第3話『辛口と辛辣の狭間に僕は居る』

 視界の範囲内には人の姿はない。となると、背後。耳を澄ませると軽い足音。振り返ると、女生徒の姿が。


 目が合った。


 いかにもやる気がなさそうな、気怠そうに目を細めている。

 体調が優れないのか、はたまた元々虚弱体質なのか。第一印象で断定するのには判断材料が少ないのだけれど。

 なぜそんな感想を抱いたかというと、モデルなのではないかと錯覚してしまうほどのスタイルの良さが原因である。紺色の制服の上から見える体の輪郭は言葉よりものを言い、スカートから伸びるスラっとした足は嘘のない決定打だ。


 ふと、森夏を思い出す。


 彼女もまた、初見では今と同じ感想を抱いていた。とするならば、これは男子が抱く勝手な理想像であり、僕が言葉を交わした女子達こそが普通なのだろう。

 これからは無駄に心配するのは、ただのお節介だと心に留めておかなければならない。


 しかし彼女の目は急激に嫌悪が宿る。


「どなた様かしら、この時間のここは私の特等席なのだけれども」


 彼女は邂逅一発目にそんな自己中心的な発言を繰り出してきた。


「これは申し訳ない。キミの気分を害そうと目論む者ではない」


 我ながら滑稽な光景であるが、敵意がないことを示すため、身振り手振りひらりひらりと動かす。

 だってそうだろう、偶然この場所に行き着いただけだ。僕に非はない。


「では、侵略者? それとも不審者?」

「いや、冷静に考えてくれ。僕はこの学校に通う男子生徒の制服を着用していると思うのだけれど」


 我ながらおかしなことをしている。

 どうして弁明のため速やかに上着を脱ぎ始めているのだ。


「いきなり服を脱ぎだすということは、あなたはやっぱり不審者なのね。それとも露出が趣味の変態なのかしら。どちらにしても関係はないわ。そこで待っていなさい。すぐに教師を呼んでくるから。自らが犯した罪をそこで懺悔していなさい」

「お、おい。待ってくれよ。待ってくださいよ。一旦冷静になって話を聴いてください、お願いします」


 そんなことをされてはたまったもんじゃない。

 転校してきて初日、汚名を背負う羽目になる。ともなれば、茨の道は避けられない。辺りから白い目で見られるというおまけ付きで。


 ダメだ。そんなことは絶対にダメだ。

 せっかく知り合えた清楚系超絶美少女の森夏と金輪際喋れないどころか、愛する妹達からも白い目で見られ倦厭されてしまう。

 この際、プライドは捨てるしかない。

 僕は、ここ日本で最上級の謝罪――土下座をした。

 勢い余って強烈に額がコンクリートの床に打ち付けられ、鈍くゴンッと音を鳴らす。


 さすがの彼女も何が起きたんだと思ってくれたのだろう、ピタリと足音が止まったのを耳で確認できた。


「それは、何の真似なのかしら。もしかして命乞いというやつ?」

「ああそうだ。頼む――いや、お願いします。ちゃんと説明をしますのでお話を聴いてはいただけないでしょうか」

「あら、そうやってしっかりとお願いをされていたのであれば、私は最初からあなたの話を聴いてあげても良かったのだけれども」


 必死さのあまり声が大きくなり、唾が飛んでいると思う。情けなく。

 どの口がそれを言うのか、とツッコミを入れたくて仕方がないけれども……それを言ったところで状況が悪化してしまうだけだ。


 これ以上の状況悪化を防ぐため、できるだけ心を無にして顔を上げた。


「それで、何かしら犯罪者さん。確かに、私が知っている制服を着ているようだけれど」

「そうだ、そうなんだ。わかってもらえて嬉しいよ。でももう少し理性を宿してほしいんだ」


 これほど他人に期待したことは初めてだ。

 どうかお願いします。一般的な常識と知性を持ち合わせてくれ。


 こめかみを汗と焦りが伝う。


「そのネックレス……」

「これは……そう、ファッションの一環で普段身に付けているのだけれど、外し忘れてしまっていたんだ。いけないんよね、こういうのは。しっかりと外しておかないといけないよね」

「中二病なのね。その歳にもなって、まだ患っているのであれば高二病というのかしら? 私はそういうのに疎くて。どこの病院へ行けばいいのかしらね? 救急車には乗せてくれるのかしら」


 うぐっ。ぐぎゃー!

 な、なんだ。なんなんだこの女。

 どうしたら初対面の相手にここまで鋭いキレッキレな言葉を吐けるのか。もはや彼女はそういう以外の言葉を知らないのではないかと疑いたくなる。


 でもこればかりは言葉にしても仕方がない。


 祓魔師というのは、一般世間からすればかなり認知度が低い。面と向かって馬鹿正直に言ったところで、冷たい目で見られるのが関の山。今は鋭い刃物を甘んじて受け入れよう。


「よしてくれ、それ以上は僕の体力が尽きてしまう」

「あらそう。ならばそのままコンクリートに顔を埋めるといいわよ」

『随分と苦戦しておるの。敵と見做せば一つも話を聴きはせん、人間というのは本当にたちが悪い』

『ああ、現在進行形でそれを味わっているから言いたいことは痛いほどわかる。だが、そう思うのであれば何かこの状況を打破する提案をくれ』

『残念ながら、言葉のボキャブラリーは多い方ではないからの。主様やい、ファイト』

『おい、それでも僕の従者かよ』


 内の内で話が盛り上がっても仕方がない。


「それで、説明すると言っていたけれども」

「そうだ。僕は――」


 ――言葉は遮られた。チャイムによって。


「もういいわ。私の貴重な時間を奪ったのだから、あなたがどういう人間でありどういう立場なのかはわからないけれど、罪人は罪人よ」

「そればっかりは本当に申し訳ないと思う」

「じゃあ、二度と顔を拝まないことを願うわ」


 そう言って彼女は、僕に背を向けて優雅に去って行った。

 あれはあれで、僕に冷酷な態度をとることでなんらかのストレスでも発散していたかのようだ。でなければ、口論した後あんなにゆっくりと余裕のある歩きをしないはずだ。きっと顔を見たら笑みを浮かべているに違いない。


 幸か不幸か、チャイムによって僕は悪魔より悪魔らしい悪魔から命の危機を救われた。




 教室に戻った僕は、救いの天使に癒しと助けを求めた。


「超絶毒舌で栗毛の長髪女子?」

「ああそうだ。それはもう悪魔の形相をした女子生徒だ」

「そんな人いるの……かな?」


 僕も我ながらおかしな質問をしていると思う。

 だとしても、僕は嘘偽りのない事実を述べているつもりだ。

 非常に申し訳ないのだが、それしか情報がないのだから森夏には迷惑を掛ける。


「うーん……もう少しだけ情報があったのなら、推理しやすいんだけど。でも、転校してきたばかりの天空くんには酷ってものだよね」

「気を使ってくれてありがとう。だけど勘違いしてほしくない。別に特定してやり返したいとか、そういうのではないんだ」

「うん、だと思ったよ。でもー、うーん……。誰だろうなぁ、少なくともこのクラスの人ではないのは確かってことぐらいだよね」

「そう――だね」


 言われてみればそうだ。もしかしたらクラスメイトにいるかもしれない。と思い、一瞥するも、黒いオーラを羽織る者は居なかった。


 人当たりも良く交友関係の広そうな森夏も、人差し指を顎に当て眉を持ち上げている。

 出会って間もない僕が相手だっていうのに。こんな訳の分からない質問に対しても真剣に考えてくれているのが伝わってきて、申し訳ない気持ちが永遠に込み上がってきて仕方がない。


「随分な物言いでね、僕の心はもうズタボロだよ」

「天空くんにそこまで言わせるなんて、その子は相当なドSなんだね」

「ド!?」

「え? どうかしたの?」

「い、いや、なんでもない」


 森夏からそんな単語が出てくるとは予想だにしていなかった。

 我ながら奇声を発したと思う。現にほら、周りの人達も振り向いてしまっている。


 森夏が言うように、確かにそうだ。

 あの時あの瞬間は言い分を話そうと必死になっていたけれど、よくよく考えてみたら僕にはなんら非がないじゃないか。


 時計の針が動く音がほんの少しだけ聞こえ、森夏は目線を移した。


「あ、そろそろ先生が来ちゃうから。またね」

「うん」


 森夏は好印象な笑顔を浮かべ、小さく手を振って自席に戻っていく。


 ああ、天使か。いや、天使だ。彼女は癒しだ。

 随分と気持ちの悪いことを思い浮かべているのは自認している。だが、辛辣と辛口の板挟みになっていたさっきを思い返せば、これぐらいは許してほしい。


 まあでも、今回の一件で学んだ。

 お昼休みはあの時間にあの場所へ行くのをやめればいい。

 ということで、今後は彼女に会うことはあまりないだろう。そう――思いたい。心の安寧が保たれるために。

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