第164話 夢幻の日々(前編)

「姫様、おはようございます」


 私が目を覚ますと、そこは知らないベッドの上だった。


 しっかりした作りであり、マットレスもシーツもブランケットも、すべては民からの善意で献上された最高級品だ。


 ……え? どうして私はそんなことを知っているのだろう?


 いや、当然だ。だって、私はホリー・リリヤマール。リリヤマール王国の王位継承者なのだから。


「姫様?」

「え?」


 慌てて振り返ると、そこには知らない人族の女性が穏やかな微笑みを浮かべていた。


「おはよう、ドリス」


 どういうわけか、私の口からは知らないこの女性の名前が出てきた。


 いや、知っている。彼女はドリス。私の専属侍女をしてくれている者の一人だ。


「姫様、いよいよ成人の儀をお迎えになられるのですね。あの小さかった姫様がこれほどお美しくご成長なさるなんて」


 ドリスはそう言って涙ぐんだ。


 あれ? そうだっけ? 私は○○○○○○○でもう十六歳の誕生日を祝って貰ったんじゃなかったっけ?


 しかし私の口からは思ってもみない言葉が出てくる。


「そうね。私も楽しみだわ。リリヤマール王家の者として、お母様に負けない女王になるわ」

「ええ。ええ。姫様なら間違いなくそうおなりになります。さあ、準備しましょうね」

「頼むわね」

「お任せくださいまし」


 こうして私はドリスと他の侍女たちに手伝ってもらい、夕方から開催される成人の儀に備えて身支度をするのだった。


◆◇◆


 今日のために仕立てられた純白のドレスに身を包み、私は謁見の間の前の扉にやってきた。


 隣ではお父さまが優しく私をエスコートしてくれている。


「ホリー、きれいだよ」

「お父さま、ありがとうございます」


 大好きなお父さまに褒められるのはとても嬉しい。お父さまはリリヤマールの民を守るため、先頭に立って魔族と戦ってくださっている尊敬できる方だ。


 お父さまや騎士の者たちがいてくれるおかげでリリヤマールの、そして人族の平和が保たれている。


 そんなお父さまを見習って私も……あれ? そうだっけ?


 魔族は悪い人たちではないという気がするが、なぜかその理由が思い出せない。


 何かがおかしい気がするのだが……。


「ホリー、大丈夫かい?」


 私はお父さまに優しく気遣ってもらい、すぐに今やるべきことを思い出す。


「はい。ちょっと緊張しているのかもしれません」

「そうだね。でも大丈夫。ホリーは世界で一番かわいいからね」

「もう、お父さまったら」


 お父さまのいつもの冗談で緊張がほぐれた。


 よし、がんばろう。今日が私の初めての公務なのだから。


「ホリー・リリヤマール王太女殿下 ※1のご入場です」


 華やかなファンファーレが鳴り響き、私はお父さまにエスコートされて謁見の間へと入った。


 見知った重臣たちから海外からの賓客まで、多くの人々が私の成人をお祝いしに来てくれている。


 私は背筋を伸ばし、笑顔を浮かべた。そしてお母さまの待つ玉座の前まで歩いていくと、渾身のカーテシーで礼を執る。


「ホリー、わたくしはこの日を迎えられたことを心より嬉しく思います。ホリー・リリヤマール、あなたはリリヤマール王国の王位継承者として常に民を思い、民を守り、そして人類の守護者たるリリヤマール王家の名に恥じなぬ振る舞いをすることを誓いますか」

「はい、誓います」

「それではこちらへ」


 お母さまに促されて三段ある階段を登り、お母さまの目の前でひざまずいた。


 するとお母さまは私の頭にティアラを載せてくれた。


「ここにホリー・リリヤマールが成人したことを宣言します!」


 お母さんの宣言に謁見の間は大いに盛り上がった。そんな彼らに向けて私はにこやかに微笑んだのだった。


 さあ、これからだ。これで私は自分で多くの人を助けてあげることができるようになる。


 もちろん重圧はあるが、それ以上に私自身で考えて行動できることが嬉しい。


 私はこれからのことに想いを馳せるのだった。


 まずは赤い雨を……え? 赤い雨ってなんだっけ?


 思い出せないけれど、今すぐに何かをしなければいけなかったような?


「さあ、ホリー。次は舞踏会です。お父さまにエスコートしてもらいなさい」

「あ、うん」

「ホリー。うん、じゃありません」

「そうでした。申し訳ございません。お母さま」

「よろしい。もう成人したのですから、言葉遣いには気を付けるのですよ」

「はい」


 しまった。もう私は子供ではないのだ。リリヤマール王家の姫として、次期女王として自覚ある行動をしなくては。


◆◇◆


 舞踏会が無事に終わり、寝巻に着替えた私は自室のベッドに横になっていた。


 リリヤマールの次期女王が唯一のデビュタント ※2として臨んだ舞踏会なので仕方がないことだが、ひっきりなしに男性から誘われて少し疲れてしまったのだ。


 ファーストダンスはお父さまと踊れたためとても楽しかったものの、それ以降はあまりだった。


 どこぞの国の王子様や貴族の子息など、多くの美男子たちが私の容姿を褒めちぎってきたが、どれも空虚なものに感じてしまった。


 それに私ははっきり言って魔族のような黒髪の男性が好みだ。だから人族のように明るい色の……え?


 私は魔族の男性のほうが好み?


 いや、それはおかしい。私は今まで生きてきたなかで一度たりとも魔族とは会ったことがないはずだ。


 そもそも魔族は私たち人族とは対立しており、何度も戦争をしている間柄だ。


 ん? 私たち人族? そうだっけ? いや、そうだ。違う。え? え?


 何かがおかしい。それなのに、何がおかしいのかが分からない。


「う、頭が……」


 突然の頭痛に私はまぶたをぎゅっと閉じ、痛みをこらえる。


 こんなときは……え? どうして私は頭痛に効く薬なんて知っているのだろうか?


 薬なんて習ったことはないはずだ。


 まるで何か大切なことを忘れているような……。


 だが思い出そうとするたびに頭痛はひどくなり、私は布団をかぶって体を丸める。


 そうしているうちにやがて頭痛は治まっていき、私は眠りに落ちるのだった。


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※1 王位継承権第一位の女性のこと。女性であっても王太子と表記する場合もありますが、本作では混乱を避けるために王太女と表記しています。

※2 社交界にデビューする女性のこと

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