第7話『心に刃を立てる彼女は再び訪れる』
学校へ辿り着いたのはいいものの、僕の立場を思い出す。
このまま自クラスへとノコノコと赴けば、昨日の二の舞になるのは目に見えている。
だとすれば、安々とこの身を差し出すよりは最低限の抵抗を試みようと思うではないか。特別に何かするわけではない。校庭のあの場所へ向かうだけなのだが。
無念なのが、せっかくの癒やしエネルギーを摂取できないということ。死活問題ではあるが、プラスマイナスゼロになるくらいなら腹を括ろうじゃないか。
『それは些か決意を秘め過ぎというものじゃないかの』
『いや、これくらいでちょうどいいのさ』
『そういうものかの』
目的地へ向かう最中、ツンツンとされるも何のその。
僕にとって森夏は、それほどまでに神格化されつつある。
『気安くあの場所へ向かって良いものなのかの?』
『どういうことだ?』
『もしかしたら、あの毒舌鬼娘に出くわす可能性があると思うのじゃが』
『なん……だと……。い、いや。その可能性は極めて低いと予想できはしないか?』
『はて、その心とは』
『あの鬼は、昼休みのあの場所は私の縄張りだと主張していたじゃないか。だとすれば、今出くわす可能性は限りなく低いんじゃないか』
『主様がそういうならば、妾が止めることはない。せいぜい後悔しない事じゃな』
『ははっ、随分と恐ろしいことを言うじゃないか。そんなことにはならないさ』
誰にも会わない憩いの場所、普遍的な風景ではあるが、それは同時に安心感と癒しをもたらす。
『ほうら、誰もいないじゃないか』
目的地に到着。
迎え入れてくれたのは鬼ではなく、小鳥達の楽しそうなさえずりと穏やかな空気だった。
これでこの時間は平穏に過ごすことができる。
僕は、腰を下ろす。
排水路へ足をぶらぶらと垂らし、両手を後ろに突く。
『じゃあ、今日もここいらで鍛錬にでも励むとするか』
『それはやめた方が良いと思うのじゃが』
『別に良いじゃないか。ぶっちゃけた話をすると、こんなもの、誰かに見られたところで気づかれるわけではないし。もしも気づかれたとしても、隠すようなことじゃない。ただ、言ったところで信じてもらえないだけで』
『……』
『なんだ、珍しく歯切れが悪いじゃないか』
絶から答えが返ってくる前に、その
――足音。
それが聞こえ、振り向く。
「うげっ」
「――」
あらあらあら、これはもうビックリ仰天。
そこに居たのは、僕の心をこれでもかというぐらいにズタボロにした挙句、剣を突き立ててきた張本人だった。
いやもう本当に驚きすぎて言葉が出ない。
『かっかっか、これが俗に言うフラグ回収というやつかえ』
くそ、絶の言ってることがまさにその通りすぎてぐうの音も出ない。
てか、この人、僕を見た第一声になんて言った? 「うげっ」って言ったよね? 僕は害虫か何か? 黒くてすばしっこいヤツなのか⁉
「ど、どうも」
「……」
「今日はどんなご用件で……? 確か、あなたが支配域としてる時間はお昼時だったと記憶しているんだけど」
「ええそうね」
こうやってしっかり目を合わせて話す今、わからなくてもいいことがわかってしまう。
こいつは言葉以外にも目線でも僕を突き刺していやがる。
本当に恐ろしい女だ、慎重に話をしなければ別の意味で三度目はなくなりそうだ。
だけど、こちらの主張もしっかりとしなくては。
「じゃあ、今は僕がここにいたところで何か言われる筋合いはないはずだ」
「ええそうね」
あれ、もしかしてもしかして、この人は案外話がわかる人間だったのか?
「でも、私がここに来たのには明確な理由がある」
「ほう?」
「気分、よ」
前言撤回。
僕はなんでこんな意味の分からない女のためにビクビク怯えていたんだ。
あほらしい、あまりにも馬鹿げてる。
あーやめだやめだ。
「だから、あなたは即刻、この場から立ち去らなければならないわ」
「もしもしお姉さん、それは少しばかり暴論が過ぎるというものだぞ」
「あら、そうかしら?」
あれ、僕の感覚がおかしいのか?
『なあ絶、僕は間違っているのか?』
『いいや、主様はなんらおかしくない。この生娘、少しばかり頭のネジが外れておるんじゃろう』
その返答に安心したぜ。
「ならどうしたらいいというんだ」
「だから、前にも言ったけれど、あなたがこの場から立ち去ればいいのよ」
おいおいおい、どうしてそうなるんだ。
たしかに、この場所は一見広そうに見えるし、事実、並んで――ある程度距離を取って座ることだってできるけど、この景色は独り占めしたい。
そんな欲に駆られるのは彼女だけではなく、僕も同じだ。
独占したい気持ちは理解出来なくもないが……。
「悪いが、僕もこの場所をとても気に入ってしまった。この際、どちらかがこの場から去るのではなく、共存するという道はとれないだろうか」
「ないわ」
「っておい、即答かよっ!」
「あら、切れの良いツッコミじゃない。もしかして、あなたは芸人さん志望だったりするのかしら」
「そんなわけあるかぁい!」
「センスあるわよ」
ぐぬぬ……。
僕は今、ギリギリのところで平静を保っている。
だというのに、なんだこいつ。
こちらの気も知らず、どうしてそんなに澄ました顔をしていられるんだ。
僕と正反対であまりにも精神が強靭すぎるだろ。
「もしかしてだけど、こんな調子でここに来る数々の生徒を追い払ってきたのか」
「そうだったかもしれないし、そうじゃないかもしれないわ」
「いやどっちだよ!」
「やっぱりあなた、芸人さんになるべきじゃないかしら」
こんなやりとりを繰り返していたら、心臓がいくつあっても足りない。
せっかく、洗礼を回避するためにここへ来たというのに、これじゃあまるでマイナスだ。
「わかった。今はここから退こう。だが、せめてここへ来るタイミングというのを教えてくれないか」
「どうしてそんなことが必要なのかしら。ここは私のお気に入り、というのがわからないほどあなたの頭は足りないのかしら?」
「んなわけねえだろ! 僕だってここが好きなんだ。それはもう一目惚れだった。だから、鉢合わせしないように、互いのためにも情報共有しないかって意味だよぉ!」
「そんなことぐらいわかるわ。でもなぜ、私があなたみたいな得体のしれない人間に個人情報を渡さないといけないのかしら」
ここここここいつ……。
「僕は、数日前にこの学校へ転校してきた、瓶戸天空だ。二年二組出席番号は――」
「急にやめてくれるかしら」
「はい?」
「いやだって。誰も自己紹介をしてくれなんて頼んでないし、いらない情報を私の頭の中に入れないでくれるかしら」
あーあーあーあーあー。
僕の精神は崩壊寸前だ。
な、なんなんだこいつ。
得体のしれないとかなんだとか言われたから、こっちは懇切丁寧に自己紹介をしたんじゃないか。
まさかこの後、「当然、私から自己紹介なんてするはずがないわ。当然」とか言わねえよなぁ!?
「当然、私から自己紹介なんてするはずがないわ。当然」
い、言いやがったぁー!
「何よその顔。ニコニコと繕ったような笑みを浮かべて、あなたどこかの誰かと一緒ってことね」
「なんだよそれ、どういうことだ」
「いいえ、掘り返す必要はないわ。それに、私はその問いに答えるつもりはない」
……なんだ、その曇った表情は。
どうせなら、最初から最後までその悪キャラを演じてくれればいいのに。
『なあ絶』
『随分な余裕じゃの。主様もいよいよメンタルがレベルアップしたのかえ』
『いや、絶賛僕の精神はズタボロの雑巾みたいになっている。って、そんなことはどうだったいいっ! ――こいつに何か憑いてたりするか』
『ふむ……なるほど、そういうことか。と、言いたいところなんじゃが、残念ながら』
『ほう、それは面白い。じゃあ、こいつは素でこんな感じってことなのか』
『そうなるの』
マジかよ。
「ああわかったよ。僕は、キミと争いたいわけじゃない」
「私は戦う気だったわよ」
「……」
「今から?」
いや、その問い掛けは何なんだよ。
「何回も言うが、僕はキミと事を構えるつもりわない」
「残念ね」
「約束しよう、僕はもう金輪際ここへは来ないし、ここから見渡せる場所も諦める」
「存外、潔いのね」
「褒めてくれてありがとう」
「勘違いするのはやめてほしいのだけれど」
僕達の会話は、ここで一旦途切れた。
なぜなら、チャイムが鳴り響いたから。
「あら、もうこんな時間なのね」
この女……顔と言葉が全く合っていないぞ。
どうして残念そうな言葉を吐いておいて、なんでそんなにスッキリしたみたいな顔をしているんだ。
しかもなんてことだ。
その言葉を最後に、踵を返してこの場から去りやがった。
「はぁ……」
彼女の姿が完全に見えなくなったのを確認し、僕は背中を丸めてため息を吐いた。
『今回はチャイムとやらに助けられたの』
『ああ、人生で初めてチャイムに救われた。……いや、前に一度だけ、人生最大級の腹痛の時にもお世話になった記憶がある』
『そんなこと思い出さなくてよいわいっ!』
この場所、物凄く好きになってしまったというのに、彼女がここをいつ如何なる時も縄張りだと主張するのであれば諦めるしかない。
非常に残念だ。
だが、少しだけ彼女に興味が湧いてしまったのもまた事実。
単純な僕。自分自身を馬鹿野郎とも思うけれど、あんな美人とお近づきになれればハッピーかもしれない。
それに今日話した感じ、予想外に話が通じるみたいだ。……みたいだ。
でも、それと同じくもう一度彼女と話をするのか、と想像すると背筋が震えあがってしまう。
これはどうしたものか。
まあ、また何か機会があった時にでいいだろう。
タイミングを見計らって、森夏にでも何か聞いてみようかな。
あの森夏のことだ、もしかしたら何か情報を持っているかもしれない。
そろそろ僕も教室へ向かはないと、な。
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