第13話 レオンの前世(2) (レオンside)

 その日も空は、一面穏やかな晴れ晴れとした青をしていた。

 しかしリヒトが──前世の俺が住んでいた、丘の上の城からは、遠方に軍隊が見えたのだ。




「大変です! 『シュトー神を崇めよ。さすれば命は救われん』と。敵は我々に信仰を捨てよ、と」

「シュトー神? まさか!」

「はい、そのまさかです。旅商人の言葉は本当でした!」


 先日、村にやって来た旅商人が語ったのは、恐ろしい話だった。


──「それでそのシュトー神という神を崇めている人々ですが、シュトー神こそが絶対の神で他の神は偽物だと言っているんですよ。私の故郷の神も目のかたきにされてしまったそうで……他の商人に聞けば、村は荒廃して焼け野原になっていたそうです」




 彼らシュトー神を崇める者たちは、神の力を使い、他の神の住む森に火を放ったのだという。


 そんな彼らが俺たちの村の中へと入ってきたのだ。外に出れば、山の上に建っていた城の中からも、たくさんの悲鳴が聞こえてきた。

 城の中まで敵が攻め込んでくるのは時間の問題だろう。そう思ったその時。


『この村の主の方は貴方の父親ですね?』

『何の用だ』

『単刀直入に言います。あなたたちの崇めるを差し出しなさい。さもなくば、森はすべて灰となるでしょう……もちろん穀物も。偽の神を崇める者には天罰が下るのです』


 彼は手から火を出していた。

 現在俺がレオンとして生きているベルゼール王国の聖女のスキルにもそのようなものがあるが──俺の推測が正しければ、彼らは聖女と無関係ではない。


 男や子供も使えるらしかったという部分が違うが、逆に言えばそれ以外は大体同じなのだ。

 思い出した当時はそのようなことを考えたこともなかったが、再び大きくなった今ならわかる。

 この時攻め入ってきた者たちが直接の、とまで言えるかはわからないが今のベルゼール王国の住民の祖先だったのだ。


『断ると言ったらどうします?』

『簡単です。我らがシュトー様に代わり、天罰を下すのです。神殺しの炎で……グハッ!』


 身の危険を感じた俺は、反射的に彼を昏倒こんとうさせていた。

 父の叫び声が聞こえてきたが、薄情な俺は父の元へは立ち寄らずに、女神様の方へ足を向けた。


 恋する少年は、父よりも愛する女神様を選んだのだ。たとえ、この選択で冷酷だと罵られようと、当時の俺にはどうでもよかった。──今も変わらないといえばそうなのだが。


「チッ! もう森に火を放っているじゃないか!」


 森の中には煙が立ち込めており、上空には小鳥たちが飛び去っていくのが見える。

 そのまま真っ直ぐと泉に向かったところ、泉の周辺はかろうじでまだ無事だった。


「どうしたのです、リヒト?」

「女神様……。大変です! 村が!」

「ええ。ですから、どうしてここに来たのか、と」

「それは……」


 貴女を連れて遠くに逃げるためです。そう口にしようとしたその時。


『見つけたぞ!』

『何者です、貴方たちは』

「女神様、彼らは貴女様のお命を狙っています!」

『シュトー神こそが真実の神! 神に従えばすなわち汝、救われん!』


 声を上げる男たち。俺はさっと彼らの方を向く。城に入ってきた男と同じような服装をしていたので、彼らもその仲間なのだろう。


 しかしそんな彼らが突然、ぞろぞろと左右に割れていったかと思えば、そこにいたのは。


「お兄様、み~つけた」

「? いや、まさか……ありえない」


 そこにいたのは赤髪に金の瞳の少女。といっても、歳は俺より一つ下だ。なぜ彼女のことを知っているのかといえば、彼女は俺の妹なのだ。


「ルーチェ。お前、どうした? 嫁ぎ先で喧嘩でもしたのか?」


 彼女は、一年ほど前近隣の領主様のもとに嫁いでいった妹のルーチェ。

 レオン・ベルゼールとして生きている現代ならありえない年齢だが、当時の女性は十代の中頃が結婚適齢期とされていたのだ。


「そんな。私はお兄様に会いたくてっ」

「会いたくて、か。それはいいんだが、後ろにいるのは?」

「やだな~お兄様。そこにいる『邪魔な人』を消してくれるって言ってくれた人たちよ?」


 わけがわからなかった。当時の俺は彼女の言う「邪魔な人」という言い回しが理解できなかったのだ。

 いや。理解こそできたが、当時の俺はその言い方に沸々と怒りがわいたと言った方が正確だろうか。


『そこの女を差し出せ』

『……!』


 おそらく、妹は彼らと共謀しているのだろう。女神様の雰囲気が少し固くなった気がするのは、元は大事な人間だった彼女が敵についたからか、それとも……。

 いや、それは俺にとって都合がよすぎるし、最初に思った通り元は身内だった妹と敵対せねばならないからだと考えた方が実態に近いだろう。


「話し合いましょう! 話し合えば」

「いけません。彼らは話し合う気などないでしょう。泉を離れま……」

「いいえ。私はここから離れることなど……」

「できませんか? ……でしたら、早く泉の底に」


 俺が女神様をこの場から早く遠ざけようとすると、妹から叫び声が聞こえてきた。


「お兄様がそうやってその女とばっかり話してるのがいけないのよ。もういい! そこの人がいなくなったら私と結婚してくれるよね?」

「……それはない!」


 俺だって女神様と結婚したかったのだ。だが、妹との結婚はありえない。近親婚は当時としても非常識な考え方だった。


「……そっか。じゃあメガミサマには死んでもらわないと」

『邪神の命を差し出せ』

「お兄様、こっちきて!」

「女神様、逃げましょう」

「わたくしはここに残ります……っ!」


 うるさい妹たちを後目しりめに、俺は女神様に再び同様の提案をしたが、彼女はこれでもなお、ここを離れるつもりはないらしかった。


 もう、俺にできることはひとつしかなかった。俺は女神様の腰を今でいうお姫様だっこの要領で抱え、そのまま泉へ向かって走り出す。


「あの、リヒト? 何をしているのですか……?」


 走る俺を追いかけてくる男たち。


「あいつらは女神様のお命を狙っています。ですから、女神様を安全な所に」

「……! いけません。村にはまだ人が。それに私は少なくとも何百年何千年と生きています。他の神が殺されたというのも」

「ハッタリの可能性もあるかもしれません。しかし、万が一ということもあります。ですから」


 俺は女神様を抱えたまま、泉へと飛び込む。服が濡れ、身体にまとわりついた。正直、気持ちのよいものではない。

 それでも俺は泉の奥へ、奥へと足を動かす。


「それ以上は本当に駄目です。彼らの狙いがわたくしだというのなら、わたくしが隠れている間に村の者たちの命が……。それに」

「俺は女神様。貴女様の命さえ救えれば、村の人の命も、自分の命もどうだっていいんです」

「リヒト……?」

「俺はずっと貴女様のことが好きだった。でも俺は人間で貴女様は女神。結婚できないのですから」


 俺はつとめて笑顔でそう告げる。


 嫌われただろうか。

 嫌われただろうな。


 彼女は村の皆のことをとても大切に思っていたから。それに、人間から求婚されることを嫌っていたから。


 そう自嘲していると、俺の口はいつの間にか黒パンで塞がれていた。続けて頬に衝撃が走る。


 目の前を見ると、女神様の瞳からは大粒の涙がこぼれていた。

 その頬も赤く染まっている。これでは、まるで……。いや、彼女に限ってそのようなことがあるはずがない。


「自分の命ぐらい大切にしなさい! たとえわたくしが彼らに殺されたとしても、貴方が死ぬことは許しません……っ!」


 俺は首を振り、彼女と共に泉の底へと向かった。

 こうすれば彼らも女神様を追って来ることはできないだろう。水の中だというのになお、彼女の声が聞こてくえる。水中でも溺れないとは、さすが女神様だ。


「離しなさい! これは命令です。わたくしの命など」


 ──俺にとっては、貴女様の命こそが一番大切なんです。どうかわかってください。


 そんな思いを込めて俺は笑顔を浮かべる。そのせいか、彼女のくれた黒パンは水中を舞ってしまった。


 だが、それでも。上手く笑えているだろうか。彼女をこのまま、たとえ自身の命が尽きたとしても。彼らに殺させるわけには。


 彼女が浮上していかないように、と彼女を仰向けにして、そのまま底の方から彼女の腰を抱え──ついに俺は、彼女を抱え込むようにして、泉の中で最も深い水底に背をつけた。


「リヒト、もう一度言います。これは命令です。離しなさい、リヒト……?」


 少しずつ意識が遠のき始めた。彼女から俺の顔は見えていないはずだが、彼女は俺の気持ちに……。いや、繰り返すがそのようなことはありえないだろう。

 それだったら、とうの昔に嫌われていたはずだ。


 しかし、最後の最後に口にしたのが、彼女が自身の力で運んできてくれた黒パンだとは。彼女はきっと俺の気持ちに気づいていないだろう。


 いや、気がついているからこそ、面倒な求婚者と思われたからこその黒パンだろうか。

 それだったら嬉しいと思ってしまうのだから、当時の俺はきっと重症もいいところだったのだろう。

 だが、恋していたからこそ、あの黒パンは水の中でもあんなに美味しかったのだと思う。


「そうなのですね……。きっとわたくしが重荷になってしまったのでしょう。だから貴方はこのようなことをしているのですよね」

「?」


 違う。俺は貴女のことを重荷に思ったことはない。重荷になっているのは、貴女の自由を奪っているのは俺の方だ。


 そう伝えたかったけれど、水の中にいる俺は彼女のようには喋れない。その事実が俺と彼女は別の存在であると告げているようで、言葉では言い表せないような悲しみに襲われる。


「最初から、わかっていたのです。だから、貴方だけでも、わたくしのことなど恨んで。……いえ、忘れてどうか幸せに」


 その瞬間、俺の中に衝撃が走った。徐々に彼女との思い出が崩れていく。嫌だ、忘れたくない。忘れるものか。


 もし生まれ変わったなら、今度こそ貴女様と一緒に……!

 それが、俺の取り戻した記憶の最後だった。

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