第8話『そんなこんなあって、今の僕がある』

 師匠と二人暮らし、今時珍しい山の中にある小屋のような家に住んでいた。

 なんてことのない木造建築の平屋に。

 僕の記憶はそこから始まりった。


 僕には両親の記憶がない。

 だから、物心ついた時から隣に居たのは親ではなく師匠になる。

 ちなみに、それがわかったきっかけは……だなんて悲しい現実を書類で見かけてしまったなんてことはない。

 師匠は僕に対して、赤ちゃんの時から「私はお前の母親ではない」と言い続けていたらしい。

 赤ちゃんにそんなことを言ったところで理解できるはずがないのにね。

 追加情報を加えると、僕は師匠のことをずっと『ママ』と呼んでいたようだ。


「おい。ママというのはやめろ」

「どうしてママ」

「だから、私はお前の母親じゃない!」

「じゃあ、お母さん」

「だから!」


 たしか、こんなやりとりをずっとしていたような気がする。

 当時はどうして、こんなに毎日毎日一緒の空間で寝て起きてを過ごしているのに、親じゃないなんて言ってるのか不思議でしかなかった。

 そんな口調強めな言葉遣いでも、どこか声音は優しく、怒っている風に見えるけれど僕は全然怖くなかったのも憶えている。

 

 師匠はとても綺麗な人だった。

 子供思い出補正が掛かっているからそう思うのかもしれないけれど。


 サラサラの黒髪の毛は、普段からポニーテールにしてまとめている。

 だけど、家の中では常に下ろしていた。

 なぜなら、僕が師匠の髪が大好きで、よく触っていたりマフラーみたいに首に巻いていたからだ。


「どうしてそんなことをいうの……」

「本当のことだからだ。お、おい、泣きそうな顔をするな」


 こんなやりとりを何回もした記憶がある。

 そして、その度に師匠は僕をひょいっと抱き上げ、腿の上に乗せてくれた。

 今でも憶えている、あの柔らかい感触と心地の良い匂い。


 ここまでくると、口論した事なんてすぐに忘れて眠ってしまうんだ。

 目を閉じた後、優しい声で子守歌が聞こえてくる。


 真実を知った今でも思う。

 口では母親じゃないと言っていたが、薄っすらと開いた目でハッキリと見た。

 あの優しく微笑む姿で、何が母親じゃない、だ。

 あれを母親と言わず、なんというのだろうか。


 でも、幼い僕は後に苦汁を舐めることになる。


 師匠の収入を把握しているわけではない。

 住んでいるところ以外は、何一つ不自由な生活をしたことはなかった。

 ありったけのジュースにありったけの食べ物、しかも師匠は料理も普通にできるときたもんだ。

 時々、試行料理だと実験台にされたこが何回もある。

 そのどれもが美味しく、僕はよく「お料理屋さんを一緒にやろう!」なんて、無邪気に言っていたんだよな。

 今思い返せば、随分とおかしなことを言っていたもんだ。だって、師匠は祓魔師だってのに。




 僕が五歳になるその日、師匠の仕事と学校のことを聞かされた。

 当然、いきなりなんてことを言ってるのか、と理解が追いつかず。

 でも、ふざけていないということだけは、その目、雰囲気で察した。

 そんでもって、何を思ったのか僕も師匠のような人になりたい、なんて思い始めて、勧められた学校へ通うことになった。


 学校へ通い始めた僕。

 なんて素晴らしい、どこへ出ても恥ずかしくない優秀な生徒に……は、なれなかった。

 才覚を現して学校無双! なんてことにはならなかった。師匠に恩を返すなら、それくらいはしなくてはならなかったのだろうが。

 なんせ、僕はそれが初めての集団生活であったというのもある。

 だけど、そんなことは関係なかったのかもしれない。

 僕は凡人中の凡人だったのだから。それはもう、自他ともに認めるほどに。師匠も同じく。


 この学校には、比較的に凡人離れした人達が入学するらしい。

 そんな場所に僕みたいなのが放り込まれれば、どう扱われるかは想像するに容易いだろう。

 ああ、今でも思い出す。

 何かと事ある毎に、僕にちょっかいを掛けてくる奴がいたっけな。

 他のやつらは、おもちゃに興味がなくなったかのような反応で離れていったのにもかかわらず、そいつ・・・だけはずっと。

 でも、そいつは他の奴とは少しだけ違ったことは覚えている。

 ああでも、ある日を境に「お前は何のために祓魔師を目指すんだ」とか「お前はこの業界から去るべきだ」なんて言われたっけ。

 まあ、聞き入れていないから僕はここに居るんだけれど。


 そんな学園生活、心が何度も折れそうになったのは必然。

 だけど、その度に師匠へ抱いた一方的な憧れを思い出して下がる首を持ち上げていた。

 幸い、今の僕のように白霊を祓うだけならば鍛錬によってできるようになるらしい。

 まあ、何が悲しいって、僕以外は大体がそれ以上で、僕が最後の試験合格者だったっていう話。

 そんでもって、先生達はこんな僕に対してとても慈悲深く優しかった。

 なんでだろう、僕にはいまいち理由がわからないのだけれど、何かの学校行事で先生と師匠のやりとりと少しだけ見たことがある。

 先生は終始ニコニコとしていて、腰が低かったような感じがした。師匠が何か言葉を発する毎に頭をヘコヘコと。

 少しだけ先生達は額に汗が滲んでいたようにも見えたような気がする。

 つまりは、子供だけならず親にも熱心に向き合っている証拠だろう、本当に先生方は良い人達だ。

 その証拠に、あの一件が終わった後、僕に対するみんなの目は変わったような? 気がする。


 周りの目が冷たかったのには他にも理由がある。

 なんせ、僕には他の人のような教養がなかった。

 それはもう、今でも酷いと思うぐらい。ほとんどの漢字を知らず書けず読めずであり、かろうじて読み書きできるものは、師匠が書いているものだけで。

 小学生でも知っているような一部の漢字から、大人でも読めないような漢字と――これでもかと偏りすぎていて、教科書に記入されている漢字は全くといっていいほど読めなかった。

 最初なんて、みんなと普通に話していたのに、このことから奇異の目で見られ始めて……師匠は「本当に申し訳ない」だなんて言っていたけれど、そんなことは気になどしていない。

 元々友達が居ない僕にとっては、いつもの日常に戻った程度のこと。

 ただ、少しだけ寂しかったというのは嘘ではない。

 だからこそ、僕は本を読んだ。いろんな本を。

 今となっては、疎外感を紛らわせるためにとった行動だが、感謝している。だって、それのおかげで今の僕があり、同い年の子達とまともに話ができるぐらいになったのだから。


 だけど、みんなはあっという間に僕だけを置いて居なくなっていってしまった。

 理由は単純で、次々に試験を合格していって配属先が決まったから。

 

 僕が通っていた祓魔師育成学校は、物凄く特殊なシステムだった。

 

 通常の学校とは違い、規定何年を通わなければならない、というものがない。

 どんな生徒であれ、試験に合格すれば誰だっていつでも卒業できてしまう。その後、進路は人それぞれ。そのまま祓魔師としての人生を全うするのか、僕のように転校・・という手段をとって、学生をやりながら祓魔師をやる、かだ。


 懐かしいな。

 そういえば、あいつ・・・だけは卒業した後もわざわざ学校に来てまで僕をいびりに来てたっけ。


 正社員かアルバイトかみたいな感じではあるが、待遇は逆で、学生をしながら祓魔師をした方がお金の出がいい。

 ざっと説明するのであれば、正社員は固定給に対し、学生アルバイトは固定給に上乗せでインセンティブが支払われる。

 加えて、正社員は昇給なるものや進級なるものがあるのに対し、学生アルバイトはそれらがないものの仕事をすればするほどお金が入ってくる。独り身で安泰をとるならば正社員の方が断然いいのには決まっているのだけれど、僕には妹達がいる。

 大切な妹達に窮屈な生活を強いるわけにはいかない。


 ちなみに、妹達と出会ったのは僕の卒業が決まる一週間前だった。

 

 卒業後の計画では、正社員を選ぶ予定だったのだが、急に予定変更となったわけだ。

 理由は詳しく知らないのだけれど、血の繋がりがある正真正銘の家族であり、それは検査によって実証された疑いようのない事実。

 こうして一緒に暮らすこととなった今でも、ほんの少しだけ実感がない。

 だけど、衣月と心陽は実に妹らしく、そんじょそこらの妹より、もっと妹らしく、妹だ。

 まさか自分に本当の家族がいるなんて、なんてことを思っていたのは最初だけで、僕はすっかり篭絡されてしまった。

 きっと、僕も心のどこかでは本当の家族というものに飢えていたのかもしれない。

 独りに慣れてしまったと気取っておきながらこの有様だ。

 まあ、別に悪いことなんて何一つないのだけれど。


 そんなこんなあって、今の僕がある。

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