8「オリヴィエ・アルウェイの理由」②





「あなたこそ、俺と結婚するつもりがあるんですか?」

「質問に質問で返事をするのは感心しないわね。でも、その勇気に免じて応えてあげる」


 花が咲くような笑顔を浮かべてオリヴィエは断言した。


「――結婚するつもりなんてないわ」

「どうして、と聞いていいですか?」

「理由なんて簡単よ。わたくしは男が嫌いなの。もちろん女性が好きというわけじゃないわよ」


 笑顔のまま楽しく歌うようにオリヴィエは続ける。


「わたくしは人間が嫌いなの。心を許しているのはお母さまとトレーネだけよ」

「アルウェイ公爵はあなたのことを大事に思っていると感じましたよ……」

「大事に思っているのは本当でしょうね。だから感謝はしているわ。でも、好き嫌いか問われたら、嫌いよ。だって、わたくしが男を嫌いになったのは父のせいなのだから」


 なぜ、という疑問を発するよりも早く、オリヴィエの笑顔が一転する。


「父が世継ぎのためにお母さま以外の女を妻に迎えるのは理解できる。だけど、そのせいでお母さまがどれほど辛い目にあったのか父はわかっていないわ。優しく思いやりがあって、芯が強かったお母さまが正室なのに男児を産めなかったというだけでたくさん辛く悲しい思いをしたのは父のせいよ」


 オリヴィエの瞳にはゾッとするほどの怒りが宿っていた。


「父は気付いてくれなかった。どれだけ助けを求めても、なにごともなかったように強がっているお母さまを見て、わたくしの言葉を子供の戯言程度にしか思わなかった」

「それは……」

「無理して言葉を探さなくてもいいのよ。正室と側室の争いや、家臣や部下たちが力を持つ側室に従うことは貴族では珍しくないのだから。それでも、父はお母さまを気にかけるべきだった。愛していると言いながら、側室の数を増やし、入れ込んだ父をわたくしは許せない。だから男なんて嫌いよ。女だって嫌いだわ」


 ジャレッドにはオリヴィエの母を思う気持ちがわからない。産んでくれた母は幼少期になくなり、わずかな記憶しかない。祖父母に愛されたが、母とはまた違う。

 ただ、オリヴィエがハンネローネを心から愛していることだけはわかった。そして、母をしっかり見ていなかった父を嫌っていることも。


「昨日、側室を迎えるならわたくしが認めなければ駄目だと言ったのを覚えているかしら?」

「もちろんです」

「今話したことが理由よ。あんな思いはもうしたくないの。結婚するつもりなんてないけれど、父が強引にことを進めればわたくしはきっと逆らえない。だから、父への嫌味を込めてああ言ったのよ」

「教えてください、ならばどうしてオリヴィエさまは俺を屋敷に呼んだのですか? 結婚するつもりがないなら放っておけばよかったのに。ハンネローネ様が俺を見て喜んでしまいました。あとで悲しまれると思うと……」

「お母さまを気づかってくれるのね。でも、あなたを呼んだのもお母さまのためなの。わたくしの知らないところで、お母さまは父に手紙を送っていたそうよ。なんでもわたくしが結婚できないことが心配でしかたがないみたい。だから、あなたと会わせたの。母は喜んでいる以上に安心していなかったかしら?」


 そう尋ねられて思いだしたハンネローネの顔には、確かに喜び以上に安堵が浮かんでいた。

 行き遅れ扱いされる娘がようやく婚約者を連れてきたのだ。ホッとしたのだろう。


「あなたはわたくしが嫌がらせでだした無茶をなんとかしようとしている。もちろんわたくしのためではないことは承知しているけど、あなたの努力を認めて婚約者候補から正式に婚約者に認めるわ」

「いや、結婚するつもりがないのに俺を婚約者として認めたら、それはそれで問題じゃないですか?」

「あら、わたくしの婚約者になることが不満なのかしら?」

「不満と言いますか、周囲の目が……」

「――悪い噂のせいね。ご愁傷さま。でも、その噂だってわたくしが自分で流したわけじゃないから謝らないわよ。元婚約者候補たちがわたくしに嫌がらせされた腹いせに悪い噂を流しているのだから、わたくしは悪くないわ」

「嫌がらせだって自覚してるならオリヴィエさまにも原因がありますよね!?」

「ないわよ!」


 あくまでも自分が悪くないと言い切るオリヴィエに、性格が悪いところだけは噂通りですね、と言いたくなった。

 だが、周囲の目が気になるのは悪い噂を気にしてではない。婚約者として周りに認識されてしまってもいいのか尋ねたかったのだが、うまく伝わらなかったようだ。


 どうすることが最善なのかジャレッドは迷う。

 オリヴィエは結婚するつもりがないことを断言した。自分とだけではなく、誰とも結婚しないと言い切った彼女の意志は固い。

 母が結婚のせいで辛い思いをしたことが原因なので、第三者である自分にはなにも言えない。しかし、他にもなにか理由がある気がしてならない。

 オリヴィエはもっと違うなにかをジャレッドに隠していて、そのことを伝える気はないと薄々感じていた。


「そうそう、正式に婚約者として認めた以上、約束通りにこの屋敷で生活してもらうわよ?」

「本気ですか?」

「本気よ。だって、父やあなたのお祖父さまの前であれだけはっきり言ったのに有言実行しないなんて悔しいじゃない。わたくしのプライドに関わるわ」

「そんなプライド捨ててくださいよ!」

「嫌よ!」


 断固として意見を曲げる気がないオリヴィエに、苛立ちが湧くが我慢して大きく息をはくことで堪らえる。

 しかし、どちらにせよアルウェイ公爵と祖父母にオリヴィエに婚約者として認められたと伝われば、自然と約束通りにジャレッドはこの屋敷に送られるだろう。


 一方的な条件であったが、反論しなかったのも事実なのだ。

 なによりも祖父は約束を違えることは絶対にしない。祖母も急すぎる展開を同情してくれるかもしれないが、やはり送り出すだろう。

 結局、ジャレッドに選択肢などないのだ。


「わかりました。わかりましたよ! じゃあ、後日荷物をまとめてきますから、ちゃんと部屋の準備をしておいてくださいね!」

「あら、驚いた。本当に一緒に住むの?」

「――このっ」

「この? なにかしら、文句があるならはっきり言いなさいよ。あら、まさか公爵家の令嬢だという理由だけで遠慮しているのかしら?」

「……別に、文句なんて、ありませんよ」

「本当にないの? さっきから拳を握っているけれど、まさか苛立ちを我慢しているとか言わないわよね? 文句があるならぜひ聞かせてほしいわ。わたくしだって無茶を言っている自覚はあるから少しくらいなら好きに言っていいわよ」


 と、言われて素直に文句を言うほどジャレッドは馬鹿ではない。

 告げ口をするような性格ではないことくらい少し話せばわかるが、万が一ということもある。あとあと祖父に迷惑がかかることは絶対にごめんなのだ。


「魔獣を相手にしても一歩も引くことがない宮廷魔術師候補さまが、わたくしのような害がないかわいらしい女の子になにを怖がっているのかしら?」


 しかし、誰にでも限界と言うものがある。

 怒りではない、だが、つい――口が滑った。


「えっ……女の、子?」


 慌てて口を両手で塞ぐが遅かった。


「……ジャレッド・マーフィー。まさかわたくしに対する不満や文句を口にするのではなく、女の子という単語に疑問の声を口にするとはまったく予想していなかったわ」


 しまった、と大失言をしたことに気付くが手遅れだ。

 笑顔こそ浮かべているが、オリヴィエの声は怒りで震えている。


「いいわ、いいわよ。そのくらい言ってくれなければわたくしとしても張り合いがないと物足りなかったのよ。まあ、確かに女の子と呼ぶには少々歳を重ねていると認めましょう。でもね、女性はいつだって心も体も若いままでありたいのよ!」

「そんなこと知るか!」

「童貞坊やには女性と接する機会がないからわからないかもしれないけど、女性はガラス細工のように繊細なの。取り扱いに注意しなければ、大怪我するわよ?」

「童貞って言うなよ、貴族の令嬢らしく慎みを持てよ!」

「あら、あなたは慎ましやかな女性が好きなのかしら。でも、女なんて誰も彼も中身はどす黒く計算高いのよ。慎ましい理想の女なんて現実にいないわ、残念でした!」


 嫌な女だ、と心底思った。

 別に慎ましい女性が好みだとは言っていないが、理想の相手ではある。だが、同じ女性であるオリヴィエから慎ましい女性がいないという発言は少なからずショックを覚えた。

 まだ十六歳のジャレッドは女性と付きあった経験はなく、恋をしたこともない。だからこそ、幻想とまではいかなくても、憧れのようなものを女性に抱いていた。

 それをはっきりとないと断言されたのだから、ジャレッドのショックは計り知れない。

 むしろ、自分の心がガラス細工のようだったと自覚する。


「どうせわたくしのことも、噂とは違ったいいところがあると少しくらいは夢見ていたのでしょうけど、どうせ行き遅れで性格も口も悪い嫌な女よ。だいたい返事こそ聞けなかったけど、あなただってわたくしと結婚するつもりなんてなかったでしょう? どうやって断ろうか悩んでいたはずよ!」

「いや、あの、結婚するつもりはあったよ」


 感情的になったオリヴィエをなだめようとしたが、


「嘘つきっ!」


 かえって逆効果となってしまった。

 ソファから身を乗り出したオリヴィエが大きく手を振りかぶり、音を立ててジャレッドの頬を引っ叩いた。



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