逢魔時見聞録―霊視探偵の賛嘆―

猫本夜永

第1話「黄昏の依頼者」

この世にはよく分からないものが多い。はっきり言って理解できるものの方が少ない、というのが自論だ。

目に見えるものにしたって、それを全て説明しきれるわけではない。


そんな自論を引っ提げつつ生きてきた自分は、いつの間にか探偵になっていた。基本的には失せ物探しを生業とする探偵だ。自分は昔からこういうことが得意だった。

正直、天職である。依頼されたものは必ず見つけ出せるので、約束された報酬が未来には待っていた。


とはいうものの、最近、なんだか──




「猫探して、犬探して、兎探して一ヶ月が終わってしまった……」

ソファに横になりながら、天井を仰ぐ。

「たしかにホームページとかにまずは何でもご相談をって書いたけど……書いたけども」

手で顔を覆う。

「その内、迷い動物専門探偵事務所とか呼ばれたらどうしよう……」

そもそも迷った猫やら犬やらを探すのは探偵の仕事だろうか。探偵らしいだろうか。たしかに探偵という言葉には「探」が入っているし、失せ物専門だから間違いとも言えない。


探偵。


探偵とは。


探偵とはいったい──




いや、今ここで探偵のアイデンティティを考えていてもどうにもならない。そう思いはね起きると、テーブルの上に置いていたノートパソコンと向き合った。

「うん。 まずは事務所の紹介文とかから変えてみよう。 なんならいい感じに色をつけて……そうだな、七色にして虹みたいにするのも綺麗で……ん? メール?」

新しい依頼かと思い、早速メールを開いてみるとそこには──


「……怪事件……?」





昼時に来たメールには翌日の十七時三十分にこちらへ直接来るとあった。

その時間は丁度黄昏時で、事務所にあるアンティークの照明が良い具合に部屋に明かりをくれていた。

「初めまして。紫雪伴場しゆきはんばと言います。 今回はよろしくお願いします」

「どうも、明山耳巳あきやまみみみです。こちらこそよろしくお願いします」

談話室に置いてある向かい合わせのソファに座る。


紫山は顔立ちの整った美丈夫だった。肌は色白く、髪は亜麻色。都会の街中を歩けば何かのモデルに即スカウトされそうだ。羨ましい。


軽い嫉妬を振り払うように横目に窓を見る。

外では、なだらかに日が暮れていく。 色彩は淡々と暗いグラデーションで世界を塗り重ねていた。

こういう時間は子供の頃から好きだった。

全ての境界線が曖昧になる。何が何だか分からなくなる。その内、どこかへ行けそうな気がして妙に気が昂るから。


その妙な気分を振り払うように一呼吸置いて姿勢を正し、依頼人の方に向き直った。

「それで、相談というのは……」

「ええ……なんといいましょか。兎にも角にも、奇怪な事件でして……失せ物探し専門とは分かっているのですが、他の依頼でも大丈夫だということで」

「……ええまあ、そうですね」

「特に……こういう……心霊というか……オカルト……その方面でも受け付けていると」

やや不安げにこちらを見た彼の目は、どこか普通の人間とは違う気がした。

この男は今まで何を見て生きてきたのだろう。

職業は雑誌記者らしいが、余程の世界を見てきたのだろうか。


そんなことを考えながら、口を動かす。

「受けています。 勿論、受けていますよ。 ご心配には及びません。 そちらにも詳しいので、ばっちり解決できるでしょう」

嘘は言っていない。事前のメールに書かれていた依頼内容を見ても、ツテを頼れば自分でも解決できるレベルと判断した。自分ひとりでは不可能かもしれないが。




紫雪が解決してほしいというのは、自身が追っているという事件だった。彼の所属する会社が出しているオカルト系統に属した雑誌で取り上げた事件がいまだに暗中のままであり、なんとか纏めようにもうまくいかない。このままではそこら辺によくあるネット記事と比較しても対して変わらない。


そこで探偵である自分に頼ることしたという。


いっそ解決してしまえば、それを終着点に記事が書けると思ったらしい。もし、分からなくても、新たな視点で変わった形の記事になってくれてそれでも構わない。


中々ぶっ飛んでいる思考だ。倫理や善性、社会性はひとまず置いておいて、必要とあらばと引き受けるタイプの探偵である自分には打って付けの依頼人だった。

なんという清々しさ。起訴を起こされてもきっと素面で体のいいことを言えるだろう。


心の中でひとしきり感心していると、男は初対面の男の無礼極まりない内面の心情など知る由もなく、依頼について語り始めた。

「……それで、件のことなんですが、改めて説明させてもらいます」

七月七日、七夕の日。事件が起こった。

埼玉県の秩父地方に住んでいた一家が、無惨な姿で発見されたのである。遺体は激しく損壊しており、何か道具を使って殺害されたというよりも、野生動物にでも襲われたかのようだったという。だが、そんな野生動物の情報は事件の前後に関わらず一切浮かんでこない。ならば、何に襲われたのか。もしや猟奇的犯行を好む殺人鬼でも現れたというのか。


今抱いていた疑問が、新たな疑問を手招く。噂は広がり、過去にあった実際の未解決事件と繋げられたり、都市伝説などにもその糸が絡まり始める。


とはいえ、大抵は時間の経過と共に次の話題に埋もれる。どんなに衝撃的であろうが、当事者達でもない限り、その事に執着し続けるのは難しい。

確かに同情や不安、怒り、と何かしらの感情を抱くだろうが、それを隔たりを持った部外者が持っても、自分達の日常に次々塗り重ねられる。


そういうものだ。己の生活を犠牲にしてまで付き合えるか、それは個々人の状態に委ねられるだろう。


「それは知ってますよ。 ニュースでも連日大々的に取り上げられてましたからね。 カストリ雑誌なんか喜んでさんざ書き立ててる」

「カストリ雑誌……なんて今でもあるものですか? うちのとはまた違うのかな 」

「ありますよ。 まあ、昔よりは鳴りを潜めてはいますが……特殊な筋からなら現役のやつを今でも購入できたりするんです」

カストリ雑誌、実は意外と探偵稼業は役立つ代物。

何故なら、眉唾な情報の中にも偶にだが手がかりはあるからだ。一見混雑していても、その根元には、しっかりとした事実がある。派手な脚色の中から探し出すのは骨だが、インターネットの海を漁るよりは早かったりする。まあ、場合によってはインターネットの掲示板なども調べたりするが、そこは適材適所ということで。


「それで……あの事件の黒幕は食人嗜好の者の仕業なんじゃないかって噂もあったりしましたね」

「食人鬼……というと、カニバリストと呼ばれる方々でしょうか」

あの事件の被害に遭った者達は、全て人間であり、飼われていた鳥などに被害はなかった。そして、遺体を掻き集めてみると、足りない個所が幾つもあったという。勿論、潰されてどうしようもない部分もあるかもしれないが、現場にある血肉の量と被害者の人数とで合わなかったそうだ。

「そうなりますね……ですが、私としてはそういった方々の犯行とは違うんじゃないかと思うんですよ」

「……そう……ですか」


「では、教えてもらえますか? 何故そう思ったのかを……」

外で烏が一羽鳴いた。それを皮切りに次々と他の烏達も鳴いていく。


烏の声が収まったところで改めて口を開く。

「……まず、いくらそういう嗜好の人間だからといって、普通はそんなことしないからですよ」


「何故、そう言い切れるんです」

穏やかな口調のまま、紫雪は鋭利な刃物を思わせる眼差しでこちらを見詰める。

「日常があるからです。 あくまでまだ人間ですから」

「まだ、人間?」

「正確には、人間としての日常に対する境界線を越えていない」

「……ほぅ」

感心したように彼は目を細めた。


「前置きしておきますが、私はあくまで探偵ですので「聖人」だとか「善人」だとかではないんです。 そういう面倒なのはフィクションに任せている主義でして……ただ、勘違いしないでくださいね。 私は「人間は人間の定めた法で律され裁かれなければならない」……そういう風に考えています。 何も殺人鬼の擁護をする気は無い。 他の犯罪者たちも同様です。 犯した罪はその者が背負い天秤にかけられるべきだ」


芝居がかったふうに肩をすくめる。

「話を戻しますが……単なる殺人ということだけでは、まだ境界線を超えていないんです。 まだそちら側へはいっていない。 ある意味、精神と物理両方の話ですかね」


「そちら側とは?」

まるで禅問答でも交わすかのような面持ちで目の前の美丈夫は尋ねてくる。






「……人間でなくなった方々の世界」



外では再び烏が鳴いた。虚しくなるような悲しいようなそんな声だった。








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