7「オリヴィエ・アルウェイの理由」①





 学園から馬車に揺られて十五分ほどが経ち、王都の中心部に位置する住宅街についた。


「こちらがオリヴィエ様と奥様が暮らしています、アルウェイ公爵家別宅です。さあ、どうぞ、こちらです」


 少し馬車酔いしたジャレッドがトレーネに言われるままついていく。

 公爵家が別宅を持つことは珍しくないが、はっきり言って男爵家の実家よりも小さい。門番のいない門をくぐると、手入れされた庭園があった。四の月特有の季節の花々が咲き乱れていて、鼻孔を甘い匂いがくすぐる。土地もそうだが、屋敷も大きくなく二階建てだ。


 公爵家の別邸という割には豪華さのない質素な建物だ。これでは商家の屋敷の方がよほど規模が大きくて派手だ。

 先行するトレーネが玄関の扉を開き、ジャレッドを招き入れた。


「あらあら、お客さまかしら?」


 すると、そこには波打つブロンドの髪をバレッタでまとめた三十代半ばほどに見える女性が花束を抱えて微笑んでいた。


「ハ、ハンネローネ様っ!?」

「――え?」


 トレーネが女性の名を呼び慌てて駆け寄ると花束をひったくるように奪う。


「お花でしたらわたしがやりますといつも言っているではありませんか!」

「だってトレーネちゃんは忙しそうですし、わたくしだってお花の世話をしたいわ。庭園だってあまり触らせてもらえないから、おばさん暇なのよ」

「でしたらお茶を用意しますので、お部屋でごゆっくりなさってください!」

「もう、いじわるねぇ」


 無表情なのは変わらないが、トレーネの頬がわずかに引き攣っているのを見逃さなかった。だが、ジャレッドも同じように頬を引き攣らせている。

 なぜなら――ハンネローネ・アルウェイはアルウェイ公爵の正室の名だ。つまり、オリヴィエの母親なのだ。

 外見こそ三十代半ばに見える美しい女性だが、二十六歳の子供を産んでいるのだ、おそらく外見よりももう十歳ほど年上のはずだった。

 トレーネに対するのほほんとした態度といい、成人している娘がいるとは思えない。


「トレーネちゃん、そちらの方を紹介してくださらないかしら? その青い制服は王立学園の生徒さんだと思うのだけど」

「この方はジャレッド・マーフィー様です。オリヴィエ様のご婚約者様ですよ」

「お初にお目にかかります。ジャレッド・マーフィーと申します」


 場所が場所であるため膝をつくことはできなかったが、失礼のないように深々と頭を垂れる。


「お顔をお上げになって。オリヴィエちゃんの婚約者ならわたくしの息子になるのよね。実の母だと思って楽に接してほしいわ」

「ですが……えっと、はい。ありがとうございます」

「旦那さまにオリヴィエちゃんにお婿さんを探してほしいとお願いしていたのだけど、ようやく見つけてくださったのね。いつまでも結婚しないからずっと不安だったのよ。でも、あなたのような魔術師さんがお婿さんになってくれるのは嬉しいわ。さっそくお礼のお手紙を書かなくちゃ」


 嬉しそうに微笑むと、ジャレッドたちに手を振って階段をあがっていってしまう。

 対応に困っていたジャレッドだったが、ハンネローネが自分のことを魔術師だと言ったことを思いだす。


「あの方は、俺が魔術師だと知っていたのに、オリヴィエさまの婚約者候補であることは知らなかったの?」

「いいえ、それは誤解です。ハンネローネ様はジャレッド様に関する情報はなにも知りません」

「いや、だって今、俺のこと魔術師だと」

「ですが、お名前はしりませんでしたよね。ハンネローネ様は魔力を見ることができるのです」

「――っ。それってかなり凄いことなんだけど?」


 もちろんです、トレーネは自慢するように力強く頷く。


「ハンネローネ様は相手の魔力を見ることがでるだけではなく、その魔力の質まではっきりとわかるそうです。わたしにはどのように見えているのか理解できませんが、ハンネローネ様が才能を見抜いた魔術師は何人もいます。おそらく、ジャレッド様の魔力と素質を見抜いたのでしょう。その上で、オリヴィエ様の婚約者としてふさわしいと安心なされたのだと思います」

「ハンネローネさまは、今までオリヴィエさまに婚約者がいたことは知らないみたいだね」

「……オリヴィエ様に今まで婚約者がいたことはありません。あくまでも婚約者候補です。ですのでハンネローネ様にお知らせすることも、紹介する必要もありませんでした」

「俺もその婚約者候補なんですけど?」

「そのことに関しましては、オリヴィエ様から直接お聞きください。では、ご案内します」


 トレーネが言葉を止めて足を進める。ほしい情報が素直に手にいれることができずにもやもやするが、オリヴィエに会えば彼女が教えてくれるはずだ。ジャレッドもトレーネに続いた。

 失礼を承知で屋敷の中を見渡すと、飾り物は最低限だが決して粗末な感じはしない。高級な物が少数飾られている屋敷の中はむしろ上品な印象を受ける。


「こちらでオリヴィエ様がお待ちしています」


 ひとつの部屋の前で足を止めると、ジャレッドに目配せしてからトレーネがノックする。

 廊下にもよく通る声で返事が聞こえた。


「わたしはお茶をご用意しますので、ジャレッド様おひとりでお入りください」

「あ、ああ、わかった。ありがとう」


 トレーネに礼を言い、ジャレッドはオリヴィエの待つ部屋に入った。


「ジャレッド・マーフィーです。お招きどうもありがとうございます」

「お久しぶり――ではないですけど、ようこそ。お待ちしていましたわ。さ、座って」


 部屋は応接室ではなく、オリヴィエ本人の部屋だった。

 天蓋付きのベッドに、鏡台、タンス、ソファテーブルが几帳面に並んでいる。

 言われるままオリヴィエと対面する形で、テーブルを挟んでソファに腰をおろす。


「この度は、宮廷魔術師候補に選ばれたことおめでとうございます」

「ありがとうございます。あの、お聞きしてもいいですか?」

「あら、なにかしら?」

「俺が宮廷魔術師候補の話を知ったのは昨日で、正式に受けたのも今日です。ですが、あなたは知っていた。その理由は?」


 はっきり言えば自分の情報が筒抜けであることは構わない。どれもいずれはわかることばかりなのだから。肝心なことはしっかりと隠れているため、オリヴィエに問うのも好奇心からだ。


「秘密よ。でも、それだとかわいそうだから、そうね……公爵家の力、と言えば納得してくれるかしら?」

「納得するしかありませんね」

「なら結構よ」


 ころころと楽しそうに表情を変えるオリヴィエは初対面のときと印象が違う。あのときは、値踏みされる視線もあって居心地が悪かったが、今はそうでもない。

 苦手意識があるため緊張こそしているが、オリヴィエから伝わる張り詰めた空気がないのだ。

 昨日のオリヴィエは不満と苛立ちを抱えていたが、今の彼女からはそれを感じない。

 ジャレッドは少しだけ肩の力を抜いた。


「わたくしは驚いているのよ。自分でも宮廷魔術師にたった二年でなれなんて随分無茶を言ったと自覚はしていたけど、まさか昨日の今日で足がかりどころか宮廷魔術師候補になっているなんて、すごく悔しいわ」

「悔しいって……やっぱり嫌がらせだったんですか?」

「当たり前じゃない! お父様からいきなり婚約者を選んだと言われて調べたら十歳も年下の童貞坊やなのよ! 少しぐらい嫌がらせしたってバチはあたらないでしょ!」


 さりげなく童貞などと貴族の令嬢らしからぬ単語がでてきたが、聞かなかったことにする。一緒に、苛立ちも胸の奥へと隠した。

 噂ほどではないが、なかなかいい性格をしているのだと心底思った。


「もっとも、あなただって行き遅れの女を押し付けられたのだから困ったものよね。ダウム男爵とお父様は随分と親しいみたいだけど、さすがに婚約話を断れなかったようね。あなたも貧乏クジを引かされてしまったわね」

「俺も当日に聞かされたので随分と驚きました。ご存知かもしれませんが、冒険者になって大陸を旅しようと思っていましたので、少々予定が狂ったのは事実です。しかし、宮廷魔術師候補の話があったことは嬉しいことでした」

「あなたの魔術師としての功績も全部調べたわ。なんというか、驚きの一言ね。騎士団を派遣しなければならない魔獣を単身で撃破してしまうなんて、宮廷魔術師団の一員でも無理でしょうね。わたくしは魔力のかけらもないのでわからないけど、あなたは魔術師の中でも特殊な力を持っているとも聞いているわ。確か、大地属性だったわね」

「はい。地属性、火属性、水属性の複合属性を大地属性と言います。詳しく説明しますと――」

「あ、詳細はいいの。別に聞いてもわからないから」


 この野郎、と口から言葉が飛び出さなかった自分自身を褒めちぎる。

 てっきり興味を持っているのだと思って説明しようとすればまったく聞く気がない。せめて興味がなくても、少しぐらい話を合わせて聞いてくれてもいいんじゃないかと思ってしまう。


「色々とあなたとは話をしたいことはあるのだけど、もっとも大事なことだけ今この場で返事を聞かせてほしいのだけど、構わないかしら?」

「構いませんよ、どうぞ」

「じゃあ遠慮なく。ジャレッド・マーフィー、あなたはわたくしオリヴィエ・アルウェイと本当に結婚する気があるのかしら?」



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