5「義妹を忘れていたけどどうでもよくね?」②





 S県向島市は、山があり、川があり、そして海がある。

 一年を通して釣りができ、キャンプもできるため、観光客も多い。

 そんな向島市の海岸から数キロの沖合で、学生服姿の夏樹は宙に浮かんであぐらをかき水面を睨んでいた。


「それにしても、杏ってあの杏のことだったのか。数年ぶりだったから忘れていたよ」


 かつて夏樹には妹がいた。

 血の繋がりのない、ひとつ年下の義理の妹だ。

 名を、綾川杏という。


 夏樹には父がいない。物心ついた頃からいなかった存在なので、気にしたことはなかった。父親がいる同級生を見ても羨ましいとは思ったことだって一度もない。

 父がいなくても、父親代わりに頼れる大人がいてくれた。時には母にできない相談をしたこともある。

 だが、母は父親不在をあまりよく思っていなかったのか、夏樹が通っていた幼稚園で知り合った男性を数年前に連れてきて再婚を考えていると告げられた。


 綾川誠司という母よりも少し年上の、気の良さそうな男性だった。

 彼には、夏樹よりひとつ年下の杏という娘がいた。

 共に片親ということで親しくなり、お互いに男手が、女手が必要なときに協力し合う関係だったようだ。

 だが、次第に子供たちに手がかからなくなってくると、助け合いではなく、友人として接することが多くなり、誠司は母に好意を寄せるようになっていた。

 想いを打ち明けられた母が誠司をどう思ったのかまではわからない。しかし、気持ちを受け入れ、再婚を決めた。


 由良家は、母と夏樹、義父と杏の四人家族になった。

 最初の一年は、慣れないながらも楽しい時間を過ごしていた記憶がある。

 夏樹と杏はお互い幼かったこともあり、すぐに親しくなった。

 誠司と夏樹、母と杏の関係も少しずつ深まり、一年も経つ頃には本当の家族になれた気がした。


 ――しかし、そんな家族の関係も、幼馴染み三原優斗の存在によって崩壊していく。


 始まりは、杏と優斗が出会ったことだった。

 当時、すでに優斗を持て余していた夏樹だったが、母親同士が友人であることや、まだ子供であるため邪険にすることを悪いことだと思っていたため、よく遊んでいた。

 そこへ人見知りをしていたが夏樹と遊びたがった杏が加わり、優斗と親しくなかった。


 ただ親しくなるだけなら、後々大きな問題にはならなかったが、杏は優斗に好意を抱くようになった。

 優斗と出会う数日前には「お兄ちゃんと結婚する!」と恋心ではなくとも、好意から言ってくれていた杏が、それ以来変わってしまった。


 口をひらけば優斗、優斗という。

 母も義父も、娘に好きな子ができたのだと微笑ましく思っていた。若干の違和感もあったようだが、子供なのでそのままだった。


 次第に、杏はどんどん変わっていった。

 夏樹と優斗を比べるようになり、「お兄ちゃんを取り替えてほしい」と言うようになる。その度に、義父が「言っていいことと悪いことがある」と叱ると、謝罪するが、繰り返された。

 だんだんと夏樹への口調が攻撃的になり、優斗の周囲にいる女子を敵視するようになった。

 この頃になると、杏と夏樹はまともに会話をした記憶がない。

 急な罵声、ヒステリックに物を投げられたことならある。

 実の兄妹なら、こんなものだと流すこともできただろうし、夏樹以外の誰かなら歩み寄ろうと努力したのかもしれない。しかし、夏樹は、また優斗におかしくされた、と杏を見なし、「触らぬ神に祟りなし」と思って極力関わらないようにしていた。


 別に、杏が初めてだったわけではない。

 優斗に想いを寄せた女子は、基本的におかしくなる。

 夏樹たちにはどうすることもできず、だからと言って優斗が関わらなければまともだ。対処のしようがない。

 夏樹も自分を嫌う杏のために何かする理由を見つけられず、放置した。


 杏が小学校六年生に上がる頃、夏樹への態度はもちろん、母へも罵声を浴びせ、食事をひっくり返したり、暴れたりすることが増えた。

 母と義父は話し合いをして、子供たちに悪影響がこれ以上ないうちに離れた方がいいと判断し、離婚した。

 その後、杏は落ち着きを取り戻したようだが、見かけると必ずと言っていいほど優斗の周囲にいた。


「中学で顔を合わせた時も、ゴミ見たいな目で見られたよなぁ。優斗のなにがそこまで夢中にさせるのかわからないし、わかりたくないけど……杏も入れ込んでいた優斗に彼女ができたなんて知ったら、心中穏やかじゃないだろうねぇ」


 優斗の弟の一登は、夏樹はもちろん杏とも仲が良かった。

 とくに杏のクラスメイトであり、今でも交流があるはずだ。

 おそらく、優斗の彼女の件で、相談があったのだろう。


「なんつーか、俺には関係ないかなーって。勝手にどうぞって感じ」


 義妹を思い出してみたが、懐かしさは微塵も感じず、特にこれといった感情も浮かばない。

 親しい時間が短かったせいか、所詮他人だった。


「ま、いいや。それよりも、魔法だよ! めちゃくちゃ使えるじゃん! 全盛期よりは肉体が問題なのか劣るけど、これはもう異世界から帰還した俺が地球でチートぶちかましちゃう未来しか見えないじゃん!」


 あまり思い出のない義妹より、異世界で会得した技術の数々を戻ってきた現在でも使えることに夏樹は喜びを隠せなかった。

 同時に、異世界での日々がやはり夢ではないと確信したのだった。





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