第8話 きゅうり消失

 しばらく降り続いていた雨が次第に弱まっていく。

 灰色の雲が流れていき、かくれていた太陽がようやく顔を出すようになった。

 晴れたらみんなですもう大会が再び始まる、と思っていたけれど……。


「カーッ! カッカーッ! カッカッカッ!」

「クエーッ! クエーッ! クエーッ!」

「クエッ! クエッ! クエッ! クエッ!」


 なぜかカッパたちが鳴き声をあげながら取っ組み合いをしている。

 すもうをとっているようにも見えるが、今起きているのは明らかにケンカだった。


「さっきまであんなに楽しそうにしていたのにどうして?」

「あたしたちが雨宿りしている間になにがあったの?」

 ヒロと鬼丸は、いっしょに疑問の声をあげる。


「どこへかくした!」

「あんなにたくさんあったんだぞ!」

「お前が食べたのか!」

「だれが取ったんだ!」

「クエッ! クエーッ! カーッ!」


 カッパたちの話を聞いているうちに、ケンカの原因がなんとなくわかってきた。

 岩の上に目を向けると、山盛りにあったはずのきゅうりが一本残らずなくなっている。

 カッパたちは、だれかが勝手に食べたか、取ったせいだ、と怒っているらしい。


「お願い! あの時みたいにケンカを止めて!」

 鬼丸が真剣な表情でヒロに話しかける。

「このままだとすもう大会ができなくなっちゃう。そしたらあの子たちがかわいそう」


 鬼丸が指さした先には、体の小さなカッパたちがケンカに巻き込まれないようにしゃがみこんでいる。怖くてふるえているのか、くちばしを小刻みに開け閉めしている。


「そうだね。やっぱりケンカはよくないよ。こういう時こそ話し合わないと」


 ヒロは足を一歩前に出すと、口を大きく開いて宣言する。


「妖怪裁判を始めます!」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ヒロの一声でカッパたちは静かになり、なにやら小声で話し始める。


「カァー。なんでも人の子は、木が切りたおされた事件を解決したことがあるらしいぞ」

「クェ。妖怪裁判のことだろう。おれも一反木綿いったんもめんの奴から聞いたなあ」

「カッカッカッ。この子にすもうの行司を頼んだのはそれが理由だ。裁判と同じように、公平にすもう勝負を見極みきわめられると思ったからな」

「クェクェ。だったら、今回の件も人の子に任せてみようじゃないか」

 やがてカッパたちは、納得したように何度もうなずき合った。


「クエーッ! 人の子と鬼の子は雨が降っている間、なにをしていたんだ!」

「カーッ! まさかお前らが取ったんじゃないだろうな!」

 しかし中には、ヒロや鬼丸がきゅうりを取ったのではないかと疑うカッパもいた。


 それも当然の話である。

 ふたりは、カッパたちとはなれたところにいたのだから。

「ぼくたちは、唐傘おばけさんといっしょにずっと雨宿りをしていました」

 ヒロは、すぐに自分たちがやっていないことを説明する。

「本当だろうな? もし勝手に食べていたのなら尻子玉を抜いてやるぞ!」

「本当よ。そんなに疑うならあたしの口の中を見せてあげるんだから」

 鬼丸が口を大きく開けると、人間にもカッパにもない白いきばが並んで生えている。

「ク、クエェ……」

 カッパは、彼女のとがった牙を見てなにも言えなくなった。


 再び静かになったところでヒロは、みんなに聞こえる声でゆっくりと話す。

「雨が降っている間、岩の上にあったきゅうりを見ていた人はいませんか?」

 カッパたちは、少し考えるそぶりを見せた後、くちばしを固く閉じた。

 みんな頭の皿を雨にぬらしたりおどったりするのに夢中で見ていなかったのだ。

 雨が降り始めたばかりの頃は、たしかにきゅうりは岩の上に置いてあった。

 だがそれ以降はヒロも鬼丸も、唐傘おばけと話したり雨を眺めたりしていた。

 そのせいできゅうりのことをすっかり忘れていた。


「きゅうりがなくなっていることに最初に気づいたのは、だれですか?」

「カッカッカッ! おれだ!」

 水かきのついた手を高く挙げたのは、ヒロが最初に出会ったカッパだ。

「きゅうりがなくなったと気づいた時のことを、できるだけくわしく教えてください」

「わかった。少しずつ思い出しながら話してやる」

 カッパは、頭の皿に手を置きながらくちばしを開く。


「雨が止んだ後、最初にやったのは土俵の整備だ。土がぬかるんで線が消えていたからな。みんなで土を平らにならして、円と直線を描き直してから、すもう大会を再開しようとしたんだ。それから岩の方を見たら賞品のきゅうりがなくなっていたんだ。見まちがいかと思ってみんなで岩まで走ったが、きゅうりはどこにも落ちていなかったぞ」

 話し終えたカッパは、くちばしを固く閉じてうなだれた。 


 他のカッパたちも悲しそうな目をぬかるんだ地面に向けている。

「教えてくれてありがとうございます。それでは、みんなで考えていきましょう」

 ヒロは、元気づけるように大きな声で話しかける。


「やっぱりだれかが取ったんだ!」

「いや、だれかが食べたんだ!」

「おれたちが大切に育てたきゅうりを……ちくしょう!」

 うなだれていたカッパたちが一斉に顔を上げて、思っていることをさけび出す。


 しかしこれは話し合いではない。感情的になって思いつきを発しているだけだ。

 このままでは再びケンカが起きてしまいそうな空気になった。

「ちゃんと話し合いましょう! そのための妖怪裁判なんですから!」

「そうだよ! みんなで話し合えばなにがあったのかわかるはずだよ!」

 ヒロと鬼丸は、いっしょに大きな声で呼びかける。


「だったら、きゅうりはどこへ行ったんだ!」

「そうだ。きゅうりが勝手に消えるわけないだろ!」

「だれかが取ったか食ったに決まってる!」

 カッパたちがくちばしを開けたり閉じたりして意見を主張していく。


「落ち着いてください。今わかっている問題を一つずつ解決していきましょう」

 学級裁判でもこういうことはよくある。だからヒロは、落ち着いて提案する。


「雨の中、だれがどうやってきゅうりを取ったのか。具体的な方法を思いついたら教えてください。それが本当にできるのかどうか、みんなで考えていくのはどうですか?」


 しばらくカッパたちはくちばしを開けていたが、やがて小声で話し合いを始める。

「クエッ!」

 最初に手を挙げたのは、背の高いカッパだった

「一反木綿や天狗がきゅうりを取ったんじゃないか。あいつらは、空を飛べるだろう。雨が降っている間にきゅうりを取ってそのまま空を飛んでにげていったんだ。どうだ?」

 たしかに布の姿をした一反木綿も、翼が生えている天狗も、空を飛ぶことができる。

 雨で視界が悪かったし、空を見ていなかったから気づけなかった可能性はある。


 ヒロは、妖怪の本で読んだことを思い出しながら結論を出す。

「ご意見ありがとうございます。でも、一反木綿さんでは、むずかしいと思います」

「クエッ? なんでだ? あいつは、いつもひらひらふわふわ飛んでるじゃないか」

「一反木綿さんは布です。雨でぬれて重くなった布が空を飛べるでしょうか」

「……飛べないな。だったら、天狗のじいさんならいけるんじゃないか?」

「うーん、大きな翼なら雨にぬれても飛べるのかなあ。鬼丸さんは、どう思う?」

「天狗のじいちゃんも無理ね。最近は、腰が痛くて飛ぶのがつらいと言ってたから」

 本で得た知識ではない。

 実際に妖怪の世界で暮らしている鬼丸だからこその意見だ。

「カッカッカッ。昨日もおれたちカッパ特製の薬を持って帰ったばかりだったな。腰の痛みによーく効く薬だ。どしゃ降りの雨の中、きゅうりを持って飛ぶのはむずかしいだろう」

 どうやらカッパたちの間でも天狗の腰痛は有名だったらしい。


「クエーッ!」

 次に手を挙げたのは、体のほっそりとしたカッパだ。

「カワウソがきゅうりを持って行ったんだと思う。あいつは姿を変えることができるし、川を泳ぐのも得意だよ。だから、きゅうりを取った後に川へ飛び込んでにげたと思う」

 カワウソは、茶色い毛で細長い体をした動物で川を泳いで魚やカニを取って食べる。時には、たぬきやきつね、イタチと同じように人を化かすとも言われている。

「あいつらは肉食だが、たまに野菜を食べるところを見たことがあるぞ。なあ?」

「そうだな。おれたちカッパには負けるが、泳ぎも上手いし速かったからな」

「体は小さくても仲間といっしょにきゅうりを取って行ったのかもしれないぞ」

 カッパたちは、この意見に賛同してすぐに探しに行こうと川へ向かって歩き出す。


 ヒロと鬼丸もついていくが、川の流れを見たとたんにカッパたちを止めようとする。

「ダ、ダメです! 川に入るのはやめましょう!」

「みんな止まって! こんなところに入ったら危ないよ!」

 さっきまで底が見通せるほどきれいだった川が今は茶色くにごっている。水位は上がり、流れもはげしくて太い木の枝や葉っぱがたくさん流れてきている。

 どしゃぶりの雨が降ったせいだ。

 水温も下がって背筋がゾッとするほど冷たくなっているだろう。


「なぜだ。カワウソが川へにげたのかもしれないんだぞ」

 納得のいっていないカッパたちがそろってくちばしを鳴らす。

「きゅうりを取ったのはカワウソさんではありません。この川を見たらわかります」

 たしかにカワウソは、泳ぎが得意な動物だ。

 しかし、いくら泳ぎが上手くても流れのはげしい川を、きゅうりを持ったまま泳ぐのはむずかしいだろう。

「カァー。たしかにお前さんの言う通りかもしれないな」

 多くのカッパたちは、言うことを聞いて川へ入るのをやめてくれた。


「クエーッ! おれたちカッパは、カワウソよりも泳ぐのが得意なんだぞ!」

 それでも一部のカッパは、このくらいどうってことないと川に入ろうとする。

「『カッパの川流れ』ってことわざを聞いたことがありませんか。いくら泳ぎが上手くても、時には失敗してしまうことだってあるんですよ。危ないからやめてください!」

 祖父から教えてもらったことわざをヒロが大声で伝える。

「カ、カッパの川流れ……」

 さっきまで元気のよかったカッパたちが静かになり、顔色がどんどん青ざめていく。

「クエーッ……人間はなんて恐ろしいことを考えるんだ……」

 カッパたちは、すっかり川へ入る気がなくなったのか、また考え始める。


「あのう、ちょっとよろしいですか~?」

 なにか話したそうにやってきたのは、唐傘おばけだった。

「あ! こいつなら雨の中でも空を飛べるんじゃないか?」

 だれかが声をあげると、カッパたちはすぐに疑いの視線を向ける。

「やい唐傘おばけ! きゅうりをどこにやった!」

「そんなこと知りませんよ~」

「食べたらごちそうさまくらい言え!」

「食べてもいませんよ~」

 唐傘おばけは、困ったように傘を閉じた状態にする。

「唐傘おばけさんは、そんなことしてません。ぼくたちとずっといっしょでした」

「そうだよ。雨に降られて困っていたあたしたちを助けてくれたんだからね」

 とっさにヒロと鬼丸が助け舟を出す。

「クエッ。それはすまなかった」


 空といっしょに疑いが晴れていった唐傘おばけがようやく話し出す。

「雨の降る空を飛んでいた時にみなさんの姿が見えたんです。カッパはよろこんでいましたが、人の子と鬼の子は困っていたようなので来ました。その時、緑色のなにかが山の方へ入っていくのが見えたんですが、あれはきゅうりだったのかもしれませんね~」

「唐傘おばけさん。それは本当ですか?」

「ええ。雨で視界が悪かったですけど、たしかに緑色のなにかが動いていましたよ~」

 空から地上を見ていたという唐傘おばけから新たな情報が得られた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る