第168話 夢幻の終わり

「ホリーさん!」

「ホリーちゃん!」


 まただ。また誰かが私を呼ぶ声がする。


 ……ニコラさんとショーズィさん?


 え? 誰? それは?


 私はそんな人たちに会ったことは……ある。


 いや、ない。


 え? どっちなの?


「お! 反応があるで! ショーズィ! ホリーちゃんに呼びかけるんや。アタシは他の連中を起こすで」

「起こす? どういうことですか?」

「膜を剥がせばええんや。こいつがあいつらを眠らせとるんや」

「でもホリーさんには!」

「さっきまであったんや。今はあの青女がとりつりついとるさかい、いらんのやろ」

「わかりました。お願いします。ホリーさん! しっかり! 邪神に何か負けないで! 帰ってきてください!」


 ショーズィさんが必死に私に帰ってこいと叫んでいる。


 ショーズィさんはどうしてそんなに必死に……ってだからショーズィさんって誰?


「姫様?」


 中々祈りを捧げようとしない私に驚いているのか、ドリスたちが不思議そうに私を見ている。


 ああ、そうだ。私は目の前の神様に体をお使いいただかなくてはいけないんだ。


 私はリリヤマール王国の王太女。そうして世界の人々を救うことだけが私の生まれた理由なのだから。


 祈りを捧げようと祭壇の前にひざまずいて手を組むが、ショーズィさんが必死に話しかけてきて邪魔をしてくる。


 いや、このくらいの邪魔はどうってことない。


 どんな雑音があったとしても、神様への祈りと信仰が揺らぐことはないのだ。


 なぜなら私は物心ついたころから毎日神様に祈りを捧げてきたのだから。


 ……え? そうだっけ? 私、そんなことしていたっけ?


「ニール! はよう起きいや! アンタの妹のホリーちゃんがピンチなんやで!」


 ニール兄さん!?


 そうだ! どうして私はニール兄さんの存在を忘れていたんだろう?


 ○○○○○○○でまるで私を実の妹のように可愛がってくれた大切な兄を!


「うっ!」


 激しい頭痛が私を襲う。


「姫様!」


 いつの間にか私は地面に倒れていたようで、ドリスが慌てて駆け寄ってきた。


「ええ、ドリス。大丈夫よ。わたくし、きちんと祈りを捧げなくてはいけないの」

「姫様、どうかご無理は」

「いいえ。お母さまも成し遂げられなかったリリヤマール王家の悲願を果たすときが来たのよ」


 するとドリスは驚いて息を呑み、大きく開いた口をその手で隠した。


「姫様、それはまさか」

「ええ。そうよ」

「おめでとう、ホリー」


 気が付けば私の隣には愛するお母さまが同じように祭壇を前にして跪いており、私のほうに顔を向けて優し気に微笑んでいた。


「お母さま……」

「ホリーが神様にその体をお捧げし、神様がついに降臨される。ああ、なんと幸せなことなのでしょう」

「はい」


 そうだ。そのとおりだ。これほど幸せなことはない。


 なのに、どうして私は……あれ? なんて名前だっけ? ……兄さん? どうしよう? 大切なはずなのに名前が出てこない。


 私の頬を涙が伝う。


「あ、あれ?」

「あらあら、ホリーったら嬉し泣きしているのね。でもわかるわ。わたくしも本当に嬉しいもの」


 お母さまはそう言って立ち上がると、私の頭を胸にそっと押し付けるようにして優しく抱きしめてくれた。


 それは小さいころからずっと変わらず私を安心させてくれる母の温もり。


 辛いときも悲しいときも、こうしてお母さまに抱きしめてもらうだけで私は前を向いて頑張れた。


「ホリー。わたくしも一緒にお祈りするわ」

「はい、お母さま」


 これで心置きなく神様に体をお捧げできる。


 私は祈りの体勢を取った。


「神様。どうか私の願いを聞き届け、このから――」

「おい! ホリー! しっかりしろ! 戻ってこい! グラン先生の遺志を継ぐんだろうが!」

「っ!?」


 ○○○兄さんの怒鳴り声がした。


 ぐ、ら……ん?


 おじい……ちゃん!?


 その瞬間、私の中で何かが砕け散る音がした。


 すぐに思考がクリアになっていく。


 そうだ! 私はホリー! おじいちゃんの遺志を継ぐホワイトホルンの薬師だ!


「ホリー?」

「姫様?」

「ホリー、どうしたんだい?」


 お母さま、いや、お母さんが、ドリスが、いつの間にかそこに立っていたお父さんが、それに見知ったと思っていた城の人たちが私を取り囲んでいる。


「ホリー、神様に体をお捧げできるなんてこれ以上の幸せはないわ」

「ホリー、お父さんは誇らしいぞ」

「姫様を誇りに思います」

「姫様」「姫様」「姫様」「姫様」


 暖かいと思っていたその笑顔が、優しいと思っていたその微笑みが、今となっては異様なものに感じて恐ろしい。


「ああ、なんて美しいんだ! どうかこの私の愛を受け取っておくれ」

「この僕こそがホリー殿下に相応しい」

「君の魅力の前には満天の星空もこの満月さえも恥じ入るだろうね」


 昨日の舞踏会で私に求愛してきた男たちがぞろぞろと私のほうへとやってきた。


 ……気持ち悪い。


 これはすべてまやかしだ。


 あのお母さんもお父さんも、みんなみんな幻だ! 二人はもう死んでこの世にはいないんだ!


 私は胸元のペンダントをぎゅっと握る。


 気付けば私の髪は元の長さに戻っており、服だっていつもの服装だ。


「こんなのは幻だ! 私は受け入れない! 私を愛しているなら、お母さんとお父さんがこんなことを言うはずない!」


 私はそう叫び、全力で聖域の奇跡を発動するのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る