第32話 出発

 年が明け、春の訪れと共に隣町との間を結ぶ道の除雪が完了したという報せが舞い込んできた。


 それと同時に私とニール兄さんにエルドレッド様からの招待状が届いた。


 ニール兄さんへの手紙には失ってしまった左腕の件で、試作品が完成したのでキエルナにあるエルドレッド様の工房に来て欲しいという内容だった。


 私への手紙には、奇跡を発動できる魔道具を作る研究への協力依頼が書かれていた。


 あまり長期間お店を閉めるわけにはいかないが、浄化の奇跡や治癒の奇跡が使える魔道具ができるのであればこれほど嬉しい話はない。


 それに雪解けが終わり、ゾンビ退治が始まるまではお店も暇な時期になる。だからそれまでに戻ってくればいいし、問診をせずに売っているお薬はハワーズ・ダイナーに預けておけば問題ないだろう。


 そう考えた私はニール兄さんと一緒にエルドレッド様の待つキエルナへと向かうことにした。


「いいなぁ。エルドレッド様にまた会えるなんて……」


 私たちの見送りに来てくれたアネットだったが、その表情は心底残念そうだ。


「でもほら、ニール兄さんの腕をなんとかしてくれるっていう話だし」

「でもホリーなんて奇跡の魔道具作りを一緒にやるんでしょ? ああ、いいなぁ。共同作業」


 アネットはそう言って大きくため息をついた。


「これでホリーとエルドレッド様との間に愛が芽生えたりなんかしたら……」

「え? そんなことないと思うけどなぁ」


 たしかにエルドレッド様はかっこいいし、とても紳士的で素敵な人だと私も思う。


 だが、相手は王子様なのだ。それに私は人族だし、魔族の王子様の恋人になれるとはとても思えない。


「でも、すごくかっこいいでしょ?」

「うん。それはそうだけど……」

「えっ? ホリーはエルドレッド殿下が好きなのか?」

「え? ニール兄さんったら、どうしてそういう話になるの?」

「だって、かっこいいって言ってたから」

「え? でもかっこいいでしょ? それにかっこいいのと好きになるのは別かな。ニール兄さんだって、ナタリアさんとか美人だって思うでしょ?」

「そりゃあ、まあ……」

「えっ? ニールはナタリアさんみたいな人がタイプだったの?」

「え? アネット、何を言ってるんだ?」

「えっ?」


 微妙な空気が私たちの間に流れる。


 するとそこへ乗合馬車の御者台に座っているウォーレンさんが声をかけてきた。


「ニール、ホリーちゃん、そろそろ出発だよ!」

「あ、はーい」

「じゃ、じゃあな。アネット、またな」

「う、うん」

「アネット、お土産買ってくるからね」

「うん」


 こうして私はアネットと軽く抱擁を交わし、馬車に乗り込んだ。馬車の中には私たちの他に一組の男女が座っていた。


 そのうちの一人の女性には見覚えがある。たしか私が十二歳のころに一度だけ、お客さんとしてお店に来たことがあったはずだ。


「こんにちは。アレクシアさん、ですよね?」

「あら! ホリーちゃんじゃない! ワタクシのこと、覚えていてくれたのね!」

「はい。たしかあのときは豚のお腹に効くお薬を調合したんでしたよね?」

「そうそう。あのときは助かったわ~。おかげで豚たちも元気になって、別の餌に変えたら下痢もしなくなって」

「それは良かったです」

「それでホリーちゃんはどうして乗合馬車に? お店は? グラン先生が亡くなられてからは一人なんでしょう?」

「お店はしばらくお休みです。この前のゾンビの件でキエルナに呼ばれていまして」

「そうなの……」

「はい」

「あ! そういえばホリーちゃん、大活躍だったんだって?」

「え?」

「あのエルドレッド殿下に褒めていただいたんでしょう?」

「え? どうしてそれを?」

「ヘクターがね。エルドレッド殿下が褒めてたって」

「でも、私はそんな……。本当にすごかったのはエルドレッド様ですから」

「ふーん? そうなのかしらねぇ?」


 アレクシアさんはそう言ってニヤニヤしながらこちらを見てくる。


「そういえば、そっちの男の子はホリーちゃんの彼氏?」

「なっ!?」


 アレクシアさんにそう言われて、まさか話を振られると思っていなかったのかニール兄さんは驚いた様子だ。


「え? 違いますよ? ニール兄さんは幼馴染で、兄みたいな存在なんです」

「でも、キエルナまで行くホリーちゃんのボディーガードをしてくれるなんて普通の幼馴染じゃ……あ!」


 そう言ってから、アレクシアさんはニール兄さんの左腕に気が付いた。


「ごめんなさい。ヘクターからゾンビどものせいで片腕を失った新人がいて、それを殿下がなんとかしようとしてくれてるって話は聞いていたけれど……」


 しゅんとなったアレクシアさんはニール兄さんに謝罪した。


「大丈夫ですよ。気にしてませんから。それに、エルドレッド殿下が力になってくれるってそうですから」


 ニール兄さんは笑顔でそう言うと、話題を変える。


「そういえば、アレクシアさんはどちらまで?」

「ああ、ワタクシたちは隣のシュワインベルグまでよ。去年のアレで家畜は全滅だもの。だから新しく仕入れないといけないの」

「あ……すみません」


 一瞬にして空気が凍りつき、今度はニール兄さんが気まずそうに謝った。


「いいのよ。ウチの家族は無事だったから。あ、この人がワタクシの主人のザカリーよ。ホワイトホルン畜産協同組合の組合長をしているの」

「ホリーです。よろしくお願いします」

「ニールです」

「ザカリーと申します。よろしくお願いします」


 アレクシアさんの隣に座っているスーツを着た男性が丁寧に挨拶をしてくれた。


「今回は大規模な取引になるから、ワタクシたちが直接行ってたくさん子豚を連れてきてあげるの。ゾンビが来る前よりももっと増やして、いずれは豚といえばホワイトホルンって言われるようにしてあげるわ」


 アレクシアさんは希望に満ちた様子でそう宣言する。


「出発しますよ」


 御者台からウォーレンさんの声が聞こえ、すぐに馬車はゆっくりと動き出した。


 私は慌てて馬車から顔を出し、外にいるアネットに手を振った。


「いってきまーす」

「いってらっしゃーい!」


 そんな私にアネットも大きく手を振ってくれたのだった。

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