第13話 お盆の夢幻

 その日の夜、リリコは夢を見た。家の居間で亡きお祖父ちゃんとふたりで、座卓を挟んで冷酒を飲んでいた。


 お祖父ちゃんが好きな日本酒。小さなグラスに注がれているので銘柄めいがらは分からない。しかしリリコはこれまで日本酒を飲んだ事が無い。夢だから飲める設定なのだろうか。


「今日も暑いなぁ、リリコ」


「せやねぇ」


 居間にエアコンは設置してあるのに、なぜか電源が入れられておらず、お祖父ちゃんもリリコもサウナの様に蒸した部屋の中で、タオルで汗を拭きつつ冷酒に手を伸ばす。お酒はきんきんに冷えて、グラスは汗をかいていた。


「なぁ、リリコ」


「ん?」


「あのなぁ、大丈夫やで。ぜぇんぶうまく行くからな。大丈夫やで」


 そう柔らかな口調で言うお祖父ちゃん。リリコはふと、数日前にもお祖母ちゃんに同じ様なことを言われたなと思い出す。


「せやからな、今の人間関係を大事にしてな、ほんで久実子くみこ、お祖母ちゃんを大事にしてな」


「うん。それはもちろん。でも急にどうしたん、お祖父ちゃん」


「ははは。まぁなぁ。うんうん」


「大丈夫やで、お祖父ちゃん。お祖母ちゃんのこと大事にするん当たり前やし、職場の人たちも大事やし。あ、お祖父ちゃん、「いちょう食堂」さんに行ったで。大将さんと若大将さんもええ人やな。ご飯もほんま美味しいし」


 するとお祖父ちゃんは満足げににんまりと笑う。


「せやろ。ええ店やろ。それもな、ほんまにぜぇんぶうまく行くからな」


「うちのテナントと賃貸に入ってもらう話?」


「それも含めてな。うん、大丈夫やで」


 お祖父ちゃんは穏やかな表情を崩さない。


「うん。そうやんな。お祖父ちゃんがそう言うてくれたら、ほんまに大丈夫やと思うわ」


「うんうん。せやからな、よろしくなぁ」


「ん? うん」


 リリコがきょとんとした表情で頷き、お祖父ちゃんが「うんうん」とふわりと笑った時。


 リリコは突然目覚めた。寝起きだと思えないぐらいに頭ははっきりしている。


「お祖父ちゃん……」


 夢の内容をはっきりと覚えている。お盆だからお祖父ちゃんが会いに来てくれたのだとリリコは思った。お祖父ちゃんに会えた嬉しさとその不思議さに、リリコは「ふふ」と笑みを漏らす。ふわりと心が暖かくなる。


「うん。大丈夫やんな、お祖父ちゃん。ありがとう」


 リリコは呟くと、ベッド脇に置いてあったスマートフォンで時間を見た。午前7時。今日は朝からお祖母ちゃんと不動産屋さんに行くことになっている。


 新居が完成するまでの仮家だとしても、できれば住みやすい家が好ましい。


「でも、お祖父ちゃんが大丈夫やて言うてたし」


 リリコはやっと上半身を起こし、大きく伸びをした。


 お祖父ちゃん、これからも見守っててな。


 リリコは勢い良くベッドから降りた。




 無事、家の近くのマンションに仮家を見付けることができた。せっせと引越し準備をしながら断捨離だんしゃりもし、とうとう移る日になった。


 お盆休みも明けてもうすぐ9月になろうというのに、まだまだ暑い日々が続く。リリコが休みの日曜日、引越し業者に大物やダンボールを託し、動きやすい服装のままのリリコとお祖母ちゃんは門柱もんちゅうの前で家を見上げる。


 こうしてあらためて見ると、確かにすっかりと古くなった。白いはずだった壁は雨や埃に晒されて薄い灰色の様な色になっている。


 リリコがこの家で暮らす様になったのは18年ほど前。まだ幼かったからあまり覚えてはいないが、その頃はもう少し綺麗だった様な気がする。


 その時点でもう建てられて30年近く建っていたはずだから、相応の汚れはあっただろうが。外壁の掃除まではなかなか行き届くものでは無い。


 それでも家の中はお祖母ちゃん、そしてリリコが日々綺麗にしていた。古いながらも大切に使っていた。思い出のたくさん詰まった、まだまだ大切な家だ。


 リリコはデジタルカメラを取り出すと、いろいろな角度から家を撮り始める。正面から、そして横からと何枚も。


 家の中はすでに撮影済みだ。お風呂やトイレまでカメラに収めた。柱の傷や裏庭もしっかりと撮ってある。仮家で落ち着いたらプリントして、お祖母ちゃんがいつでも見られる様にアルバムにするつもりだ。


「リリちゃん、何枚撮るつもりなん」


 お祖母ちゃんがおかしそうに笑う。


「何枚撮っても足りへんって感じがするんよ。明日から取り壊しが始まるて思ったら余計に」


「せやねぇ。でも新しいお家が建つて思ったらわくわくせぇへん?」


「それもある。複雑やねん」


「ふふ」


 リリコはカメラを下ろし、また家を見上げ、感傷的になってしまう。楽しかったこともあったし、悲しかったこともあった。それらを受け止めてくれた家は、これからさらに強くなって再生するのだ。


「今までありがとうね」


 リリコが言うと、お祖母ちゃんも横で「ほんまにありがとうねぇ」と囁いた。


「ほなリリちゃん、行こか」


「……うん」


 名残惜しいが、いつまでもこうしてはいられない。


「行こうか」


 リリコとお祖母ちゃんは思い切って振り返ると、仮家に向かう。


 ほんまに、ありがとうね。


 リリコは心の中で、最後のお別れをした。




 家の取り壊しは、翌日月曜日の朝から始まった。リリコは仕事だったので作業を見ることはできなかったが、仕事帰りに寄ってみた。


 重機が入れられ、家はものの見事に形を失っていて、瓦礫がれきが積み重なっている。リリコは切なさを感じてつんと目頭が熱くなってしまった。


 でもこれから新しい家が建てられて行く様子を見たら、また感じ方も変わって来るだろう。


 どうか、素敵なお家に生まれ変わります様に。


 リリコは拝む様に手を合わせた。

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