ときめきを止められない

 辻和奏は行き先を告げないまま、校舎の階段をどんどん下っていく。その後ろにいる渕上は、ぼーっとその気品ある歩みを追いかけていた。


「辻さん、俺らはどこに向かってるの?」

「いいから、私についてきて」


 尋ねてもはぐらかされてしまう。唯一分かっている事は、これから二人っきりになれる場所に行くという事だけ。それは渕上の疑問を打ち消すには、十分過ぎる現実だ。


 二人は一階まで降りて渡り廊下を進むと、更に地下へ続く階段に向かっていく。この高校は住宅地の中心に存在する為、狭い敷地の関係上体育館は地下に存在する。ここで渕上は、辻和奏が向かっている場所を察してきた。


(まさか……体育倉庫じゃ、ねぇよな?)


 そんな都合良い事ある訳ないと思いつつも、男子高校生の純情はそれを願わずにはいられない。緊張が高まる渕上の前にいた辻和奏は、しばらく歩くと体育倉庫前で立ち止まり、彼の期待に応えてしまうのだ。


「倉庫の中に入って」


 辻和奏の振り返りついでの流し目に、渕上はごッッッくり唾を飲み込んだ。すぐ隣では、運動部が体育館で部活の真っ最中。そんな背徳感を抱えながら薄暗い体育倉庫内で一体、何の自己紹介をしようというのか。


 この状況はマズイという判断を、渕上純多の脳は放棄してしまっている。彼は疑う事もせず、辻和奏の言われるがまま倉庫内に入った。


「つ……ッ、辻さ……ここッで、な、何」


 緊張のあまり呂律が回らない渕上の後ろで、辻和奏は体育倉庫の固く重たい扉をガコンと閉めた。いよいよ自己紹介が始まるのかと、背筋をピンピン伸ばした渕上を横切った辻和奏は何かを指さす。


「渕上くん、押してくれる?」

「ちゃんと……ッ優しくやるからッ!」

「……? この跳び箱を押して欲しいの」


 押し倒すと勘違いした渕上の目の前には、体育で使われる跳び箱が居座っている。密に自己紹介をするスペースの確保という解釈しか出来ない渕上は、指定された邪魔な跳び箱をグググと押した。


 欲情からくるパワーで十二段の跳び箱を排除すると、倉庫の床に何かのハッチ扉が出てきた。パッと見は格納庫にしか見えないが、辻和奏は跳び箱つたいにゆっくり腰を下ろすと、扉を開けた。


梯子ハシゴ?」


 妙な光景は、渕上を一旦落ち着かせる。ハッチ扉の奥は地下に向かって梯子が伸びていて、不気味な暗闇に包まれている。すると辻和奏は、何の説明もなく梯子を下り始めた。


「ん? 辻さん、ここを降りるの?」

「そう。足元気を付けてね」

「え? えぇ……?」


 誰かが用具を取りに来たらマズイのでは、地下なのに更に下行くって何だよと、今更まともに判断力が機能する渕上を残して、辻和奏は梯子下の暗闇に溶けていく。


「ま、待ってくれ!」


 ここに置き去りにされても困る渕上は、辻和奏を追いかけて得体の知れない梯子を掴んだが、明かりが無いので何も見えない。手足に張り付く金属の棒と、先を行く辻和奏の存在感だけが頼りだ。


 お互い会話を交わさないまま、カツンカツンと梯子を踏んだり掴んだりする音が聞こえるだけ。体育館で部活をしている生徒の声が遠退くと、どこか日常から離れていくような不安が渕上に纏わり付いた。


「渕上くん、梯子はここまでだから」


 辻和奏の声で渕上は下を向くと、終点が見えてきた。地下体育倉庫から更に十五メートル程下りた所で、足を地面につける。辺りを見回すと微かに蛍光灯が明かりを作っているが、それでも暗い。


「こっちにきて」


 彼女に呼ばれて、更に進むとグレーの扉が目の前に立ち塞がった。辻和奏はブレザーのポケットからカードキーを出すと、扉の所定の位置をタッチした。すると、ガチャコンと重たい音を上げて鉄の扉は横に開いた。


 渕上は何も言えないまま、地下シェルターと思われる場所に足を踏み入れる。しかし、中に入ってみると学校の生徒指導室と変わらない内装だった。窓から景色は見えない筈だが、ブラインドカーテンから漏れる光や天井の照明が上手く夕刻時を表現していて、地下にいる事を忘れさせる。


「辻さん……ここは、一体?」


 いい加減、地下の真実と連れて来た目的が知りたい渕上は口を開くが、辻和奏はパチンと室内の明かりを薄暗くした。急に視界が悪くなって渕上が慌てると、再びお互いの手が絡み合う。


「椅子に座って、渕上くん」

「つじ……さ?」


 渕上は訳がわからないまま、無理矢理椅子に座らされる。すると、辻和奏の柔らかい手が上半身に触れる。ここで渕上は体育倉庫のムードを思い出し、身体が一気に加熱した。


「目、瞑ってて」


 辻和奏の甘い声に抗う事も出来ず、渕上は全てを委ねて瞼を閉じた。プチ、プチ、とブレザーのボタンを外す音が、耳に快楽を与える。するりとブレザーを脱がされ、上半身が敏感になる。細い指が鎖骨に触れ、ネクタイを緩ませられて身体の力が抜ける。


「そのまま……大人しくしてて」


 渕上は息を呑む音で返事をした。地下に押し込まれる不安と混乱を、辻和奏はその手で帳消しにしていく。そしてカチャ、カチャという音が、何かを曝け出そうとしていた。

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