第165話 夢幻の日々(後編)

 気が付くと、周囲は真っ暗だった。


 たしか私は成人の儀と舞踏会を無事に終え、晴れやかな気分で眠りについたはずだ。


 ……あれ? そうだっけ? もっと何かこう、嫌なことがあったような?


 いや、そんなことはない。舞踏会では素敵な男性から甘い言葉で次々と求愛され、美しい音楽に合わせて素晴らしいダンスを踊ったではないか。


 そのことを思い出すだけで胸が甘美な喜びで満たされていく。


 毎晩あんな素敵な男性たちから口説かれたい。


 そんなあり得ないことを考えてしまうが、私はリリヤマール王国の王太女だ。なるべく良い相手と結婚し、新たなる女王を産む義務がある。


 そうしなければ人類の守護者たるリリヤマール王家の血筋が途絶えてしまい、魂を司る冥界の神様の依代よりしろとなれる者はいなくなってしまう。


 え? 何それ? 冥界の神? それに依代ってどういうこと?


 リリヤマール王家の女性は○○を使って……あれ? なんだっけ?


 大事なことのはずなのに、頭の中にもやがかかったかのように思い出せない。


 すると、気が付けば私は宙に浮いていた。


 なぜかセピア色に染まっているが、ここは城内にある礼拝所だ。


 ああ、そうか。きっと私は夢を見ているのだろう。


「さあ、ホリー。一緒にお祈りしましょうね」

「うん」

「こら、ホリー。うん、ではなくて、はい、でしょう?」

「はい」


 その声に気付いて下を見ると、幼い私がお母さまと一緒に神様への祈りを捧げようとしていた。


 いや、これは私がお母さまから神様へのお祈りを教わった最初の日の想い出だ。


 ……あれ? そんなことあったっけ?


「ホリー、リリヤマールの女王はね。冥界の神様にこの体をお使いいただくために生まれてきたのよ」

「どうしてー?」

「冥界の神様は人々の魂に安らぎを与えることができる唯一の神様なの。神様に私やホリーの体をお使いいただけば、苦しんでいる人々をお救いいただけるのよ」

「かみさまがすくってくれるの?」

「そうよ」

「でも、ほりーのからだにかみさまがきたら、ほりーはどうっちゃうの? おかあさまにあえなくなっちゃうの?」

「大丈夫。私はいつでもホリーと一緒よ。もしホリーの体を神様がお使い下さったら、私とホリーは神様に御許でずっと一緒に、幸せに暮らせるわ」

「ほんと?」

「ええ、本当よ。だから一生懸命神様にお祈りしましょうね。神様に、人々の魂をお救いください。どうか私の体にご降臨くださいって」

「うん」

「もし神様がホリーのお祈りにお応え下さったら、祭壇の上にホリーの姿で顕現なさるわ」

「そうなの?」

「そうよ。神様に会えるように、きちんとお祈りするのよ」

「うん」


 そうして幼い私はお母さまとともに祈りを捧げ始めた。


 ああ、そうだった。どうして私はこんなに大切なことを忘れていたのだろう。


 私が生まれてきた意味は冥界の神様の依代となるためだ。そしてもしそれができなくとも次代の女王を産み、その子を立派な依代となれるように育てる。


 これ以外に生きる目的などあるはずがない。


 ……え? そうだっけ? いや、でも私はそうして育ってきたはずだ。


 ああ、そうだ。きっとそうに違いない。


 だから早く目覚めて、神様に祈りを捧げなければ!


◆◇◆


 気が付けば私はいつものベッドの上だった。


 ああ、やはり夢だった。そうでなければ私が神様への信仰を忘れるなどあり得ない。


「姫様、お目覚めですか?」

「ええ、ドリス。礼拝の準備をしてちょうだい」

「かしこまりました」


 するとドリスは一度部屋から出ていき、すぐに他の侍女たちと共に戻ってきた。


 私はとても長いマントを着せてもらうと、すぐにベッドから立ち上がった。


 このマントを侍女たちに持ち上げてもらうことで、ずっと伸ばしてきた長い髪を地面に擦ることなく移動できる。


 というのも、私の髪は普通に立って歩くと十メートルほどは地面を擦ってしまう。


 当然普通の生活など送ることはできないが、この髪は神様が私の体にご降臨くださるときに必要となる。


 なぜならば髪が長ければ長いほど神様に私の体を依代としてお使いいただくときに、より多くの人々の魂をお救いいただくことができるようになるからだ。


 そのためであれば、私が一人で歩けるかどうかなど大した話ではない。


 それから私は湯あみをして体を清め、真っ白な巫女服に袖を通すと礼拝所へとやってきた。


 ドリスたちに祭壇の前まで連れてきてもらい、跪く。


 幼いころから慣れ親しんだ祈りは体に染みついており……あれ? でもなんだか違和感が?


 いや、そんなことはない。これはいつもどおりだ。


 ふと違和感を覚え、顔を上げた。


 すると先ほどまで何もなかった祭壇の上に私が立っているではないか!


 ああ! まさか今日だなんて!


 良かった。これで人々は救われる。あとは神様に私の体をお使いいただくだけだ。


 私は瞳を閉じ、顕現された神様に祈りを捧げる。


「神様、どうか私の体をおつか――」

「おーい。ホリーちゃん? 聞こえとるかー? はよ目ぇさましいや」


 ……ニコラさん!?


 いや、それは誰だ?


 私はニコラなどという魔族と会ったことなどないはずだ。


 え? 魔族!?


 どうして私はニコラさんが魔族って知っているの?

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