第19話:宴の終わり
「ハッハッハッハッ! 燃えろ、燃えろ! 尽く我が前で燃え尽きるがいいっ!!」
欲望でギラつく眼、狂気で煮え滾る哄笑。
それは王の名乗りとはかけ離れた、醜い怪物の姿だった。
この世の全てを嘲り、《彷徨える王》は毒の炎を無差別に撒き散らす。
近付いただけで《死》に捕まりそうな、文字通り地獄の有様だ。
その中を、臆することなく駆ける三者。
先頭を行くのは、《死》を盗まれた《不死英雄》ガイストだ。
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ……!!」
泣き言を口にする間にも、既に何度か死んでいた。
炎で死に、毒で死に、苦痛に精神を削られながらも足は止めない。
自ら前に出て、続くヒルデガルドの盾になる。
《不死英雄》だからこそ可能な捨て身の技に、姫君は小さく唸った。
「俺は不死身なんだから、気にするなよ姫様! あっつい死ぬ!!」
「気にするなと言うなら、もう少し断末魔を抑えろ……!」
無茶苦茶な事を言いながら、視線は炎の向こうへ。
暴れ狂う《彷徨える王》を見る。
灼熱の日輪もまた、ヒルデガルドの姿を捉えていた。
「はぁッ!!」
大きく開いた顎から、燃える吐息が溢れ出す。
ガイストを盾にしたぐらいでは、とても防ぎ切れない規模の爆炎。
まともに喰らえばただでは済まない。故に、ヒルデガルドは躊躇わなかった。
「ガイスト!!」
「あぁ、遠慮するな!」
名を呼び、応じる声を聞きながら《忌み姫》は跳ぶ。
目の前を走る、ガイストの肩を踏み台にして。
王の炎は亡霊を呑み込むが、跳躍したヒルデガルドは難を逃れる。
《彷徨える王》へ向けて落下しながら、大戦斧を高く掲げた。
「砕け散れ……!!」
「やってみせろ!!」
叫び返し、王もまた《虐殺者》を構える。
頭上から打ち込まれる一撃を、その分厚い刃で受け止めようと。
「――芸のない奇襲はもう飽きたわ、《不死英雄》!!」
受ける直前に、左腕で周囲で燃える炎を払う。
その手には、剣を振り上げたガイストが掴まれていた。
逃れようともがいても、王の巨体はビクともしない。
「あっつい!? くそっ、離しやがれ……!」
「いい加減に目障りだ、これで大人しくしているがいい!」
焼け爛れた甲冑は、《彷徨える王》から吹き出す炎で完全に包み込まれた。
燃える勢いは凄まじく、あっという間にガイストは炭の塊へと変わる。
その状態で、《彷徨える王》は砕かぬ程度の力で握り締めた。
「幾ら不死だろうが、焼け死に続ければ動くに動けまい。
そうであろう、姫君よ!!」
「ッ……!」
大戦斧の一撃と、降り注ぐ影で造られた武具の豪雨。
王はその全てを苦もなく受け切った。
斧は《虐殺者》の刃で止め、残る雑多な剣や槍は燃える肉体が弾き散らす。
鋭い切っ先は幾らか傷を残すが、致命傷には遠い。
「我が身体を貫くには、力と重さが足りんなぁ!
当然だが、犬っころの牙も論外よ!」
燃え尽きたガイストを捕らえた左腕。
そこに灰色狼が牙を打ち込むが、結果は変わらない。
僅かな傷から吹き上がる炎に、狼はなす術もなく焼かれて地に落ちる。
「さて、残るはお前だけだなぁ姫!」
嘲りの言葉に、ヒルデガルドは応えない。
手にした斧を何度も叩きつけ、再び影の武具を大量に展開する。
視界を覆い隠す武器の群れを見上げながら、《彷徨える王》は笑っていた。
こんなものが通じない事は、既に承知しているだろうに。
「抗いたければ抗え! その方が、屈服させた時の快楽が増すというものだ!!」
王は傲慢を叫び、片手で《虐殺者》を振り回す。
蘇生されては面倒な不死の男の灰は、燃える手で掴んだまま。
片腕にも関わらず、《彷徨える王》は降り注ぐ武器を容易く叩き落とす。
ヒルデガルドが叩きつけてくる刃も、余裕で弾いてみせた。
斧と斧がぶつかる度に、王の身体から炎が溢れる。
毒を含んだ熱気を浴びて、ヒルデガルドは顔をしかめた。
「ハッハッハッハッハ! いよいよ危うくなってきたか!?」
「……口ばかりだな、お前は。私はまだ、折れてなどいないというのに」
「ふん、なんだ。まだ口を開く余裕があったか?」
圧倒的に不利な状況で、《忌み姫》は微かに笑ってみせる。
それが強がりに過ぎない事は、《彷徨える王》は見抜いていた。
ヒルデガルドには、もう大した余力もない。
とはいえ、王の消耗も決して軽いものではなかった。
《虐殺者》の力により、流れる血の全てを燃やしているのだ。
力尽きて消え去るのはまだ先だが、あまり長引かせたくはなかった。
「愉快な一時であったが、そろそろ幕としようか。姫よ」
果敢に挑み続けるヒルデガルド、その折れぬ心をへし折ろうと。
王は渾身の力を込め、《虐殺者》を振り上げる。
勇敢で無謀な姫は、この一撃にも全霊をぶつけてくる。
《彷徨える王》はここまでの戦いから、そう確信していた。しかし。
「何もかも、お前の思惑通りに運ぶなどと思い上がらぬ事だな!!」
「むっ……!?」
決着となるはずの一撃は、炎に満ちた大気を切り裂くのみ。
予想を外し、ヒルデガルドが大きく退いたからだ。
――今更、逃げの手を打つだと?
無駄な足掻きだと、《彷徨える王》は笑う。
広場はヒルデガルド自身が隔離し、その上で王がばら撒いた炎が燃えているのだ。
逃げられる空間など、もうほとんど無いというのに。
「浅はかよなぁ……! 時を稼げば、我が自滅すると期待したか!?」
ならば、その儚い希望をすぐに打ち砕いてやらねば。
素早く退くヒルデガルドを、《彷徨える王》は蛇のように追い詰める。
逃げる相手を追うことも、王は慣れたものだった。
追って、追って――程なくして、ヒルデガルドは限界に突き当たった。
多くが燃え尽きる中で、一つだけ原型を保つ大きな影。
主を失った魔術師の塔。その壁に、ヒルデガルドは背中をぶつける。
逃げ場を失った獲物の前に立ち、《彷徨える王》はその様を悠然と見下ろした。
「――ふむ、ここまでだな」
「…………」
「ハッハッハ、最早どうにもならぬというのに。
その眼だけは、一向に陰る気配はないか! 見事見事!」
「……もう勝ったつもりか、愚かな王よ」
「つもりではない、我の勝利だ。この状況を逆転する手など、今の姫にはあるまい」
笑う。《彷徨える王》は傲慢に笑う。
最早戦いは終わったと、《虐殺者》を肩に担いで余裕の構えだ。
その様を、ヒルデガルドは真っ直ぐに見ていた。
彼女の瞳はまだ、何も諦めてはいない。
絶望を突きつけても折れぬ姫君に、王は不快そうに表情を歪めた。
「ふん、何を希望と思っているかは知らぬが、姫は最早一人。
不死の男は灰となって焼かれ続け、犬っころ如きは邪魔ですらない。
助けもなく、王たる我の前には無力だ。
――手足の一つや二つ、もいだところで死ぬほどやわではあるまい」
見せつけるように、《彷徨える王》は巨大戦斧を持ち上げる。
掲げられた刃が、炎を受けて不気味に輝く。
ヒルデガルドは動かない。動かず、ただ黙って王を睨みつけていた。
勇ましい表情だが、それも程なく苦痛に歪む。
その瞬間を夢想して、《彷徨える王》は嗜虐の笑みを浮かべる。
「さぁ、良い声で鳴いてくれよ――――!!」
王の哄笑が響き、掲げた《虐殺者》がうなりを上げる。
ヒルデガルドはまだ動かない。斧を構える事もせず、何かを待つように。
姫の反応に、《彷徨える王》は違和感を覚えなかった。
覚えるよりも先に、凄まじい衝撃がその巨体を貫いていた。
「な……っ!?」
「……こういう場合、足元を疎かにし過ぎだって、言うところなんだろうけどな」
この戦いで初めて感じる激痛。
王は反射的に身体を動かそうとしたが、それは不可能だった。
掠れた男の声がする方へ、視線だけを向ける。
先ず目に入ったのは、黒い柱のようなもの。
鋭く尖った先端が《彷徨える王》の肩から、胴体の下までを完全に貫いていた。
そして、燃える血で濡れた柱にしがみついているのは――。
「今回は、頭上注意だな。女の尻に気を取られすぎた、間抜けな王様よ」
「貴様……何故……!?」
「さて、種明かしをしてやる気はないね」
狼狽する《彷徨える王》を、ガイストは鼻で笑い飛ばす。
肉体の損壊が激しすぎる場合、別の肉体で蘇生を果たす事を王は知らなかった。
炭化するほど燃やし尽くされた後、蘇ったガイストは密かに行動していた。
真っ向から、この伝説の怪物を倒すのは不可能に近い。
不意を打った上で、可能ならば一撃で致命傷を与えられる手段。
そこで目についたのが、広場に残された魔術師の塔。
ヒルデガルドの手で半壊された最上層、そこに残った黒い角飾りだった。
「お前がこそこそ塔に向かうのが見えた時、何をするつもりかと思ったがな」
「上手いこと落として当たるか、正直自信なかったけどな。
姫様が良い感じに誘導してくれて、助かったよ」
事前に打ち合わせをしたわけでもなく、全ては行き当たりばったりだ。
男の意図は不明のまま、ヒルデガルドは最適な行動を取り。
そしてガイストは姫の助けを正しく活用し、油断する王に天罰を落とした。
《彷徨える王》の身体が、己の流した血で激しく燃え上がる。
「こ、の程度で……我が、倒れるとでも……!!」
「思わない。だから、これでトドメだ」
終幕の訪れを告げて、ヒルデガルドは大戦斧を構えた。
それに応じようと、《彷徨える王》も《虐殺者》を振り上げるが。
「大人しくしろよ、クソジジイがよ!」
剣を突き刺し、ガイストがその動きを阻む。
彼自身も流血の炎に焼かれているが、《死》を盗まれた不死の身体。
燃える死を繰り返しながら、その手は決して剣を離さない。
既に致命傷を負った《彷徨える王》では、振り払うのも困難だった。
「ハハハハハ……まさか、このような手で、この我が……!
あぁ、次だ、次だ! 此処で朽ち果てたとしても、我が身は永遠!
麗しき《忌み姫》よ! 次こそは、必ず―――!!」
「死ね」
戯言は、王の命脈ごとヒルデガルドの手で断ち切られた。
斧で切断された首は、地に落ちるよりも早く炎に包まれる。
肉体も同様に、内側から吹き上がる炎熱によって大きく爆ぜた。
真っ赤な花が咲いて散るかのように、《彷徨える王》は炎と共に消えていく。
所有する《王器》、《虐殺者》も音も無く塵へと変わる。
《死》からも解き放たれた王は、またいずれ何処かで現れるかもしれない。
だが一先ず、この場での戦いは終わったのだ。
「……生きているか?」
「今、丁度生き返ったところだよ」
《彷徨える王》が消えた後。
爆ぜた炎に焼かれて死んだガイストは、蘇って身を起こした。
毛皮を焦がした狼が傍に来ると、同じく黒く焦げた手でワシャワシャと撫でる。
「そういう姫様こそ、大丈夫か?」
「……見ての通り、折角の服が台無しになってしまった」
普段の黒いドレスではなく、町娘風の装い。
激しい戦いに晒されて、あちこち焼けてボロボロだ。
肌を晒してしまっている部分は、今更ながらそっと手で隠す。
それについて、ガイストは何も言わずに視線をそらした。
《彷徨える王》は消え、燃え盛っていた炎も気付けば火の粉すら残っていない。
後には藍色の空に沈みつつある、焼け落ちた広場だけがあった。
「しんど……!!」
「っと……おい、お前こそ本当に大丈夫なのか?」
地面に倒れ込もうとしたガイストを、ヒルデガルドは咄嗟に受け止めた。
大戦斧は手放し、汚れた甲冑をしっかりと抱いて。
ガイストも反射的に離れようとしたが、上手いこと身体に力が入らない事に気付く。
どうやら、本人が思っている以上に限界だったようだ。
「あー……ちょっと、大丈夫ではない、かも」
「だろうな。どれだけ不死身でも、流石にアレは死にすぎだろう」
「あぁ。幾ら俺でも、あんだけ焼かれまくるのは死ぬほど苦しかったよ」
「笑えんジョークだな」
苦笑いを浮かべ、ヒルデガルドはその場に腰を下ろす。
ほんのすこし迷ったが、抱えたガイストの頭を自分の膝へと乗せる形で。
驚いて見上げる男の目を、白い手のひらがそっと塞いだ。
「私も疲れている。だから、今だけだ。良いな?」
「……ご褒美にしても、コレはちょっと貰いすぎじゃないかな」
「《彷徨える王》を討ち取った働き分、上乗せしたという事にしておけ」
「なら、そういうことで」
どちらからともなく、小さく笑い声をこぼす。
戦いの空気はもう何処にもなく、吹く風は穏やかだ。
影の囲いも解けて、街の喧騒も耳に届くが、今は気に留めない。
《忌み姫》と《不死英雄》は、共に一時の休息に身を委ねた。
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