第三章【ありふれた日常にこそ幸せがある】

第13話『少しだけ、昔の話をしましょう』

 37.5度。


「今日は学校をお休みしましょう」


 苦しそうな咳をする舞。


「ごめんなさい。私は大丈夫だから……お姉ちゃんは学校に行って大丈夫だよ」

「いいのよこれくらい。数日程度学校を休んだところで問題ないわ。舞は知っているでしょう、私の優等生ぶりを」

「うわ、凄い強気」


 私は、将来のことなんて考えたことがない。

 今考えて答えが出るものでもないし、出そうと思って焦って良いものでもないのだから。

 じゃあなぜ私が勝手に文武両道という枠組みに収まってあげてるかというと、こういう時のため。

 そう、全ては舞のために。


「お姉ちゃんは凄いのよ」

「そうだね、スーパーマンみたい」

「舞、私は女なのだから、どちらかというとスーパーウーマンよ」

「ごめんなさーい」

 

 そんな、気さくに話をしているけれど……時折咳き込む姿が可哀そう。

 変わってあげられるなら、せめて半減させてあげられる手段というのはないのかしら。

 

 病院……には行かない。

 というより、性格には物理的な弊害があるから。車なんてないし、当然如く免許なんて持ってもいない。

 それに、こういう時のために解熱剤、熱さまシート、氷枕などなどのものは用意してある。

 最悪の場合以外は医療機関を頼りたくはない。


 私の手から離れ、見ず知らずの人に大切な舞を触られたくないから、任せられないから。


「食欲はあまりないと思うけど、我慢して少しだけ食べてちょうだい」

「うん、じゃないとお薬が飲めないもんね。それに、お姉ちゃんが作ってくれるお粥、結構好きなんだよね」

「あらあら、そんな嬉しいことを聞くのは初めてね。舞が食べたいって言ってくれたら、こういう時じゃなくても作るわよ」

「えへへ、ありがとう。でも、元気になったら、それはそれでお姉ちゃんが作ってくれるいろんな料理を食べたい、な」


 まったくもう、この子ったら……。


「コホッ、コホッコホッ」


 だからこそ私が傍にいて支えてあげなきゃね。


「焦って食べなくて大丈夫、ゆっくりね」


 普段を知っているからこそ、その食欲の無さが目立つ。

 少し、少しずつと確実に口へ運んではいるものの、その量は極少量。

 

「全部食べないで大丈夫よ。残して大丈夫だからね」

「うん、ありがとう。ごめんね、元気だったらこんな美味しいお粥なんて一瞬でなくなっちゃうのに」

「いいのよ、病人が気を遣うものじゃないわ。――もう半分は食べられたじゃない。ほら、お薬を飲んで横になりましょ」




「なんだろう、こういう時だからかな。普段は考えないようにしてるんだけど、お父さんとお母さんは元気にしてるかな」

「……」

「赤ちゃんの時は、お父さんとお母さんと一緒に遊んでたのかな。あんまり記憶がないからわからないや。お姉ちゃんは、お父さんとお母さんと遊んだことがあるの?」

「ああ、そういえばそんな人達も居たわね」


 あの時、あの瞬間から……私は、私達はすでに二人ボッチだった。

 私も舞もまだ小さいあの頃。

 

「ダメだよお姉ちゃん、そんなこと言っちゃ」


 舞がそう言っても、私があの人達を許すはずがない。いや、優しい舞が許してしまうから、私が許さない。

 あの人達は私が中学一年生になった後、私達を置いて姿を消した。正確には、姿だけを消したかしら。この家と、多額の資金だけを残して。

 だから、最低限の親としての責任を果たしていることは認める。

 だけど、だからと言ってそう易々と許せるはずがない。


 私と舞は本当に沢山の苦労をした。


 こういう病気の時、学校行事、近所付き合いその他もろもろ。

 まあでも、少なくとも私は小さい頃から親の料理なんて口にしたことはないし、親の居ない学校行事なんて当たり前だったのだけれど。


「今頃、何してるのかな」

「そんなの、知らないわ」


 そう、今でも憶えている。

 私は、生まれて一度だって両親に名前で呼んでもらったことがない。守と、舞も。

 そんな親を親と認められるはずがない。


 あの人達の話題は気が滅入ってしまう。

 だから、話題を切り替えなくては。

 

「舞。少しだけ、昔の話をしましょう」

「いいね」

「いつぐらいの話をしましょうかね……じゃあ、私が舞に初めてお姉ちゃんって言われた時の話はどうかしら」

「それって、私の記憶にもあるよ」

「あらそうなの? 舞ってあの時4歳ぐらいじゃなかった? あの時はちんちくりんでお転婆さんだったのよ」

「チョット、キオクニゴザイマセン」


 ふふ、誤魔化しちゃって。


「あの日は確か、お家で2人きりのおままごとをしてたわね」

「詳しいことは覚えてないんだけど、今より家が物凄く大きく感じて怖かったのは憶えてる」

「そうね、私も同じ事を思っていたわ。――それで、舞がおトイレに行きたいって言い出したのよ」

「なるほど、そこで初めてお姉ちゃんって言ったんだね。じゃあ、その前ってなんて呼んでたの?」

「あーあーとかねーねーとか、そんな感じだったわよ。歯が抜けてしまって少しおまぬけで可愛かったのよ」

「あれ、私今、どことなく馬鹿にされました?」

「いいえ、褒めているのよ」


 あの時のことは絶対に忘れない。

 おままごとでも姉妹の役をやっていて、私が何度も、私のことはお姉ちゃんって呼んでって言ってたもの。


 でもね、私が幼くしての記憶が未だ鮮明に残っているのは他にも理由がある。

 齢5歳にして、私の家族は普通じゃないって、ちゃんと理解していた。

 送迎用のバスから降りても、うちの家族だけ出迎えが無かった。

 だから、いつも二人で手を繋いで帰っていたから。

 その他にも、行事にも親は来なかった。ただ、お金だけ。


「あの時は、舞ったら毎日のようにぐずぐずと泣いていたわね」

「うん。いつもお姉ちゃんの後ろにくっついて歩いてた。お姉ちゃんの手をぎゅっと握ってた」


 そう、だから。

 だからこそ、私はたった一人の家族を、大切な妹を何に変えても守ろうと決心した。あの時から。

 この子は私が守るんだ、私しか守れないんだって。


「お姉ちゃん、いつもありがとうね」

「どうしたの急に」

「だって、こういう時じゃないと言えなくて。なんだかいつもは恥ずかしいから」


 熱に充てられてしまったのかしらね。

 頬を可愛らしく赤く染め、汗が滲み出ている。というのもあるのだけれど、いつも以上に愛おしくってつい頭を撫で始めてしまった。


「えへへ。お姉ちゃんに撫でてもらうのも久しぶりだね」

「そうね、私も最後がいつだったか憶えてないわ」

「お姉ちゃんでもそういうのあるんだね。私はちゃんと憶えてるよ」

「いつ?」

「ふふん、内緒です」

「あら、これは一本取られちゃったわね」


 小悪魔な笑みを浮かべる舞。

 このままもう少しだけお話をしていたいところだけれど、病人をこれ以上無理させるのは良くないわね。


「じゃあ私は勉強道具を寝具を持ってくるから」

「いってら~っしゃ~い」


 ふにゃふにゃな声を出す舞を背に、部屋を後にする。

 扉を閉め、柄にもなく嫌なことを掘り返してしまう。

 昨日にニュースが頭を過ってしまった。


 いいえ、そんなことがあるはずはないわ。

 これはただの風邪。だから、余計な心配はいらない。

 きっと数日後には、ケロッと治って、いつも通りの舞に戻る。


 だから、私が弱気になってどうするの。

 両頬を、力強く両手で叩く。

 気を強く持ちなさい――伊地守。

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