第177話 偽りの愛の果てに(前編)
一週間後、私は再びクラウディアさんの病室へとやってきた。
「あ、ホリーさん。こんにちは」
「こんにちは、ミヤマーさん」
ミヤマーさんは相変わらず意識の戻らないクラウディアさんを献身的に看護している。
「ミヤマーさん、今日はクラウディアさんの治療法を見つけてきました」
「本当ですか!?」
「はい。あの柱のところにあった秘密の部屋の本の中に、クラウディアさんと同じように強い精神的ショックを受けて目覚めなくなってしまった患者さんの意識を取り戻すことに成功したという記録が複数見つかりました」
「ありがとうございます! どうか! どうかクラウディアを!」
「いいんですね? 目覚めたクラウディアさんはミヤマーさんの知っているクラウディアさんとは……」
「もちろんです! 僕の望みはクラウディアが笑って生きていてくれることだけですから」
「……わかりました」
ミヤマーさんは迷いなくそう言い切った。その表情からも、いかにクラウディアさんへの愛が深いのかを思い知らされる。
「まず、こちらのお香を焚きます。このお香は魂に作用し、精神を落ち着ける作用があります。その作用が効いている間に大治癒の奇跡をかけます。早ければ一度で、遅くても三度までで意識が戻るそうです」
「お願いします」
私は香を焚き、クラウディアさんが吸い込みやすい位置にポットを置いた。
独特の香りが部屋中に広まっていくが、しっかり吸い込んでいるはずのクラウディアさんからはなんの反応もない。
それから一分ほど待ち、大治癒の奇跡をかけた。目に見える怪我があるわけではないのでいまいち何が治療できているのかはよく分からないが、本によるとこれでいいらしい。
それから十分ほど治療を続けていると、なんとクラウディアさんの瞳が動いてこちらを見た。
「クラウディアさん? 聞こえますか?」
私が呼びかけると、クラウディアさんは悲しそうに目を伏せた。
「……聞こえていますわ」
「っ!」
クラウディアさんが返事をした!
私はすぐに大治癒の奇跡をかけるのを止めた。
「どこか痛いところはありますか?」
「……ありませんわ。あなたの奇跡ですべて治してしまったのでしょう?」
「それはそうですけど……」
「……どうしてわたくしを起こしたんですの? 大聖女であるにもかかわらず神に捧げた純潔を失い、
クラウディアさんはそう叫ぶと顔を両手で覆った。
大聖女というのは、聖導教会の中でもっとも位の高い聖女なのだと聞いている。
クラウディアさんは聖導教会という異常な集団の教えを忠実に守り、頂点にまで上り詰めた。だが信じたその聖導教会に利用され、信仰を踏みにじられたのだ。
そのショックたるや、察するに余りある。
もちろん頭ではそうと分かってはいたつもりだったが、こうして目の前で悲痛な叫びを聞かされるとやはりいたたまれない。
だが私は薬師だ。それにこの事態は私が安易に解呪したことが原因で引き起こされたと言っても過言ではない。
「クラウディアさん、私にはクラウディアさんがどれだけショックだったのかを知ることはできません。同情の言葉はきっと上辺だけだと言われてしまうでしょう」
「……」
「ですが、クラウディアさんは一人じゃないんですよ」
「……」
「たとえどんな形であろうとも、大切に思ってくれる人が一人でもいるというのは素晴らしいことだと私は思います」
「……」
クラウディアさんは
「ミヤマーさん、お話しますか?」
「はい」
そう答えたミヤマーさんは涙声だった。
「私は病室の外で待っています」
そう告げると、私は病室の外に出たのだった。
◆◇◆
「クラウディア……」
「……」
病室に残された宅男はクラウディアにおずおずと声をかけたが、クラウディアは俯いたままだ。
「僕は、クラウディアの意識が戻ってくれて良かった。どんな形でもいい。僕を見てくれなくてもいい。こうしてクラウディアが生きていてくれて……」
宅男はそのまま声を詰まらせると俯き、小刻みに体を震わせている。
「……タクオ様。わたくしは、ひどい女でしたわ。神に純潔を捧げた大聖女だったのに、軽率にあのようなことをして、タクオ様を
「そんなことっ!」
「……タクオ様は、いつでも真っすぐでいらっしゃいました。わたくしのような穢れた女のことはどうか、お忘れください」
クラウディアはそう言うと、掛け布団の中に潜り込んだ。
「クラウディア……」
「どうぞ、出ていってください。タクオ様を愛したクラウディアはもうここにはおりません」
クラウディアはそう言うと、左の薬指で輝いていた婚約指輪を外した。
それを見た宅男は無言で椅子から立ち上がり、出口に向かってゆっくりと歩いていった。
そして病室を出る間際に振り返る。
「クラウディア、また来るから」
しかしクラウディアの返事が返ってくることはなかった。
宅男の出ていった病室からはクラウディアの
◆◇◆
あれからも変わらずミヤマーさんはクラウディアさんの病室に通い続けているが、クラウディアさんはミヤマーさんをずっと邪険にし続けている。
何かあってはいけないので病院のスタッフが付き添うようにしているのだが、ミヤマーさんはクラウディアさんを懸命に気遣っていた。
ミヤマーさんは邪神に見せられた幻の中で男たちが言っていたような台詞で愛を囁くことはしていない。だがその行動の一つ一つがクラウディアさんへの思いやりで満たされていて、その端々からクラウディアさんへの愛情がにじみ出ている。
これほど想ってくれる相手であれば幸せになれると思うが、やはり簡単に受け入れることができないのだろう。
そんなある日、私がミヤマーさんに付き添ってクラウディアさんの病室に入ると、なんとクラウディアさんが嘔吐していた。
「クラウディアさん!? どうしましたか?」
「うえええええ」
備え付けの壺の中に次々と食べたものを吐き出すクラウディアさんの背中に手を当てていると、次第に嘔吐は治まってきた。
「クラウディアさん、出された食事以外に何か食べましたか?」
「いえ」
「じゃあ、熱は……ああ、少しありそうですね。頭痛や喉の痛みはありますか?」
「はい」
「なるほど。他に何か気になることはありますか?」
「……臭いですわ」
「臭い?」
「ええ。なんだか出される食事がとても臭いんですの」
……なんだろう? 私が今まで診察した患者さんにはいなかった症状だ。
あれ? でもおじいちゃんから教わった中にあったような?
ギリギリまで出かかっているのだが、ポンと答えが出てこない。
「わかりました。お食事は見直します。それからお薬については様子を見てからにしますね」
「ええ」
私はカルテに症状を記入し、替えの壺を手配するために病室を出ようとしたとき、ミヤマーさんがクラウディアさんにお水を差し出している光景が目に入った。
クラウディアさんはミヤマーさんから素直にコップを受け取ると、一気に飲み干した。
だが、せっかく飲んだ水を壺の中に戻してしまう。
どうやらクラウディアさんの症状はかなり重症なようだ。
私は足早にスタッフルームへと向かうのだった。
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