第四集 呪詛の源

 旅の道士・殷九叔いんきゅうしゅくは、周辺の城市まちに到るまで騒がせている集団自殺の話を聞きつけ、恐らくは呪詛の類だと判断して邯鄲かんたんまで赴いてきた。

 事件の起きた順番を整理すれば、一直線に邯鄲の城市へと向かっている。その進路上の村人たちが避難を始めている事を鑑みれば、駐留軍も気付いたのであろう。


 殷九叔が向かったのは最初の事件が起こった村である。とにかく呪詛の原因を調べねば対処のしようがない。

 その村は既に人影がなかった。犠牲者の遺体は回収されて弔われたと見え、また存命の村人にしても、あのような事件の後である。原因が分からぬなら、気味が悪くて住んでいられないというのもよく分かる。

 だが殷九叔にとっての違和感はそこではない。姿のである。

 数年前の冉閔ぜんびん政権下で起きた胡人大虐殺を筆頭に、あちこちで人死にが絶えない冀州きしゅうにあって、常時幽霊が見えてしまう殷九叔には、そこが野原であれ街であれ、幽霊が目に入らない事がほぼ無かった。

 特に今度のような凄惨な事件で大勢の人死にが出た直後なら尚更である。

 だが全く見えない。気配すらない。

 本来なら居て当然の場所に居らず、完全な静寂が村を覆っている。まさに異常事態。彼にとっては却って恐ろしかった。


 そんな村の中心には、黒い霧のような物が横切っている。無論ながら普通の人間には見えない物だ。邪念の残り香とも言うべき陰の気である。それが一定の方向に線を描くように伸びている。

 片方は邯鄲の城市へと向かっているが、現在の目的はその逆の方角。つまりがやってきた方角だ。


 辿っていけば目的の場所はすぐに見つかった。村外れの森の中、密やかに一軒だけ建っている廃屋。

 ひび割れた土壁、茶色く変色した茅葺かやぶきの屋根、そして苔むした木製の柱。それら全て住む者が居なくなって久しい事を示していた。

 昼間でも薄暗い森の中でこの佇まいは、村の者たちも気味悪がって近寄らなかった事だろう。


 躊躇する事なく廃屋に踏み行った殷九叔の目の前には、三人分の死体があった。皆一様に恐怖で歪んだ顔のまま、首から血を流して絶命しており、その手に持った匕首あいくちから、例に漏れず自刎じふんした事が分かる。

 その周囲の床に多種多様な金品が置かれている事から、この三人の素性もおおよその見当がつく。人が近寄らぬ事をいい事に、この廃屋を根城にしていた盗人たちであろう。


 そして何より目を引くのが、部屋の中央に置かれた四尺ほどの大きなはこだった。思わず顔をしかめてしまうほどに黒い霧に覆われている。明らかにそれが呪詛の根源だったはずだ。

 しかし今、その匣は空である。そのは、今まさに邯鄲の城市へと向かっている最中なのだ。


 殷九叔は片膝をついて屈み、その匣をじっくりと調べた。金属製、おそらくは純度の高くない鉄製。錆び付き具合からも、結構な年月を感じさせる。

 だが重要なのは匣そのものではない。その外側はもちろん、匣の内側に到るまでびっしりと文字が書かれている。

 古い書体ではあるが、殷九叔にはそれが道術を応用したものだとすぐに察する事ができた。

 その内容を読んでいけば、その効果、そして目的まで推測できたのであるが、それは顔をしかめて歯噛みしたくなるほどおぞましい物であった……。





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