第4話『僕はこの時間が一番好きだ』

 学校生活一日目はチャイムの音と共に終わりを迎えた。

 夕焼け小焼けには未だ早いこの時間、先生達からは部活やら委員会の見学を促されたはしたけれど、できるだけ早く帰宅したい気分。森夏に放課後デートもとい、校内案内の続きには心が揺らぎそうになったけどなんとか耐えることに成功――その足で帰路に就き、今は居間にいる。

 今日はいろんなことがあったから疲れた、というのは理由の一つとしてあるのだが、それが主ではない。

 この歳にもなって見たいドラマやアニメが放映されるからその時間に合わせて帰宅したわけでもない。


 今日は約束があったからだ。

 そんな今、最愛なる妹達からソファー上で両挟みにあっている。


「ねえにいに、今日ね今日ね、沢山の人が話しかけてくれたのっ。それでねそれでね、お昼ご飯もみーんなと食べたの!」

「ああそうかい。それは随分と楽しそうで微笑ましい話じゃないか」

「うんっ! 後はね後はね――」


 この人懐っこいワンちゃんは双子の妹、衣月いつき

 右側に陣取り、僕の肩に手を置いてぐわんぐわんと揺らしてくる。

 少しばかり首の根本辺りが痛いのだけれど、どうってことはないさ、だって僕はお兄ちゃんなんだから。

 

「ほーら衣月、兄貴を困らせるんじゃないよ」

「いいや? 僕は全然困ってなんかないよ。なんならもっと来いって欲しているぐらいだ」

「ダメだよそれじゃ……私の番がずっと回ってこないじゃない」


 次第に小声になっていくが、僕はそんな可愛らしい言い分を聞き逃しはしなかった。


「大丈夫だよ小陽こはるちゃん、僕はいなくなったりしないんだ。時間の限り存分に語り合おうじゃないか」


 左に陣取るのは双子の姉、小陽。

 気遣いの甲斐あって、心陽ちゃんはぱあっと笑顔を咲かせて目線を上げる。


「私ね、独りだったけどちゃんとできたよ。自分から話しかけることができたし、自己紹介もちゃんとできたんだ」

「凄いじゃないか小陽ちゃん。僕なんか自己紹介では平凡中の平凡だったんだよ。それはもう恐ろしいぐらいに」

「そうなの? お兄ちゃんがそんなことになるわけないよ。クラスメイトの人達がおかしいんじゃないの?」

「い、いや。本当にそうなってしまったんだ。僕も案外、緊張しいなのかもしれない」


 実際のところ、緊張の類は覚えなかったものの、悲しきかな、平凡中の平凡というのは紛うことなき事実だった。

 振り返る際、泣いてしまいそうになったけれど妹達の前で弱音を吐くわけにはいかない。


 そんなお兄ちゃんらしいことを思っているとはつゆ知らず、シスターズはぐいぐいと迫ってくる。

 年頃の、高校一年生の女子という純粋華憐な二人。その魅力は薄っぺらい衣服程度じゃ到底隠しきれていないというのを、そろそろ自覚した方がいいのではないかとお兄ちゃんの立場的には注意した方がいいのかもしれない。

 外でこんなフレンドリーシップな……外で、外で? 外で男子にこんなことをしているのを目撃した日には、悪いけどそいつにはこの世界から退場してもらう可能性がある。


 祓魔師である立場でそんな物騒なことを考えるものだから、嗤われる。


『ぷぷっ、それは些か物騒が過ぎると思うのじゃが』

『いいや、これぐらいでちょうどいいのさ。僕の大事な妹達に集る虫は――いや、悪霊は祓魔師である僕が滅するのは自然の摂理というものだろう?』

『ま、まあそうなのじゃが……主様は案外と過激派なのじゃな』


「それでね――」

「もう、小陽ちゃんったら。自分ばっかりズルいよ、私達ばっかりじゃなくてにいにの話も聞きたいーっ」

「そうだね、ごめんよ衣月。今度はお兄ちゃんのことを教えてっ」

「あ、ああそうだな」

「「ん?」」


 二人は僕が歯切れわすそうにしているのを前に、不思議そうに首を傾げている。


 ああ、その疑問を抱く気持ちは理解できるよ。

 僕だってそうしたくはないさ。


「お兄ちゃん、どうかしたの?」


 「あ、小陽ちゃん。そろそろ夜の準備をしなきゃだよ」

「いっけない、今日のお風呂掃除は私が当番じゃん」

「そうだよ~。私も晩御飯の準備を始めなきゃっ」


 時間というのは時に残酷である。

 僕にとって至福の時間といえる『今』を奪い去ってしまう。


「そんでもって洗濯して、干して。急っそげーっ」


 先ほどの賑やかさをそのままに、小陽ちゃんは風呂場へ向かい、衣月ちゃんは台所へ向かう。

 僕は何をしているかって? できることなら手伝ってあげたい。でも、それを二人は承諾してくれない。

 二人は将来のために必要なことだから、と体のいい言い分を述べている。けれど、それは本当であって本心ではない。


 生活の収入源である僕に、後ろめたい気持ちがあるというのは見ていてわかる。

 彼女達なりに自分達ができることを模索した結果、今に至っているのだ。


 こんないい話があるのかと涙ぐむも、誰に見られているわけではない。

 一層のこと、このまま泣いてしまうのもありなのではないか。


 そんな妹達からの気遣いに心打たれていると、当然の如く内側から手が伸びる。


『主様はどうしてそんなに心が弱いのじゃ。ここから見ていると、少しばかり心配になる』

『なんだ、今日は珍しく慰めてくれると?』

『たわけ。どうして呆れるほどの変態シスコン男に慰めの言葉を掛ける必要があるのじゃ』

『人を変態呼ばわりするな。それに、僕はシスコンではないぞ? 世界一、いや、宇宙一大切な目に入れても痛くない妹達を愛しているというだけだ』

『世間一般的には、それを重度のシスコンというのではなかろうか』

『心外だな。お前にだって、家族や兄妹が居たらそう思うだろ?』

『……そんな昔のこと、今は憶えておらぬわい』

『すまない。今のは踏み込んだ内容だった』

『別に。本当に遠い話じゃ。今は声、顔すらも思い出せぬほどに』


 僕は掛ける言葉を失った。

 今現在、大切な存在を自認できるというのは本当にありがたい。

 だけど、世の中の大多数の人間は、失って初めて気づく。


 そんな人間の心理について考えていると、小陽ちゃんがドタドタドタと床を鳴らしながら駆け寄ってきた。


「お兄ちゃーん、選択するから脱いで脱いでーっ」

「ん、え、うん」

「ほらほらえーいっ!」

「あーれー」


 僕はそんな情けない声を上げる。

 昔の映像作品で、女性が悪代官に衣類を剥がれる時のあれのような声だけれど、まさにそれだ。

 制服どころか、ワイシャツ、ズボンが次々にこの身から離れていき、あっという間にパンツ一丁。

 

「あぁ、わたし、これじゃあお嫁に行けない」


 赤面して顔を両手で隠す僕に対し、なんとも嬉しい言葉が注がれる。


「じゃあ、その時は私がお兄ちゃんを御嫁さんに迎えてあげるよ」

「えっ、心陽ちゃんかっこいい惚れそう」

「でしょ? だから、その時はよろしくねっ」

「ああ、その時はよろしく頼む」


 パンツ一丁で澄ました顔をしてそう言葉を返す。

 さて、傍から見れば完全なる変質者なのだが、心陽ちゃんは胸を張って僕の衣類をかっさらっていった。


 どうしよう、先ほどから台所で作業をしている衣月ちゃんから鋭利な視線を向けられているような気がするのだけれど。

 このまま包丁とか飛んできませんよね? 大丈夫ですよね? お兄ちゃん、今物凄く身の危険を感じます。


「にいに、いつまでもそんな恰好をしていると風邪ひいちゃうよ? でも、そうなったら私がしてあげるから」

「ああ、その時はよろしく頼む」


 なにか、なにか物凄く悪寒が走るような言い方をされたような気がするけれど。

 ここは衣月ちゃんの言う通り、自分の部屋へ行って部屋着に着替えるとしよう。

 可愛い妹に看病されるというのは至高だけれど、そこに僕の自由は微塵もなさそうだ。


 軽装の身を残した僕は立ち上がり、部屋を後にした。


『いつもありがとうな』

『はて、主様は一体どんな病気にかかってしまったのかえ?』

『僕も随分とらしくない台詞と吐いているのはわかっているさ。こうしている今も背中がぞわぞわっとしている』

『ではどういう風の吹き回しなのじゃ、妾に頼み事でもあると?』

『いや、そういうわけではない。僕が大切にしている唯一の時間を邪魔しないでいてくれていることぐらい、わかっているんだ。だから、ありがとう、だ』


 返事はなかった。

 こんな感じに愉快な付き合い方ではあるけれど、僕も未だに掴めていないことが山ほどある。

 

 祓魔師としての仕事を全うできているからというわけではない。

 本当に、いろいろと感謝しているんだよ――たえ

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