第9話『絶との出会いは、こんな感じだった』

 僕と絶が出会ったのは、十五歳の三月だった。

 未だ肌寒い空気感、桜が芽吹き始める季節。


 出会ったのは桜の木の下。

 彼女を絶と知らず、目の前に居るのが吸血姫かつ怪異だというのも知らず、一人の少女として。

 ふと目が合った、なんてことのない、初めまして。


「こんにちは」

「こんにちは」


 僕は、彼女からの挨拶をオウム返す。

 なぜかはわからない、だけど、僕は彼女から目を離せなかったのは今でも鮮明に覚えている。


 当初、僕と彼女は同い年かそこまで年の離れた感じには思えず、つい不用心に近き話しかけた。


「僕は、桜が好きなんだ」

「奇遇ね、私も同じよ」


 だけど、彼女のゆったり落ち着いた話し方は、どこか遠いような存在を感じてしまう、不思議な感覚。

 近くに寄って一瞥するも、彼女の肌は僕と同じく若々しいほどに張りがあって、そこに疑う余地はなかった。

 最初からそんなことを思ってはいなかったが、つい邪な気持ちが芽生え、この際お近づきになれればいいな、なんて思って。


「キミはここら辺に住んでいるの?」

「それに明確な答えは返せないわ。あえて言うのであれば、そうでもあり、そうでもない」

「……なんだか、少し難しいね」

「ええ」


 僕の語彙力にバリエーションがないというのは自認している。

 だが、どこか、彼女は不思議とぼんやりとしている存在のように思えた。

 目に見える存在は人間であって、目に見えない部分が人間じゃなくて。

 情報として脳にしっかりと伝わっているはずなのに、彼女は人間ではない何かなのではないかと思わせられるようで。


 僕はそこからいろんな話をした。

 もう、仲良くなれたと判断し、そのまま名前・・を聞いてしまった。一番の地雷。


「僕の名前は天空っていうんだ。もしよかったら、キミの名前も教えてくれないかな」

「名前……」

「ああ。あーでも、言いたくなかったら言わなくていいんだ」

「名前、名前。なんだったかしら、私の名前」

「え?」


 僕はこの時、気づくべきだった。

 この時逃げるべきだった。


 人間、生まれて今の今まで、よっぽどじゃなければ名前があるはすだ。

 親に名付けてもらった、育ての親に名付けてもらったものが。

 だから、聞かれて迷う時点で、そういう境遇の人間か、自分の名前を忘れてしまうほど長く生きている怪異かのどちらかだって。


「ああ、思い出した。私の名前。そう私は、アイリス・ヴァン・ロード」

「へえ、随分と珍しい名前だね。外人さんだったり?」

「……」

「……あれ? 今、ヴァン――」


 気づくのが本当に遅かった。

 散々授業でやってきた、最注意対象であり怪異最強とも言われる吸血鬼の一族――ヴァン。

 しかも、その中でも最上位に君臨している王族の吸血鬼――ロード。

 そして、歴代最強とも称される吸血姫――アイリス。


 一瞬、心臓が止まった。

 今この一瞬、たった一瞬が壮絶な時間の流れのように感じた。


「あら、どうかしたのかしら。お腹でも痛めてしまったの?」


 その言葉が鼓膜を叩き、心臓が我に返る。

 勢いよく動き出す心臓はこれでもかというぐらいに、ありったけの加速を開始。

 ドッドッドッドッと、ドドドドドと。


「そ、そうかもしれない」

「あら、それは大変ね。苦しそう、私が観てあげる?」

「いや、その心配はご無用だ」


 お腹の中身を"視る・・"の間違いじゃないのか。


「そろそろ、帰ろうかな」

「もう帰ってしまうのかえ」


 冗談じゃない。

 ただの人間であれば、もしかしたらこのまま見過ごしてくださるのかもしれないけれど、祓魔師の候補生だなんて知られたら、終わりだ。文字通り。


「ああ、そのつもりだ」

「そうか……」


 そんな寂しそうにしょんぼりされてしまうと、つい足を止めてしまう。

 この、一瞬の迷いが間違いだった。


「妾に、わからないとでも思うたか」

「……」


 全ては最初から、間違いだったのだ。

 

 もう少しで卒業試験を控えていて、勉強やら実技の諸々で疲弊していたせいか、僕は不用意に初対面の人相手に近づいてしまった。

 僕は、そんなナンパ紛いのことをして命を落とすことになる。

 なんて惨めで、なんて情けない人生だ。


「久方ぶりの人間との会話は楽しかったのにのぉ」

「それは嬉しいよ。だったら、このまま見逃してもらえると助かるのですが、姫様」

「かっかっかっ。見ず知らずの人間なら可能性があったかも知れぬが、お主らのような人間を? 見逃せと?」


 だけど、その時だった。

 本当に、僕は幸運だと思い知る。


「……気が変わった。見逃してやる」

「え……?」

「早く、早く行かぬか」


 僕は、その言葉の意味が理解できず、足を止めてしまった。

 だが、そのおかげで、敵だとわかった今でも尚その美少女の胸の中に沈めたんだ。


「くっ」


 アイリスは、僕を胸に抱き、そのまま距離を跳んだ。

 次の瞬間、僕等がいた場所に巨大な穴が開いた。


 全てが全て理解し難い。

 ただ、この時憶えているのは、柔らかくて悪い気はしなかったということ。


 そしてアイリスは続けた。


「妾のモットーは、目の前で人間を殺させないこと」

「美徳ってやつか」

「そうとも言うかもな」


 それから、アイリスは未だ土埃舞う穴の方へ跳躍していった。

 もう、ここからは理解が追いつかない状況だった。

 何かがぶつけ合っていたり、何かが飛び交っていたり、それはもう壮大なスケールで。


 あの時、我ながらおかしい選択をしたと今でも思う。

 そんな壮大な戦闘を目の当たりにできて心が躍ってしまった、ってことはあるのだけれど、アイリスともう一度だけ話せるのを待っていた。

 祓魔師を目指している人間が、なぜ。

 本当にその通りで。

 この場に及んで、初恋、なんて言い始めたら誰にだって爆笑されるに違いない。たぶん違う。

 

 そんなこんな立ち止まっていると、轟音が止んだ。

 つまり、アイリスが帰ってくる。


「……なんでまだ居るんだか」

「ああ、僕もそう思う。だけど、キミと……アイリスともう一度話をしたくなってしまって」

「かっかっかっ。面白いやつじゃのぉ、お主は本当に人間か?」

「正真正銘、人間だな。少なくとも、僕は生まれて今までそう思って生きている」

「じゃろうな」


 先ほどまでの緊張感はどこに行ってしまっか。

 僕は、僕の言葉で笑ってくれるアイリスから目が離せなかった。

 吸血姫としての魅了なのか、魅力なのか。


 だが、そんな会話が続くはずもなく。


「天空から離れろっ!」

「っ!」


 アイリスは跳躍して距離を空けた。


 そして、僕の目の前に現れたのは、師匠。


「大丈夫か、どこかやられてはないか」

「大丈夫だよ」


 無理もない。

 こんな桜並木道てに、こんなどんちゃん騒ぎにもなれば、こういう展開にもなる。


「師匠、彼女は――」

「ああ、皆まで言わずともわかる。あいつは吸血姫だな」


 だから・・・私が来たんだ。

 と、僕でもわかった。

 最強とまで称される吸血姫が距離をとったのだ、この一瞬にして、師匠の実力は相当なものだというのがわかった。


 そして今、全ての歯車が噛み合った、なぜ今なのか。

 先生が頭を下げていた理由、その他の生徒が僕に構わなくなった理由。


「師匠――」


 僕は、躊躇ってしまった。

 言葉に出せなかった。


 師匠とアイリスに戦ってほしくない、と。


 僕は最悪な展開が脳裏に過ってしまった。

 この戦いが終わる、ということはつまり、どちらかが死んでしまうのではないか、と。


「ああ、心配するな。私は負けない」


 違うんだ、違うんだ。


 師匠はそれだけを言い残して、戦いに行ってしまった。

 そこからはもう、僕の記憶は曖昧……というか、理解できなかった。


 そしてたぶん、最後の一撃となるであろう壮大な攻撃がぶつかりあった。

 だけど、僕の幸運はここまでだったようだ。

 その一撃後、攻撃によって破砕した大木が僕へ一直線に飛んできてしまう。


 たぶん、最後の力を振り絞ってくれたのだろう。

 師匠が僕を突き飛ばし、身代わりとなってしまった。

 僕はすぐさま師匠のところへ戻り、大木の下敷きになって締まった師匠を救出しようと試みるも、非力な僕に何ができるはずもなく。


 でも、師匠は本当の最後の最後の力を振り絞ってくれたのであろう、回復の術式を僕にかけてくれた。


「師匠! 師匠! なんで、なんで!」


 僕はひたすらに叫んだ。叫び続けた。声が掠れるくらい、喉から血の味がするぐらい。


「お前は生きろ……」


 僕は無我夢中で気づきもしなかったんだ、自分のことなのに。

 僕は無我夢中で気づきもしなかったんだ、自分の死に際だと。


 僕は吐血した、どす黒い血を。

 視線を自身の体に移すと、答えはすぐにあった・・・

 体に無数の様々な破片が突き刺さっていたのだ。


 流石に死を悟った。

 そして、師匠の光も潰えてしまった。


 僕はその後、何を思ったのか、立ち上がって歩き始めた。彼女の元に。

 この時の僕は、何も考えていなかったのかもしれない。既に屍だったのかも。

 

 彼女の元に近づくと、やはり、彼女も死に際だった。


「かっ……かっ……お主も物好きよ、の」

「ありがとう。……でも、なんでかな。最期はキミの隣かなって、そう思って」


 彼女は僕より酷かった。

 鮮血が辺りの絨緞となり、四肢も欠損している。到底歩けるような状況ではない。


「物好きのお主に……提案じゃ」

「こんな時に、面白いじゃないか」

「だ、ろう。妾と契約……せんかえ」

「あっはは、ぐはっ――お、面白いじゃないか。ちなみに、どんな特典が付くんだ……?」


 こんな状況だというのに、笑えてしまう。笑うしかない。

 祓魔師と吸血姫が契約? なんだそれ、面白すぎるだろ。

 人生最後にたんと笑わせてもらった。


「特大、じゃ」

「面白いじゃないか。じゃあ、よろしく……頼むよ」

「……名を。妾に名を付けてはくれ……ん、かえ」


 名前。

 そんなの、人生で一度たりとも付けたことないや。

 ああ、この際、ちょうどいいのがあるじゃないか。

 命が絶える、今。ちょうど。


「絶」

「たえ……絶……ああ、良い名前じゃ……」



 絶との出会いは、こんな感じだった。

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