第31話 女神のヴェール

 ニール兄さんの家を後にした私たちは街壁の上にやってきたのだが、積雪が例年よりも多いということもあってとても不思議な光景が広がっている。


 街壁の外側にはゾンビが襲ってきたときにザックスさんたちが掘ってくれた堀が残っており、そこまでは衛兵さんたちとザックスさんたちが協力して除雪してくれている。


 だがその先までは除雪がされておらず、積もりに積もった雪は街壁と同じくらいの高さにまでなっている。


「ホリー、すごいね」

「うん。いつもはこんなにならないもんね」


 私たちもニール兄さんにこの話を聞いて見物に来たわけだが、どうやら町の人たちも同じようなことを考えていたらしい。大みそかということも相まって、街壁の上は人でごった返している。


「アネット、こんなに人がいるんじゃ無理かなぁ」

「でもたぶんここが一番綺麗に見えると思うし、もうちょっと待ってみようよ」

「そうだね」


 というのも私たちの当初の計画では、ここで小型の魔道具を使ってお湯を沸かし、ハーブティーを飲みながら女神のヴェールを見物しようと思っていたのだ。


 そうして私たちはおしゃべりをしながら日が沈むのを待っていると、なんとザックスさんが向こうから歩いてきた。


「あ! ザックスさん」

「おや、ホリーちゃんじゃないか。アネットちゃんも」

「こんにちは」

「ああ、こんにちは。今日は雪壁の見物かい?」

「はい。あと女神のヴェールを見ようと思ってたんですけど……」

「ああ、この人出だからね。お湯を沸かすのは迷惑かもしれないね」


 私たちが持っているティーセットを見てザックスさんはそう指摘する。


「そうですよね……」

「そうだ。なら、ちょうどいい場所があるからおいで」

「え?」

「ほら、あそこに見張り塔があるだろう?」

「はい。でも、あそこって立ち入り禁止じゃないんですか?」

「あそこはもう使われてなくてね。今はうちの組合が資材置き場に使っているんだ」

「でも……」

「ちゃんと綺麗に片づけて、出るときに鍵をかけてくれるなら使っていいよ」

「いいんですか?」

「もちろん。あそこ椅子もあるし、ここで立っているよりずっと楽だよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

「ザックスさん、ありがとうございます!」


 私たちはザックスさんに鍵を借り、見張り塔へと向かうのだった。


◆◇◆


 見張り塔に着いた私たちは早速お湯を沸かし、ハーブティーをれた。お茶が出るのを待っている間に置かれていた簡素な椅子を窓際に運び、着席する。


「すごいね」

「うん。あたし、初めて来た」

「私も」


 ここは衛兵じゃないと普通は入れない場所だし、高いところから景色を眺めたいのであれば町中にはもっと高い建物があるため、わざわざ見張り塔に行くという発想は出てこない。


 そのおかげか、なんとなく探検をしているような気分で少しわくわくする。


「あ、もういいかな」

「うん」


 私たちは出来上がったハーブティーをちびりとすすった。もこもこの毛皮を着ているのでそれほど寒いわけではないが、それでも暖かいハーブティーは体に染みわたる。


 そうしておしゃべりをしていると、気が付けば日没が迫っていた。山並みの向こうに太陽が沈んでいき、空が茜色に染め上げられていく。


「きれい……」


 そう呟いたアネットは夕焼けで色づいた山の稜線を眺めている。


 そうしている間にも空には徐々に黒が落とされ、やがてうっすらと緑色の不思議なカーテンのようなものが見えてきた。


「あっ!」

「女神のヴェール!」


 すごい! 普通なら女神のヴェールは完全に暗くなってからでないと見えないはずなのに!


「ホリー、すごいね! まだ明るいのに!」

「うん」


 私たちが夢中になって見ている間にも空はどんどんと暗くなっていき、それに合わせて女神のヴェールがはっきりと見えるようになってきた。


 そして気付けば空の大部分は女神のヴェールで覆われていた。


 すごい! すごいすごいすごい!


「ホリー!」

「うん!」


 こんな大規模な女神のヴェールは今まで見たことがない。


 目にも止まらぬ速さで夜空を緑色の光のカーテンが舞い踊り、山並みが浮かび上がる。


 夢中で見ていると、女神のヴェールは色を変え始める。先ほどまでは全体が緑だったのに下部が白くなり、やがて紫色に変わった。


 するとその紫が女神のヴェール全体に広がっていき、あっという間に空は紫色に染め上げられた。


 かと思えば今度は青へと変化し、黄色、ピンク、オレンジ、赤と様々な色へと変化し続けている。


 私たちはあまりの幻想的な光景に言葉を忘れ、ただただ夜空を見上げ続けた。


 そうしてどれほどの時間が経っただろうか?


 女神のヴェールは徐々にその明るさを減らし、小さくなり、ついには空から消えてしまった。


 だが私は先ほどまでの光景が忘れられず、その興奮の余韻に浸っていた。


 ごうっという音とともに一陣の風が吹き抜け、私たちを現実に引き戻す。


「ホリー、帰ろっか」

「うん」


 こうして私たちは見張り塔を降りると、ハワーズ・ダイナーへと向かうのだった。

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