第14話 地鎮祭からの

 取り壊しは順調に進められ、翌週の日曜日の午前中、地鎮祭じちんさいが執り行われることになった。空は見事に晴れ上がり、地鎮祭日和と言えるだろう。


「こういうことはねぇ、無事にお家を建ててもらえる様に、きちんとやっておきたいねぇ。土地の神さんにお願いしておかんとねぇ」


 お祖母ちゃんはそう言い、リリコもそう思う。今は行わない例も増えているが、建築事務所に勤めるリリコとしては、家を建てるならやはりしておきたい行事のひとつだ。


 ここは今までリリコたちが暮らしていた土地だ。お祖父ちゃんやお母さんの思い出もあるので、それらを引き継ぐために地鎮祭をしないという選択もあった。


 だがお祖母ちゃんは「いちょう食堂」も入るのだし、工事に携わる方々の無事を願うという意味で実施することにしたのだ。きっとお祖父ちゃんもお母さんも許してくれるだろう。


 参加者はリリコとお祖母ちゃん、野江のえ建築事務所一同、そして「いちょう食堂」の大将さんと若大将さんに、建築会社の棟梁とうりょうさんと大工さんたち。そしてお祖母ちゃんがご近所付き合いをきちんとしていたからか、ご近所の方々もわらわらと出て来ていた。


 地鎮祭は、大阪では住吉すみよっさんの愛称で親しまれている住吉大社すみよしたいしゃにお願いした。


「前の家の地鎮祭もねぇ、住吉っさんにお願いしたんよ。その時から宮司ぐうじさんは代替わりしてはるやろうけどねぇ」


 この暑い中きっちりと狩衣かりぎぬをまとった老年の宮司さんは「そうですねぇ」と柔らかな笑顔を浮かべる。


「私の父か祖父やと思います。今回もしっかりとご祈祷きとうさせてもらいますんで」


「はい。よろしゅうお願いします」


 住吉大社は幼い頃から毎年初詣はつもうでに行っていた、馴染みの深い神社さんである。元旦には地元の神さま、日をあらためて住吉大社にもうでるのが恒例になっている。


 しめやかな雰囲気の中、地鎮祭は始まる。 修跋しゅばつの儀、降神こうしんの儀と粛々しゅくしゅくと進んで行く。神酒拝戴しんしゅはいたい献杯けんぱいし、神官退下しんかんたいげとなった。


 宮司さんはこれにてこの場を去られる。住吉大社の場合、宮司さんの送迎は施工主せこうぬしが行うので、お迎えと同様に、平野ひらのさんが事務所の車でお送りして行った。


 さて直会なおらいである。ここからの仕切りは大将さんと若大将さんだ。リリコとお祖母ちゃんは近隣のお宅に挨拶に行こうと、用意してある品を持ち上げる。と言ってもほとんどのご近所さんは地鎮祭を見守ってくれていたのだが。


「これからもよろしゅうお願いしますねぇ。工事中はうるさくしてしまうけど」


「かまへんかまへん。新しいお家楽しみやねぇ」


 そんな話をしながら、皆さんに挨拶の品をお渡しする。泉州せんしゅうタオルの可愛らしいタオルハンカチを選んだ。まだ暑さの続くこの季節に活躍してくれるだろう。


「ご飯のお店も入るんやろ? 開店したら来さしてもらうわ」


 お酒を出す飲食店が入るということもあり、前もって隣近所の方々には挨拶をしてあったのだ。その時に大将さんたちに分けてもらった「いちょう食堂」のショップカードも持って回った。


「まぁまぁ、ありがとう。美味しいええお店やから、ぜひご贔屓ひいきにしたってねぇ」


 そうしているうちに、敷地内からぱちぱちとぜる様な小さな音がしてくる。大将さんたちの準備が進んでいるのだ。


 リリコはタオルハンカチを配り終えて空になった紙袋を畳みながら、大将さんたちの元に駆け寄る。


「お手伝いできることありますか?」


「大丈夫やで。ほとんど家で仕込みして来たよってに。できるまでゆっくりしとってな」

「はい。ありがとうございます」


 大将さんと若大将さんは炭の火起こしのためにうちわを扇いでいた。着火剤は使わず、平たい木材を数枚燃やしてその上に炭を置いている。やがてじわじわと炭に火が移り、独特の香りが漂って来た。


「あ〜ええ匂いですねぇ〜」


 リリコがくんくんと鼻を鳴らすと、大将さんは「せやろせやろ」と得意げだ。


 ふたりがしているのはバーベキューの準備である。大型のバーベキューコンロをレンタルした。


 ご近所さんたちが遠目から大将さんたちの動きを「なんや、なんや」と見ている。


久実子くみこさん、あれは何をしてはるんです?」


「直会やねん。良かったら皆さんも食べて行って欲しいわぁ」


 そのつもりで大将さんたちには食材をたっぷりと用意してもらっている。ご近所さんたちから「わぁっ」と歓声が上がった。もちろん神さまからのお下がりもちょうだいする。


「久実子さーん、そろそろ焼きましょかー」


 大将さんから声が掛かり、お祖母ちゃんは「そうやねぇ」とのんびり応える。若大将さんが紙皿や割り箸を用意し、ドリンクがたっぷり詰め込まれた大きなクーラーボックスを開けた。


箕面みのおビールに堺収穫麦酒さかいしゅうかくビールとブランドビール各種、大阪地サイダーにウーロン茶に麦茶といろいろ用意しましたんで、好きなの飲んだってください」


「あら箕面ビール? こんなんあるんや〜。飲んでみよ」


「堺のこれって、ハーベストの丘で買えるやつやんな。俺これにしよ」


 ハーベストの丘とは、堺市にある遊戯施設である。アスレチックやボートなどのアミューズメントに、パン作りや時計作りなどの体験などがある。つり橋を渡った奥のエリアでは季節の花々が開き、動物とのふれあいもできる。


 電車の駅からは遠く、行くとなると、バスもあるのだが車が便利である。リリコの家には車が無かったので、あまり遊びに行く機会には恵まれなかった。


「わしはやっぱり定番のやつやな」


「まだ昼間やし、私はお茶かなー」


 そんなせりふが飛び交いながら、クーラーボックスに方々から手が伸びる。所長さんとハナさんはまだあるものの中からプレミアムモルツを取る。地ビールは珍しいのか人気で、もうほとんど残されていなかった。


 リリコはかろうじてあった箕面ビールのヴァイツェン、お祖母ちゃんもプレミアムモルツを手にした。


「ここのお家とお店が完成したら、こういう地ビールもいつでも飲める様になるんやなぁ」


 今日は確かに直会なのだが、「いちょう食堂」のお披露目ひろめでもある。「いちょう食堂」ではこんなものが飲めて食べられるんだよ、お店の人はこんな人だよ、今度からここで暮らすのはこんな人だよ。そんなことをご近所さんに知って欲しかったのだ。


「ほな皆さん、僭越せんえつながら乾杯させてもらいましょかね」


 お祖母ちゃんが言うと、その場はすぅっと静かになる。大将さんたちもウーロン茶のペットボトルを開けた。お祖母ちゃんは「こほん」と小さく咳払いをする。


「皆さん、今日はほんまにありがとうございます。これからもリリコと私と、そして「いちょう食堂」さんをどうぞよろしくお願いしますねぇ。では、乾杯」


「かんぱーい」


「乾杯!」


 皆さんがぐいとそれぞれボトルを傾け、次にはぱちぱちぱちと明るい拍手が響いた。


 さてバーベキュー開始だ。大将さんが別のクーラーボックスから食材を取り出す。保存袋にぎゅっと入っているお肉とお野菜。大将さんはまず網の外側に適当に切られた玉ねぎと人参、茄子を置いた。


「泉州たまねぎと彩誉あやほまれにんじん、鳥飼とりかい茄子ですわ。これも全部大阪もんです」


「へぇ〜」


 感心した様な声が方々から上がる。続けて大将さんはお肉の保存袋を開ける。まずはロースだ。


「大阪のブランド牛、ウメビーフのロースです。ウメビーフのいろんな部位持って来たんで、じゃんじゃん食べてくださいね。犬鳴豚いぬなきぶたも持って来てますさかいに。どれも肉の味を味わうて欲しくて、下味は塩と酒でしか付けてませんので、好みでたれとか付けてください」


 大将さんがトングでロースを熱々の網に乗せて行く横で、若大将さんが付けだれとタッパーをテーブルに並べる。


「はい。金龍焼肉のたれ、旭ポン酢とうららポン酢、レモン汁と塩を用意しました。お好きなのん使うてください。それと箸休めに泉州きゃべつのザワークラウト用意しましたんで」


「俺は焼肉のたれやな」


「私ポン酢でさっぱり食べたい〜。うらら香って初めてやからこっちにしよ」


「塩の焼肉にはやっぱりレモン汁やろ」


「ザワークラウトてなんや?」


「お酢で味付けしたもんや。ありがたいわぁ」


 網の上ではウメビーフのロースが焼けて行く。厚めにカットされていてとても贅沢だ。程よいところでひっくり返し、数秒焼いたら。


「はい、焼き上がりましたよ!」


 皆さんのお箸が一斉に伸びる。網の上はあっという間に野菜だけになり、大将さんはまたロースを敷き詰めた。


「はーい、じゃんじゃん焼きますさかいに」


 ドリンクもだが、お肉も近所の方々、棟梁さんと大工さん優先である。リリコたちに行き渡ったのは第2陣だった。


 「いちょう食堂」で何度かいただいたウメビーフ。だが炭火焼きは初めてだ。リリコはうらら香ポン酢を付けて口に放り込んだ。


「ん!」


 つい目をいてしまう。炭の香りをまとったウメビーフのなんと美味しいことか。じゅわぁっと溶け出した脂はしつこく無く、柔らかくて口の中で解けてしまう。きりっとした酸味のうらら香が余計にさっぱりとさせてくれ、リリコは「はぁ〜」と感嘆かんたんの溜め息を漏らした。


 その時土地の前に野江建築事務所の車が止まる。躍り出る様に飛び出して来た平野さんは開口一番「俺の肉は!」と叫んだ。


「まだ始まったばかりや。ぎょうさんあるから慌てな。車の鍵ちゃんと閉めてや」


 平野さんは所長さんの呆れた様な声を聞きながら車の鍵を閉め、取り皿などを若大将さんから受け取った。さっそく焼き上がったロースを頬張り「旨い〜」と呻いた。

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