第6話『これが僕の日常だ』

 いつも通り、なんてない朝を迎える。

 風呂場の一角、洗面台の鏡の前に立ってチェック。

 ボンバー寝癖ヨシ、正気のない目ヨシ、覇気のない顔ヨシ。

 人間は皆平等と誰かは言う。

 その意見には賛同できるし、機会などは平等に与えられるべきだと、僕と思う。

 だが、それと同じく神は残酷だとも思う。

 僕は控えめに言ってイケメンの類にどう足掻いても入り込めない。

 まだまだ成長期、諦めるにはまだ早いだなんて慰めは信用するに値しない。それどころか逆にストレスが蓄積していく。

 別に親へ文句があるわけではない。――いや、少しだけ、ほんの少しだけ訂正させてくれるのならば、もう少しだけ希望が欲しかった。


 まあでも、わかっているさ。

 ハーレムなんてものは既に諦めが付いていた。

 なんせ、今までの人生の中で一度たりとも告白なんてされていないのだから。


 さて、心陽ちゃんと衣月ちゃんが待っている。さっさと顔を洗って居間へ向かおう。


「にいにおはよーっ」

「今日もバッチリだよお兄ちゃん」

「衣月ちゃん、心陽ちゃんおはよう。今日もお兄ちゃんばっちりだぜ」


 決め顔に決めポーズをし、数少ない観客から拍手をいただく。

 もしもこの場に他の誰かが居たのならば、僕は間違いなく顔を千度に熱せられた鉄球より真っ赤にし、惨めに逃走していただろう。

 いやあ、本当に優しい妹達をもって、お兄ちゃんは嬉しいぜ。

 ジェントルマン並みの丁寧なお辞儀をし、茶番は終了。



「そういや、一年生だというのに早速課題を出されたとか言ってなかったか?」

「へっへーん、もちろん私は、当然の如く、終わらせましたとも」

「さすが小陽ちゃん。でも、その可愛らしい得意げな表情、誇らしいのはわかるのだけれど」


 ああ、見逃しはしないさ。

 なんせ、お兄ちゃん歴十年は突破してるんだぜ?


「な? 小陽ちゃん、ちゃんとやったんだよな?」

「あっは、ははっ~……」

「まさか、出された課題をサボるなんて不良に育ってしまったなんて、それが本当のことならお兄ちゃん鼻水垂らして泣きじゃくってしまうぞ」


 とかなんとか適当なことを言ってみる。

 だけど、こんなことが衣月ちゃんの罪悪感をこれでもかと刺激するのだ。


「や、やめてくれお兄ちゃん……大丈夫、お兄ちゃんをそんなに落胆させるような妹じゃないんだぜっ」

なら・・よかった。お兄ちゃんは自慢の妹をもてて誇らしいぜ」


 満面の笑みを浮かべる小陽ちゃん。

 だがしかし、その心境はもはやズタボロ。


 最後の最後、止めの一撃を刺したのは僕の右を歩く衣月ちゃん。


「ふぁ~、昨日は小陽ちゃんの課題を手伝ってたから眠気がぁ」


 おっと。

 お口に手を当てて可愛らしいあくびをする割に、随分とドストレートな一撃を放つじゃないか。

 少し高めの声かつ周りに誰もいないものだから、回避する初段の無い攻撃は小陽ちゃんの急所を捉えた。

 これがまた、意図せずやってしまっているのだから恐ろしい。

 衣月ちゃん、なんて恐ろしい子なの。


「うががっ」


 会心の一撃ともなってしまったようだ。

 小陽ちゃんは胸を抑えて前屈みになっている。


「終わったの、0時過ぎぐらいかな?」


 衣月ちゃん、それ以上はやめてあげて? 小陽ちゃんの体力はもうゼロよ。


「ごめん兄ちゃん。本当は全然やって無くて、衣月に手伝ってもらったんだ」


 まあ、そんなことだというのはわかっていたさ。

 そんなに悲しそうな顔をされちゃあこれ以上の意地悪はできない。


「衣月ちゃんに感謝しないといけないな。でも、ちゃんと課題を終わらせたのなら上出来上出来」


 僕は半べそをかきそうになっている小陽ちゃんの頭をポンポンと優しく叩く。


「だけどまあ、すぐには難しいかもしれないけれど、できれば一人でできるようにしような」

「兄ちゃん……うんっわかった」

「よーし、それでこそ小陽ちゃんだ」

「あれ? あれあれ? なんだか私だけ除け者にされているような」


 今度は反隣にしる衣月ちゃんの機嫌が――。

 ――あれ。と、僕は足を止めた。


「あそこにいるのは……」


 僕の視界に入ったのは、一人の少女。

 電信柱の横に、キョトンとした顔で立ち尽くすその子は、道行く人々を羨ましそうにしかし穏やかな表情を浮かべている。

 その手には一本の花が握られていた。


 では、僕の本業を始めるとしよう。


「ごめん、兄ちゃんちょっとお腹が痛くなっちまった」

「え、大丈夫? 救急車読んだ方がいい?」

「い、いやいやいや。そこまで重症じゃないから大丈夫だよ」

「そっかぁ。私達が何かにいににできることはないかな? 私、覚悟は決まってるよ」

「いや、何の覚悟だよ」

「それはもう、お兄ちゃんのう〇こだったら恥も惜しまず処理するから」

「いやいやいや、いやいやいやいやいや、いやいやいや。それはお兄ちゃんが恥ずかしいから!」


 もしもそんなことになってもみろ、他人の一人にでも見られようものなら、この辺を二度と大手を振って歩けなくなる。

 どこに自分の尻を妹に出して助けを乞う兄がいるのか。

 醜態を晒すとかそういう話じゃない、それはもはや羞態を晒すってことなんだよ。

 

 両手を前に意気込む衣月ちゃんは悲しそうな顔をする。

 いや、ガッカリしなくていいよ。


 対する小陽ちゃんは、体を動かすのが得意というのを活かした案を出し始める。


「じゃあお兄ちゃん、私が救急車になる!」

「わかった、その善意からくる名案はありがとう。だけど冷静に考えてくれ。お腹が痛い人間を背負ったらどうなるか」

「ああ、衣月ちゃん同様に私だって覚悟できてる」

「いやだから何の覚悟だよ!」

「私だってちゃんと受け止めてあげるさ。お兄ちゃんが恥をかくというのなら、妹として一緒にその汚名を被ろうじゃないか」

「二人とも年頃の女の子なんだから、そんな下品な発想と発言はやめるんだ!」


 いや本当に。

 実の妹ながら何を言ってるんだ。


「もういいから。俺を置いて先に行くんだ」

「にいに、かっこいい」

「さすがだぜお兄ちゃん。先のことは私達に任せてくれ」

「おう。二人の勇者よ、後は頼んだぞ」

「「おーっ!」」


 元気一杯な勇者達は、学校という別名魔王城へと駆けて行った。

 ふっ、我ながら名演技だったな。

 ……とかいう冗談はさておき、何事もなかったかのように立ち上がる。

 

 まず初めに少女との距離を縮める。

 もちろん、これからあの子を誘拐しようと目論んでいるわけではない。ちゃんとした仕事、だ。


「ねえキミ、いつからここにいるんだい?」

「ん? お兄さんだあれ?」


 その子は純粋無垢な眼差しで僕を見上げた。


「僕の名前は天空っていうんだ。もしよかったら、キミの名前も教えてはもらえないかい?」

「わたしの名前……み……お。美緒、そう、私の名前は美緒だよ」

「そうか、美緒ちゃんっていうのかい。よろしくね」

「お兄さん、これから学校なの?」


 美緒は首を傾げ、そんな質問をしてきた。


「そうだよ。僕はこれから学校に行くんだ」

「いいなぁ……わたしはもう行けないんだ」


 悲しいかな、美緒には自覚があるようだ。

 そう、彼女は白霊体である。つまり、既に何らかの理由で命を落としてしまい、人間としての人生に幕を閉じてしまっている。

 

 だから、僕の役目はこれから目の前にいる少女――美緒を祓って救ってあげなくてはならない。

 彼女がこれ以上苦しまないように、誰にも負の連鎖が繋がらないように。


 電信柱の下には、少女が握る花と同じものが並べられている。

 生前、美緒はここら辺の住民から愛されていたのだろう、元気に笑顔を振りまきながら。


「美緒ちゃんはチューリップが好きなのかい?」


 目線を落とす美緒にそう問いかける。


「うんっ、チューリップが一番大好きなの。でも、他のお花さんも嫌いじゃないんだよ。全部大好きなんだけど、その中でも一番好きなのがチューリップなの」


 見た目だけでしか推測できないのだけれど、美緒は小学四年生ぐらいだろうか。

 先ほどまでの暗い表情はどこかに消え、パアッと笑顔を咲かせてそう答える。

 精神的な成長の途中だからだろうか、こんな僕みたいな人間に対しても無邪気に話せるのは。


「それでね、わたしの将来の夢はお花屋さんになることなのっ。でもね、それもできないんだよね……?」


 彼女に罪はない。

 きっと、電柱に擦りついた黒色の塗装を見れば大体予想がつく。

 事故を起こしてしまった当事者は、自らの罪を背負いこれから先の人生を送らなければならない。

 僕にできることは、その人に対して罰を与えることではない。

 目の前にいる、夢半ばで儚い命を散らしてしまった幼気な少女に救済を与えることだ。


「いいや、美緒ちゃんは立派なお花屋さんになれたよ」

「え? なんで?」

「お花を好きな人は沢山いるかもしれない。でもね、胸を張って、お花のように誰かへ笑顔を送り届けられるのは、限られてくる」

「うん、わたし、お花が好きな気持ちは誰にも負けないよ。みんなにもいーっぱい笑顔をあげれるよっ!」

「ああそうさ。今日初めて会った僕も、美緒ちゃんと話で元気をもらったよ」

「本当? なら、よかったぁ。じゃあわたし、本当に……お花屋さんに……なれた……かな?」


 美緒の瞳からは、今まで必死に堪えていたであろう感情が溢れ出してきていた。


「ああそうさ。僕が胸を張って証明してやるさ」

「そっか……ありがとう天空お兄ちゃんっ! またどこかで合おうね、バイバイっ!」

「ああ、またね」


 溢れる感情をそのままに、手を振る美緒の姿は徐々に薄れていく。

 僕は手を振り返し、彼女が帰るまでの時間を共に過ごした。


 美緒は最期、とても穏やかに優しく微笑んでいた。

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