第26話 解呪の奇跡

「さあ、ホリーさん。いきますよ。合図をしたら解呪の奇跡をかけてください」

「はい!」


 エルドレッド様は布で包まれた赤い宝玉を地面に置くと布をめくり、その中身を露出させた。


 すると私の背筋には悪寒が走り、得も知れない不安と恐怖に襲われる。


 思わず息を呑み、身を固くした私の手をエルドレッド様はぎゅっと握り返してくれた。その手の感触を頼りに私はなんとか踏みとどまる。


「ホリーさん、がんばってください。今から外殻に穴をあけ、注入用の経路を形成します」


 相変わらず何を言っているのかよく分からないが、私にできるのはエルドレッド様を信じて待つことだけだ。


 エルドレッド様は私の手を握りながら赤い宝玉に次々と魔法をかけていき、理由はわからないがその度に私の不安と恐怖は強くなっていく。


 少しずつ、呼吸が苦しくなってきた。


 ここにいてはいけない。


 私の第六感が強く警告してくる。


「ホリーさん、今です!」

「っ! はい!」


 私は逃げ出したい気持ちをなんとか抑え、解呪の奇跡を放った。


「う、これは……」


 解呪の奇跡はたしかに赤い宝玉にかけられた呪いを解除しようとしているのだが、何やらすさまじい抵抗を受けている。


「ホリーさん、落ち着いてください。ここです。解呪をこの一点に集中してください。この部分以外では相当強く抵抗されるはずです」

「え?」


 言われて赤い宝玉を見てみると、エルドレッド様が赤い宝玉の一か所を上から指さしていた。


 それとどういうわけかはわからないが、不安も恐怖も沸き上がってこない。


「はい!」


 私は意識を集中し、エルドレッド様の指し示す場所に向けて解呪の奇跡を収束させていく。


「これは……」

「すごい……」


 ヘクターさんと衛兵さんたちのそんな呟きが聞こえてくる。


「いいですよ、ホリーさん。素晴らしいです」

「はい!」


 エルドレッド様のその言葉に勇気づけられ、私は気分よく解呪の奇跡を当て続ける。


 すると突然、解呪の奇跡が宝玉の中にするりと吸い込まれた。そしてすぐになんの抵抗も感じなくなる。


「あ、あれ?」

「ホリーさん、よくがんばりましたね。解呪の奇跡はたしかにこの魔道具の核まで到達しました。どうですか?」

「は、はい。なんだか、何もないところに奇跡を使っているような感じです」

「なるほど、ではもう大丈夫ですね。解呪の奇跡を止めてください」

「はい」


 私は解呪の奇跡の発動をやめた。するとエルドレッド様も一つ一つ赤い宝玉にかけていた魔法を解いていく。


 え? あの魔法、かけて終わりじゃなくて同時に使っていたの!?


 普通の人は複数の魔法を同時に使うようなことはしない。衛兵さんたちは身体強化と攻撃魔法を同時に使うが、私の知っている範囲ではそのくらいだ。


 もちろん私だって複数の奇跡を同時に使うことはない。もしかするとやってできないことはないかもしれないが、できたとしても簡単なものを二つ同時にする程度だろう。


 どうやらエルドレッド様は魔族の王子様なだけあって、とてつもない魔法の使い手のようだ。


「これであとは、三時間でしたっけ? 待ってゾンビが発生しなければ任務完了ですね」


 エルドレッド様は平然とした様子でそう言った。


 どうやら驚いていたのはヘクターさんたちも同じだったようで、エルドレッド様の言葉にビクンとなって反応する。


「は、はい! そのとおりでございます。ありがとうございました」

「いえ、一番頑張ったのはホリーさんですよ」

「え? 私なんて……」


 エルドレッド様が全てお膳立てしてくれて、言われたところに解呪の奇跡を発動しただけだ。


「いいえ、ホリーさんです。解呪の間ずっと観察していましたが、どうやら中に込められていた呪詛はホリーさんのような聖女に何らかの関係があるようです。強力な呪詛を直接向けられた中で勇気を振り絞り、解呪の奇跡を成功させたホリーさんの勇気に私は敬服いたしました」


 エルドレッド様に真顔でそう言われ、私は思わず恥ずかしくなってしまう。

 

「そ、そんな……その、エルドレッド様が支えてくださったおかげです」

「だとしても、それはホリーさんが逃げずに頑張ったからです。大変お見事でした。ホリーさんは素晴らしい女性ですね」


 なんとか返事をした私にエルドレッド様は再び称賛の言葉を送ってくれたのだった。


◆◇◆


 あれから三時間以上経過してもゾンビが現れることはなかったため、私たちはホワイトホルンへと戻ってきた。


 あの赤い宝玉はエルドレッド様がキエルナに持ち帰って詳しく調べてくれ、何かわかったら手紙を送ってもらえることになっている。


 これで私たちも安心して冬支度ができるようになるというものだ。


「あっ! ホリー! おかえり!」


 私たちがホワイトホルンに戻ってくるのを待っていてくれたのか、町に入るなりアネットが駆け寄ってきた。私はアネットと抱き合って再会を喜び合う。


「アネット、ただいま」

「うん、おかえり! おかえり! 無事でよかった」

「もう、大げさだよ」

「でも、心配したんだよ!」

「うん。ありがとう」


 ひとしきり抱擁を交わし合い、どちらからともなく離れる。


 すると所在なげに立っているニール兄さんの姿が目に入った。今回はメンバーに選ばれなかったニール兄さんだったが、どうやら迎えに来てくれたらしい。


「ニール兄さん、ただいま」

「あ、ああ。おかえり」

「ねえねえ! それより、そちらのカッコイイお方は誰?」


 ニール兄さんと話そうと思ったが、弾んだ声のアネットがそう尋ねてきた。


「え? ああ、この方はエルドレッド様。魔王様のご子息で、ゾンビの発生原因の宝玉をどうにかしてくれたの」

「えっ!? じゃあこの方が王子様なの?」


 アネットはどこかぼうっとしたような目でエルドレッド様のことを見つめている。するとエルドレッド様はそんなアネットに優しく微笑み、声をかけた。


「はじめまして、美しいお嬢さん。私はエルドレッドと申します」

「は、はい! あ、ホリーの親友のアネットです! あ、そのっ!」

「アネットさんはホリーさんの親友なのですね。どうぞお見知りおきを」


 そう言ってエルドレッド様は流れるような動作でアネットの手の甲にキスを落とした。


「あっ……!」


 アネットは顔を真っ赤にしたまま固まってしまった。


「そちらの男性はホリーさんのお兄さまなのですか?」

「え? あ、いえ、違います。ただニール兄さんは一つ上の幼馴染で、ずっと私の面倒を見てくれていたんです。だから……」

「そうでしたか。はじめまして、エルドレッドと申します」

「え!? あ、その、ニールです。こ、この度は私のような者にこ、声をかけてくれ――」

「ニールさん、そんな風に畏まらないでください。私の父が魔王であるというだけで、私自身がそのような地位にいるわけではありません」


 ニール兄さんはそう言われ、反応に困っている様子だ。


「あ、えっと、ニール兄さんは衛兵なんです。すごく勇敢に戦ってくれて……あ!」


 なんとか会話を繋ごうとしたのだが、私の口から出たのはなんとも無神経な言葉だった。


 ゾンビと戦って片腕を失ってしまい、今回だって私を心配してくれていたのに任務から外されてしまったのだ。


「……なるほど。ニールさんは本当に勇敢に戦われたのですね。心中お察しいたします。ですが、隻腕の英雄も過去にはおりましたし、今は魔道具だって発達しています。諦めるのはまだ早いのではありませんか?」

「え?」

「もしニールさんにご興味がおありでしたら、キエルナまでお越しください。きっとお力になれますよ」

「っ! 本当ですか!?」


 ニール兄さんは大声でそう聞き返す。


「ええ。もちろんニールさんの魔力と努力次第ですが」

「ぜひ! ぜひお願いします!」

「ではキエルナに戻って準備が整い次第、ご連絡します。ああ、でもこれからの季節は雪で厳しいでしょうから、雪解けのころになりますね」

「はい! ありがとうございます!」


 ああ、良かった。


 ニール兄さんの腕を再生できなかったことが胸につかえていたのだが、エルドレッド様がそう言ってくれるならきっと大丈夫なはずだ。


「ニール兄さん、良かったね!」

「ああ!」


 そう言ってニール兄さんは心底嬉しそうに笑ったのだった。


◆◇◆


 翌朝早く、エルドレッド様はホワイトホルンをった。


 ゾンビの襲撃に謎の魔道具という事件はあったものの、こうしてホワイトホルンは白く閉ざされる季節を迎えるのだった。

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