第三集 燕国の若君

 本拠地である北方の平州へいしゅう幽州ゆうしゅうから南下し、先ごろ冀州きしゅうを平定した燕国の君主は慕容儁ぼようしゅんと言う。

 燕はかつて冀州を治めていたちょうに対抗するために、華南かなん(長江流域)を広く治めている漢人たちの国である晋朝しんちょうから、燕王えんおうに冊封されていた。

 だが宿敵であった趙、およびその領土を引き継いだを滅ぼし、河北一体を手中にした事を契機に、燕王・慕容儁は、ここに来て燕国皇帝を名乗り、晋からの独立を宣言していた。

 鮮卑せんぴ族である慕容ぼよう一族が治める「えん」、漢人の正統王朝である司馬しば一族の「しん」、そして西方で領土を拡大しているてい族の一族が治める「しん」。

 天下の趨勢は、この三国へと絞られつつあった。

 中でもこの時期の燕は、皇帝・慕容儁の弟である慕容恪ぼようかくが、その軍事的才能を遺憾なく発揮して、ほとんど不敗となっていた。

 この慕容恪の存在こそ、晋を敵に回す事すら恐れずに慕容儁が皇帝を名乗った理由のひとつとも言える。


 さて、そんな慕容一族であるが、皇帝・慕容儁の弟は、慕容恪だけではない。後世の史書に記録されるだけで十数人はいる。

 慕容恪の冀州遠征に随行し、この時に邯鄲かんたんに駐留して治安維持の任についていた慕容秀ぼようしゅうも、そんな一人である。兄弟の中でも年少で、この時はまだ十五歳。今回の遠征が初陣であった。


 慕容儁が皇帝即位の宣言をしてから間もなく、自身の弟や息子たちを各地の王侯に次々と任命して、帝国でございと言わんばかりの動きをしていた。

 慕容儁の実弟として皇族の立場となった慕容秀も、晋との国境付近にある徐州じょしゅう蘭陵らんりょうに封じられたのであるが、未だに冀州では残党軍との小競り合いが続いており、彼としてもすぐ邯鄲を離れるというわけにはいかなかった。

 いきなり諸侯王になったと言われても実感などなく、何とも気が早いという感想しか抱かなかったのだ。


 そんな慕容秀のもとに、更なる問題が飛び込んでくる。

 邯鄲周辺の村々で、集団自殺が相次いでいるという。初め耳を疑った慕容秀は、殺戮や略奪を自殺に偽装するという、手の込んだ盗賊でもいるのではないかと思った。

 だが目撃して生き残った者の話によれば、村人が次々と涙を流して泣き喚いたかと思えば、連鎖的に自刎じふん(刃物で自らの首を斬る事)をしていったとの事である。

 一件だけなら虚言として聞き流しそうな内容であるが、複数の村で起こっており、それこそ大勢の目撃者の口から同じ内容の証言が語られるのである。

 そして事件の起こった村を地図で確認してみれば、一直線にこの邯鄲に向かってきている。あからさま過ぎて子供でも気づきそうなほどであった。

 救いがあるとすれば、非常に緩やかな速度である事くらいだ。


 どう考えても人間の仕業ではない。仮に人間が企てた事だとしても、恐らくは呪術や妖術の類……。

 慕容秀は思わず周囲にいる駐留部隊を見渡して苦笑する。自分たちだけで対処する事は出来ないだろうと判断した彼は、しばし考えた後に部下に問いを投げる。


「確か冀州には、この手の怪異を次々と解決していった老僧がいたと噂に聞いている。その者を呼べぬだろうか」


 慕容秀の参軍を務めている婁延ろうえんという初老の漢人が首を振った。


「それは趙に仕えていた仏図澄ぶっとちょう大師の事ですな。私も聞き及んでおりますが、残念ながら彼は趙が滅びるより前に天寿を全うされております」


 そんな婁延の言葉に肩を落とした慕容秀であったが、それでもなお食い下がる。盗賊ならまだしも、呪術や妖術の相手をするには、軍の将兵ではどうにもならないのである。


「それだけの高僧であったなら、弟子もさぞ多かったのではないか? 中には退魔の術を引き継いでいる者もおろう。何とかして探し出せぬか?」


 城市を任された王とはいえ、慕容秀はまだ経験の少ない十五歳の少年である。既に五十を過ぎている婁延にとっては孫ほどの年齢だ。打つ手を失って困惑している少年に否とは言えなかった。

 婁延は黙って拱手きょうしゅ(両手の甲を相手に向けるように顔の前で重ねて揃える礼)をすると、すぐに仏図澄の弟子を探すように指示を出した。

 そして同時に、事件のあった村々と、この邯鄲の間にある村、すなわちの予想進路の上にある村から住人の避難を呼びかけるのだった。






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