第2話「かしまし娘」
「それは……所謂、「彼岸」だとか「冥府」だとか「根の国」だとか……そういう概念に近いものでしょうか」
「ふむ。 まあ、あながち近いといえば近いですがね。 別に「死んだ後の世界」に直結するわけじゃないとは思っています。 そこまで難しい話ではないんです。 ただ、本当に「一線を越える」。 それだけのことなんですよ。 後は独自の世界観になってしまう……というだけで」
「……そういうものですか」
少し考え込むように、紫山は口元へ手を当てたその時。
廊下から、カツカツと子気味良い音がしてきて部屋の前で止まり、扉が開けられる。
そして、赤い癖毛を二つに括った女が堂々と登場した。
「なんだ。 もう客が来てたのか。 あんた、悪いことは言わないから、他を当った方がいいんじゃないか。 こんなのに頼むだなんて余程疲れているんだろう。 もしくは脅されたのか……」
「なんでそういうこと言うのぉぉぉぉぉぉ!?」
思わず立ち上がって抗議する。
「営業妨害なんですけどぉ!?」
「別にいいだろ。 探偵は副業なんだから」
「探偵が本業ですぅ!!」
「まあ、やりたいことをメインにして生活できるほど現実は甘くないからな。 どんまい」
「話聞いてる!?」
にこりともせず、話を押し通すこの女。
名を
「こちらの方は……」
呆気に取られた紫雪は、間の抜けた顔をしていたがそれでも二枚目だった。これが自分ならギャグアニメ顔負けの様相になっていたことだろう。おのれ美丈夫。羨ましいこと限りない。
嫉妬を押さえつつ、なるべく穏やかな口調で説明する。
「このじゃじゃ馬は、夢見長夜。 私の助手です」
「一応、金になる副業だからな。 腐れ縁でやってる」
「もっと包み隠そうよ!? ていうか嘘でもいいからちょっとした好意とかそういう」
「だからモテないんだぞお前」
「なんでそういうこと言うの」
泣いちゃうぞ。いいのか。本気で泣くぞ。
「人の急所を一思いに貫いちゃいけないんだからなっ」
「あっ、そう。 じゃあ今度はじっくり嬲ることにしてあげる」
「えっ……そんな、じっくりだなんて……そんな……へへ」
「なんで頬を染めてるんです?」
「こいつ、意外と女に罵られる好きなんだよ」
「そこぉ! 人の嗜好を暴露するな! 」
「ちょっと嬉しそうですね」
「微笑ましげに見ないでください」
そこで一旦我に返る。
なんだこれは。自分達は漫才でもしているのか。
探偵とその助手と依頼人で何をやっているんだ。
とにかく落ち着こう。そして話を戻そう。
「んんっ、えー、闖入者のおかげで話が逸れまくりましたが、ここで一旦戻そうと思います」
「さて、依頼内容は「
「ええ、是非ともお願いします」
そこからは特に問題なく話も進み、実際に現場へと赴き、調査してみることになった。
依頼者である紫雪も記事の為にと同行することになっている。行き先は埼玉県の秩父地方。山犬信仰の色濃い場所である。
「なんか疲れた……」
ソファに寄りかかる自分の横に、夜長がどかりと座る。紫雪は会社に連絡しなければならないだとかで既に帰った。
「依頼人と話しただけだろ。 その眼を使ったわけでもあるまいに」
「そりゃ使ってないけど、お前のせいでごたついただろ」
「別に私が来なくても迷走してただろ」
「俺だって、ちゃんとお話を進められますう」
我ながら子供のようにむくれてると扉がノックされた。返事をすると、この事務所の大家である
「ああ、お邪魔しちゃったかな」
「いえ、全然」
即座に立ち上がり、ジャケットをぴんと張りながら微笑む。猫被りとか聞こえてきた気がしたが、空耳だろう。
「何の御用で?」
「カレーを作りすぎてしまってね。 よかったら僕の家に鍋持ってきなよ。 もしくは、タッパーでよければ貸すけど」
「いいんですか? ありがとうございます。 さっそく行きます!」
テンションが上がってしまい、思わず飛び跳ねそうになってしまったが大人なので我慢できた。中学生の頃なら危なかった。
カレー。それは魅惑の料理。白米が勢いよく消えていく魔性の食べ物。
「あっ、吉田くん。 私も貰っていい? うちの子、前に貰った吉田くん特製カレー気に入ってさぁ。 甘口なのがいいよね、私も好き」
「いいですよ。 調子に乗って、かなり多く作ってしまって……業務用の鍋を買ったのでつい」
「いいねいいね。 美味しいものはいくらあってもいいんだよ。 私なら文字通り、山ほどあっても
先程までソファに座っていた夜長は、いつの間にか吉田と距離を詰めていた。彼女がしなやかな指先で彼の頬を撫でて囁く。なんという悪魔の誘惑。
「そ、そんな。 血糖値が大変なことになっちゃいますよぉ」
きゃあっと小さく呻き、乙女のように竦む吉田。
一方、自分は──
「何!? いつの間に二人でバケツプリン作ってたの!? 俺はァ!? ねぇ!! 俺、聞いてないよぉ!?」
自分だってバケツプリン作りたかった。 皆とわいわいやりながら作りたかった。そう思いながらちょっと泣いた。
今度は三人でバケツプリンを作る予定を立てた後、吉田に暫く留守にすることを告げ、彼の家へ行き、カレーを分けて貰った。
事務所の台所にてさっそくカレー保存の儀に取り掛かる。これは重大な儀式だ。
雑菌の大繁殖による腐敗は防がねばならぬ。
「そういえば、吉田くんて何であんたにここ貸してんの? あんたの本業が神主だから御利益期待?」
一緒に台所に立つ夜長がこてんと首を傾げる。
本業、そう言われても否定すること自体面倒になってきた。どうせ彼女はそう言い続けるだろうし。
夜長の言う通り、自分は神主。所謂「神職」だ。神職階位は正階。神職身分は三級。
神職の階位は、浄階、明階、正階、権正階、直階と五つある。
神職の身分というのは、特級、一級、二級上、二級、三級、四級の六つ。
特に重視されるのは身分の方だったりするが、神職以外はそこまで気に止めないだろう。
ちなみに、神職のみで活動している者はそこまで多くはない。大抵の者は他にも職を持っていたりする。
自分のように、市街で遊歩する探偵というのは稀有かもしれないが。
「神主自体に御利益を求めないでくださいな」
カレーを冷凍する用の容器に移しながら答える。
「ここは明治の頃に借家として建てたらしいんだがな。 その頃から霊障が激しかったらしい。 それで誰も住み着かないし、所有者も困った」
「よく今の時代まで残ってたね。 普通お祓いして取り壊しとかでしょ」
「それが妥当なんだが、取り壊すのにだって費用やら何やらかかるだろ? 土地の利権問題だって出てくる」
「これだから人間社会は面倒だわ」
「それは同感」
「そんでまあ、今になってな。 俺が不動産屋から相談受けて地鎮祭で呼ばれて今に至る。 俺が住んでれば霊障なんぞ起きないからな。 だから家賃もロハ。 俺は住んでるだけで仕事してるんでね」
「視えるだけのくせに?」
夜長は、目をまん丸の月のようにしながら上目遣いに訊いてきた。畜生、ちょっと可愛い。
「いや、視えるからだけじゃない。 そもそも俺は
「神道の呪術を使ったわけね」
どこか面白そうに、彼女はアリスを惑わすチェシャ猫のように笑った。今度は異様な程に妖艶だった。
「でも、確かそれって鳥獣とか虫を追っ払う為のものでしょ? 幽霊とかにも効くの? 農家さんのお役立ち専門呪術だと思ってたわ」
デザートに用意していたうさぎさん林檎を長夜はつまみ美味そうに頬張る。つい数秒前までの妖艶さはどこへやら、美味いものに舌鼓を打つだけのド健全健康優良児のよう。
「そもそも禁厭ってのは病や災いを退けるものでもあるからな。 魔性の者共にも有効なんだよ」
「あー……それじゃあ前からちょくちょく使ってたのも禁厭か。 てっきり陰陽道もこっそりやってるんだと思ってた」
「うーん。 陰陽道が神道の要素を取り入れてるとこもあるから、全然違うとは言い難いな……安易に否定できん。 そもそも日本て国は宗教が緩やかな川のようなものだからな。 大河にもなれば小川にもなる。 特別だとかそういうんじゃない、強いて言えば目に見えない友人みたいなもんだ」
「へぇ〜」
長夜は興味があるのかないのか、適当に声を発しながら二つ目の林檎うさぎに手を伸ばす。
「ところでいいのか、
「ああ、あの子なら問題ないよ。 ネットゲームに夢中だから」
秋絵というのは、ある事件をきっかけに長夜が引き取ったという孤児だ。たしか高校生ぐらいだったと記憶している。
「学校には行きたくないっていうし、別にいいだろ。 保護者は私だ」
「行きたくないなら仕方ないな。 無理強いなんて最悪だし」
玄関にて、保冷バックにカレーを入れてビニール袋に包んだタッパーと保冷剤を入れたものを夜長に渡す。
「んじゃ、また後でね」
「おう、遅刻すんなよ」
「そっちこそ、美女盛り沢山ゲーム「のるのるん」で夜更かしして寝過ごすなよ」
「ね、寝過ごしませんけどぉ!?」
なんで俺が最近ハマっているソーシャルゲームを知っているんですか。
真相を聞く間もなく、夜長は空いていた扉から、夜の帳も降りた街へと消えた。
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