第13話 町会館の中で

「はぁ、はぁ、はぁ。クソが……」


 町会館に飛び込んだ男がそう毒づいた。彼の名前はセシル、今年で三百四十一歳になる魔族だ。


 慌てて閉ざした扉からドシン、という音が聞こえてきた。


 きっと彼を追いかけていた熊のゾンビが激突したのだろう。その証拠に扉の隙間からは腐臭が漂ってきている。


 すると、すぐに外から誰かが戦っているような音が聞こえてきた。


 きっとここへ逃げ込んだときに見かけたあのいけ好かないあの人族の小娘とその取り巻き連中だろう。


 セシルはそう考えた。


 人族のくせに魔族である自分よりも皆に愛されている小娘。


 ここは魔族の町なのに、金髪に水色の瞳に丸い耳という魔族にあるまじき風貌をした小娘。


 町の連中は自分のことを鼻つまみ者として扱うくせにあの小娘は!


 そんな身勝手な想いがセシルの胸中をよぎる。


 そう。セシルは魔族である自分よりも町の魔族たちからかわいがられているホリーという人族の小娘がとにかく嫌いだった。


 と、そのとき扉がキラキラとした金色の暖かい光に包まれた。するとすぐにあの腐臭がさっぱり消えてなくなった。


「これがあの小娘の使う奇跡ってやつか……」


 そう呟いたセシルは室内にもかかわらず唾をぺっと吐き出した。


「気に入らねぇ。たまたま持ってた力だけで魔族であるこの俺様よりちやほやされやがって」


 そう吐き捨てるようにつぶやくが、セシルは自身の言葉の矛盾に全く気付いていない。


 扉がドンドンと乱暴に叩かれ、外から男が開けろと騒いでいる。


「……誰が、開けてやるか」


 そうしてこの場を立ち去ろうとした彼の目に、この扉の鍵を制御する魔道具の存在が目に入った。


 この扉は鉄製で、大きく重たいかんぬきで鍵をかける仕組みとなっている。そしてこの魔道具はその閂を操作するためのものだ。


「こいつを壊せばあのいけ好かねぇ小娘は、それに取り巻きどもも……」


 破滅的な考えにくらい喜びを覚えたセシルはニヤリと表情をゆがめた。


 ニヤニヤしたまま魔道具に近づいたセシルは装置の横に取り付けられた赤い宝玉を掴み、そこに全体重を乗せた。


 バキッという音と共に赤い宝玉が外れ、地面に落下した。すると石の床に落下した宝玉はカシャンという音を立て、粉々に砕け散る。


「どうだ。思い知ったか。人族のくせしてこの俺様を不快にさせるからだ。ク、クヒヒヒヒヒ」


 そうして醜悪な笑みを浮かべたセシルは、何食わぬ顔で他の人々が避難しているフロアへと向かうのだった。


◆◇◆


「ねえ、ホリーたち遅いね。もう一階の窓は塞ぎ終わってるよね?」

「そうね。きっとそろそろ戻ってくるわ」


 アネットが隣に座る彼女の母シンディーに訴えると、シンディーはそう答えてアネットの背中を優しくさすった。


「怪我、してないかな?」

「きっと大丈夫よ」


 シンディーは安心させるような優しい声色でそう答えた。


「うん……」


 アネットは外を確認しようと窓に目を向けるものの、目に見える範囲の窓は全て塞がれており、外の様子を伺い知ることはできない。


 と、そのときだった。エントランスホールへと通じる扉が開かれ、セシルが室内に入ってきた。


 人々の視線が一瞬集まるが、すぐさま誰もが興味をなくしたように視線を外す。


 しかしアネットはセシルの姿に見覚えがあった。


「……あれ? あ! あの人、この前の食い逃げ犯じゃない? ねえ! お母さん!」

「え? あ! あ! ああっ! お父さん! この間の食い逃げ男があそこにいるよ!」

「えっ? あああっ! お前! よくもこの前食い逃げしやがったな!」


 ハワードが大声を上げると、ずかずかとセシルのところへと向かっていった。


「おい! この食い逃げ野郎! よくも俺の前に顔を出せたもんだな!」

「は? げっ!」


 セシルの顔が苦虫を噛み潰したような表情になる。


「三リーレ! きっちり払ってもらうからな! 今すぐだ!」

「あいや、今はちょっと……ほら! ゾンビのせいでさ。サイフを家に置いてきちまったんだよ」


 セシルは軽薄な表情で取ってつけたような言い訳を口にした。すると周囲からは失笑が聞こえてくる。


「ほーう? そうか。なら、衛兵に突き出してやる! 覚悟しておけよ!」

「そ、そんな……。ちゃんと払いますから。ね?」

「うるせえ! そんなこと言って払わねぇつもりだろうが!」

「いや、ですから、ね?」


 一見申し訳なさそうな態度ではあるものの、セシルは一切謝ろうとはしていない。


「あれ? あ! ダメ男のセシルじゃねぇか! おい! 娘を騙して盗み取った金、さっさと返せ! 五十リーレだぞ!」

「え? セシル? あ! お前! うちの店からリンゴ盗みやがっただろう!」

「え? あ、いや、それは……あはははは。今はほら、それどころじゃないじゃないですか。生き残るためにはみんなで協力しないと。ね? そうでしょう? 旦那? その話は後にしましょうや」

「それは……」

「ほら? まずは生き残りましょう? ね?」

「まあ、そうだが……」


 リンゴを盗まれた男がセシルの口車によって丸め込まれてしまった。


 非常事態だというセシルの指摘も事実ではあり、一人がそれを認めてしまったことで周りもそれを認めざるをえない雰囲気になってしまった。


「ちっ」

「逃げるんじゃねぇぞ!」

「分かってますって」


 そう返事したセシルはすたこらとその場から立ち去ろうとする。


「ちょっと! 待ちなさい! 外の様子はどうなってるのよ! アンタ、さっき外から入ってきたのよね?」

「え? あ、ああ。ゾンビだらけでマジで危ないですからね? いいですか? 絶対に外へ出ちゃダメですよ?」


 非常事態ということを強調するためか、セシルはいかに外が危険かを訴えた。


「え? でも外でホリーやザックスさんが仕事してるのよ? ねえ! 窓はもう全部終わってるのよね?」

「あ、えっと、どうですかね……」


 自分で鍵を閉めたセシルは気まずそうに言葉を濁す。


「……あ! もしかして扉! アンタ、鍵を閉めたりしてないでしょうね?」

「え? あ、いや……やだなぁ。そんなわけないじゃないですか。俺はまっすぐここまで逃げてきたんですからね?」

「……本当に?」

「もちろんですよ。じゃ、俺はこの辺で」

「あ! ちょっと!」


 セシルはアネットが呼び止めるのも聞かず、そそくさと町会館の奥へと姿を消した。


「……怪しい」


 アネットはぼそりと呟く。


「そうだ! そんなことよりホリーが! お父さん、ちょっと見てくる!」

「待ちなさい!」


 アネットは父の制止も聞かず、一目散にエントランスホールへと駆け出すのだった。

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