第5話 君を愛するつもりはない(?)
父が退出していった室内は、私と殿下。そして先ほどの近衛騎士の方、そしてアマルナ様の四人になった。
ちなみにもう一人の近衛騎士の方は室外の警備をしてくださっている。
アマルナ様は横にあった一人掛けのチェアに腰を下ろすと、殿下は騎士のことを紹介してくれた。
「彼はユージン。バハルダール侯爵家の嫡男で、私の騎士だ」
「貴女がロッテルダム公爵家の……お噂はかねがね。よろしくお願いいたします」
「ええ、こちらこそ。ブレシア・ロッテルダムですわ」
噂というのがちょっと気になるけれど。暗黒時代の色々に比べれば、何てことはない。
初対面だった私たちの自己紹介が終わると、殿下が口を開いた。
「ロッテルダム嬢。婚約を結んで早速で悪いのだが」
「いかがなさいまして?」
「私は君を愛するつもりはない」
「ええそうでしょうね」
「どういうことだ?」
婚約していきなり「愛するつもりはない」と相手に告げるのは普通ではないだろう。だが、こうなることは目に見えていた。別に心を読んだからではない。
「殿下は『暗黒時代』のことを心底愛しておられるのでしょう?」
「話が早くて助かる」
「さすがはロッテルダム公爵令嬢、といったところかしら?」
アマルナ様の言葉に、今度は私が首を傾げる番だった。もちろん、実際に首を傾げたわけではなく、笑顔の仮面を張り付けただけなのだけれど。貴族令嬢面倒くさい。
「簡潔に言いますと、殿下と年齢のつり合いが取れた令嬢であればわたくしでもよかったのですが……わたくしたちはいとこ同士ですから。貴女のことは嫌いですが殿下の婚約者としては認めましょう。ええ認めましょう」
「きょ、恐縮でございます?」
私はそう口にしながらも後悔していた。あの時馬鹿正直に「暗黒時代に興味あります」だなんて言わなければこのようなことになっていなかったのだ。
同じテーブルの他のご令嬢にでも押し付けておけばよかった。歯の浮くような、不誠実なお世辞なんて……と思っていたけれど、どうやらあれはかなり重要な
お茶を少し飲んで喉の渇きを潤していると、殿下の視線が私の方に向けられていることに気がついた。
「殿下? 私の髪に何か?」
「そうだな。ある意味では」
「ある意味? はっきりとおっしゃってくださいまし」
私の返答に
顎に手をあてる殿下のせいで、再び室内は沈黙につつまれる。彼が次に口を開くまで、どのくらいの時間だっただろうか。
「髪を結い上げたのかと思ってな。……茶会の時とは違うから、少々驚いてしまっただけだ」
「そ、そうでしたの……これは私の専属メイドが結い上げてくれましたのよ」
とはいったものの、私も普段からこのような髪型をしているわけではないので、私自身も慣れていないのだが。
続いて彼は「これから」のことについて触れ始めた。
「ところで、我々の呼び名だが……ブレシアと呼んでもよいだろうか?」
「一行に構いませんが、私は何とお呼びすれば? 殿下でよろしかったでしょうか?」
「殿下? そのような他人行儀はやめてはくれぬだろうか? レオン、と」
「呼び捨てこそ私が不敬だと後ろ指を指される立場になってしまうではありませんか。ここはせめてレオン様、で」
「…………」
「レオン、様?」
顔が赤い。熱でも出たのではないか。だとしたら、彼を医務室に運ばなければならないのでは?
そう思ってアマルナ様の方を見れば「処置なし」と肩を竦めるし。ユージン様の方を見ても顔色ひとつ変えず、何事もないかのようにふるまっている。
もう一度レオン様の方を見てみると、他の二人の顔を窺っている間に調子を取り戻していたらしい彼が口を開いた。顔は赤いままだけれど。
「君にレオン様と呼ばれたことが嬉しくてな」
「えっ。殿下、恋する乙女的なあれですか? 『君を愛するつもりはない』というお言葉は有言不実行ですか?」
少々年上の殿下、いやレオン様もなかなかに可愛げがある。いや、そもそも女神として何千年と生きた私にとっては、彼なんて赤子も同然だ。
「からかわないでくれるか……?」
「はっ、はい。わかりました、わかりましたって」
赤子同然のレオン様から乞うような視線を向けられた私が、その願いを退けることができようか?
そもそも、前世は女神だったわけで。その時からの癖なのか、他人の願いはできるだけ叶えてあげたい性分なのだ、私は。
アマルナ様がドン引きといったような視線を向けてくるけれど、まあ仕方ない。一国の王太子殿下を、それも年上をからかったのだから。
そんな彼女を横目に私はもう一度お茶に口をつける。
「ブレシア。それから、ここからが重要なのだが……」
「何でしょう?」
「『暗黒時代』のことだ。茶会での発言に偽りはないな?」
「茶会での発言……。もちろんでございます」
私がわざわざ嘘をつく必要などないのだ。いや、むしろレオン様と婚約者にならないために嘘をつく必要はあったかもしれないけれど。
つまり、わざわざ「暗黒時代、好き」ということを伝える必要がなかったというだけで、暗黒時代が好きというのは決して嘘偽りではない。
そもそも、暗黒時代こそが故郷な私が、どうしてあの時代を嫌いになれるだろうか? なれるわけがない。
「それは
「ええ。逆に問いますが、私が暗黒時代を好きだと言った時のメリットは?」
「それを聞くか。……まあいい。簡単に言えば二つ。私と婚約できるという点と、それに伴って実家の権威を向上させることができる点だな」
「まあ、それはそうかもしれませんが」
このようなことを言わせるなと怒ってらっしゃる気もする。
まあ、私が社交界なんかより前世の泉の方が好きで、これまで貴族令嬢としての常識はどちらかというと不勉強だったという感は否めない。
時代が違うのだから、感覚が合わないのも仕方はないと言い訳したくなるけれど……。
それでも、王太子殿下たるレオン様の婚約者になったわけだし、今後はもう少し頑張ろうと思う。思うというか心がける。
「そうだ。では問おうブレシア。暗黒時代とはどのような時代だ?」
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