」
だとしたら、尚更わからない。
「俺も詳しいことは知らされていねえが、なんだか最近廃霊体の出現が確認されたって話で。で、あろうことかその廃霊体は忽然と姿を消したらしい。ここら辺は上の方も把握していねえらしい。だから、俺ってわ・け」
なんてこった。
随分と身に覚えのある話じゃあないか。
「まあ、お前にはそんなことが起きていたっていう事実すら知らねえだろうけどな。お気楽でいいよな」
それを対処した張本人です、なんて言えるはずがない。
いや、言ったとしてもただの虚言と捉えられるだけだ。
まあ、言わなければ誰が知ってるわけでもない。
ここはお望み通りお馬鹿を演じてやろうじゃないか。
「そうだな、全然知らなかったよ。それは大変だ。もしも、僕がその場に居合わせようものなら今頃死んでいたかもしれない」
「ダッサ。自分が弱いって認めるのが恥ずかしくねえのかよ。なりそこないだとしてもお前に祓魔師としての誇りはねえのかよ」
「どれだけ見栄を張ってみ仕方がないだろ。弱い者は弱い、できないことはできない。自分が自分を認めて、初めてそこから自分ができることがみつかるんじゃないか」
「あーあーつまんねえ。ったくよ、お前はそうやってあの時も、いつも張り合いがねえ野郎だったな。少し合わないだけで忘れてたわ」
「というわけだ」
じゃあ、さっき辞めてしまった予定を実行しようじゃないか。
「お前、何してんだ」
「っ、見てわからないか。僕は僕自身を殴っているんだ」
もう一発、右頬。
「お前、マゾヒストだったのか」
「いいや違うさ。自分に躾を施してるんだ」
もう一発、左頬。
「……」
痛てえ、クソ痛てえ。
だけど、力を弱めてはいけない。
示すんだ、抵抗する意志がないことを。
頬が痛い、拳が痛い、視界が揺れる。
こりゃあ出血は不可避だな。
「つまんねえことはやめろ」
「なんだ、心配してくれるのか」
「俺がお前を痛めつけるんだ。お前がお前を傷つけていいなんて言った覚えはねえぞ」
そろそろ痛みの限界なんだが……。
もう一発、右頬。
「クソがっ」
嘘だろ。
「ぐはっ――」
「そんなに痛みが欲しいってんなら手伝ってやるよ!」
宮家の右拳が僕の腹部へとねじ込まれる。
身構えていたわけではないため、一撃で体勢が崩れ、両手両膝を地面へ突く。
「おらあ! おらあ!」
「ぐはっ、かはっ」
次は左の脇腹に蹴りが飛んでくる。
その次は右の脇腹。
視界不良――痛みに悶えて体を丸めているため、防衛手段はなく、どんどん蹴りが飛んでくる。頭に、腕に、腹に、背に、腿に、脚に。
一発一発が常人のそれより強く、吐血するまでには時間はそう掛からなかった。
「立てよ」
そう催促されながら、胸ぐらを鷲掴みされて強制的に立たされる。
「なんでお前はいつもそうやって抵抗しねえんだ。自分が惨めじゃねえのか」
「へっ……なんだ、やっぱり僕を心配してくれてるんじゃないか」
「んなわけあるかよ」
その捨て台詞と共に地面へと放り投げ出される。
『主様、そろそろ傷を癒さなければ』
『いいやまだだ。もう少しだけこのままにしておいてくれ』
『…………あまり無理はしないでくれ』
『ああ、そうするよ』
絶の声は震えていた。
僕は馬鹿で能力も凡人だけれど、こうして心配してくれる人が居る。
だからまあ、それでいいんじゃないかな。
「お前、そんなんで祓魔師を続けられるのかよ。このまま続ければ、死ぬぞ」
「はっ……何をいまさら」
「お前みたいなのを見ているとイライラすんだよ。弱いくせして、何かをやろうとしやがる。そして、そういうやつらは例外なくすぐに死ぬ」
宮家が言っていることはわかる。
今話をしているのは、祓魔師の死者数についてだろう。
統計を閲覧したわけじゃないけれど、前の学校に通っていた時に先生達の話声が聞こえてきたことがある。
宮家のような優秀な生徒はこうして生き残っているが、僕より少し上の生徒達は卒業早々に命を落とした人も居るらしい。
しかも、それは毎年のことで、全員で何人居たかは憶えてないけれど、僕が卒業するまでにそんな話を何回も耳にした。
だからまあ、僕が最後の卒業生なのだけれど、先生達は別れの涙とはまた違った涙を流していたのを今でも憶えている。
「そんなみっともねえ顔をしてんだ、知らねえと思うから教えてやるよ。俺達の学級は全員で二十五人だったんだ。だが、今生きてるのはお前を含んでたったの五人なんだぞ」
「……そうだったのか。僕はいつも一人だったから、そんなに居たなんてわからなかった」
「何を能天気なことを言ってやがる。てめえももうじきその仲間入りしちまうって言ってんだぞ」
「そうかもしれないな」
「いよいよ頭のネジまで取れっちまったのか。お前、死ぬんだぞ。わかったら、さっさと祓魔師なんざ辞めっちまえ」
なんだよ宮家、らしくないじゃないか。
「僕は死なないさ」
「はぁ? お前、本当にイカレっちまったのかよ」
「だからさっき言ったろ。僕は僕の弱さをちゃんと理解している。自分で自分の弱さを受け入れたからこそ、自分のできないことはしない。身を弁えてるってやつさ」
宮家は盛大なため息を吐いている。
まあ、普通は呆れるよな。
だか悪いな宮家、今の僕にとっては生きるということより、死ぬということの方がどこか他人事に思ってしまうんだ。
なんせ、僕には最強の吸血姫が居るのだから。
「まあいい。死にてえならさっさと死んじまえ」
「ここまでボコボコにしておいて、よく言うぜ」
「けっ。んなことより、お前も知ってるよな【黒霊体】のことは」
「ああ、そいつはまさに僕の手に余る存在のことだろ」
「わかってるならいいが、あれは一番危ねえ。俺だって負けるかも知れん」
「わかっているさ。だから、そういう存在を感知したらいち早く報告して情報を集めるってことだろ」
「せいぜい下っ端らしく仕事だけはしろよ」
薄っすらではなくし、しっかりと理解しているさ。
【黒霊体】の脅威、それは凶暴な怪異と同等の強さを持つ存在。
白霊体から廃霊体となるよりわかりずらく、生きている人間から発症する一種の病。別名【黒霊病】。
【黒霊病】の悪化する前兆などは、至ってシンプルでわかりやすいものの、なんせ発病するのは一般人のケースが多い。
単純な風邪と思い込んで放置していると、体のどこかにできた黒い染みが次第に広がっていき、最後には取り返しのつかないことになったしまう。
一応、祓魔師連盟と国連が手を組んで【黒霊病】の対応をしているが、それは表向きなものだけだ。
祓魔師連盟は、真摯にこの病と向き合い、本人の許可を得た後に祓われる。だが、国連は連携とは名ばかりの患者を実験台にして、最後には結局祓魔師によって強制的に祓われてしまう。
人間として扱うのか、実験体として扱うのか、同じ結末を辿ってしまうとしてもそれは全然違う。
そして、初期段階ではほぼ100%助かるが、最終段階まで進んでしまった患者の生存確率はほぼ0という病なのだ。
「それで、宮家は【黒霊体】と鉢合わせたことがるのか?」
「まだねえ。だが、会ったが最後、祓魔師としての使命を全うするためには命を賭す覚悟ではいる」
『絶、僕が宮家を一方的に悪く言わない理由がなんとなくわかってくれたか。宮家は乱暴で口も悪く性格がこれでもかと捻り曲がったやつだが、こういう熱いやつなんだ』
『肩を持っているのか、非難しているのかどっちかわからぬが、まあ言いたいことはわかった。じゃが、主様を目の敵にするような態度とそれとはまた別の話じゃ。妾が我慢の限界を迎えた時、その時はこやつを一瞬にして地面に沈める』
『まあ、随分と物騒な話ではあるが、そこまで善処してくれたのなら助かるよ』
まあ実際のところ、僕だってこう理不尽を振りかざされると拳を握りたくはなる。
殴りかかったところで一切の勝ち目がないからやらないだけだけど。
「じゃあ先輩。僕はこうしてありがたいほどに教えをいただいたわけだ。今日はもう体力の限界を迎えてしまった。このまま帰宅する許可をもらえたりはしないだろうか」
「そうだな」
ズタボロに、いたるところに擦り傷や軽い出血する体に鞭を打って帰路に就こうとしたところ、宮家は僕を呼び止めた。
「最後だ。てめえに訊きたいことがある。他の誰でもねえてめえにだ」
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