第18話:王とは何か
風が吹く。自然の風ではない。
触れた生命を奪い、無慈悲に殺戮する鋼の嵐。
「ハッハッハッハッ!!」
その中心に立つのは、恐るべき《彷徨える王》。
《王器》の一つである巨大戦斧、《虐殺者》を軽々と振り回す。
分厚い刃は単純に脅威だが、《王器》の力は物理的な威力だけに留まらない。
「何だこりゃ……!?」
ばら撒かれるのは、見た目は血液に似た赤黒い液体。
刃を躱したガイストの腕に、その一部が付着する。
瞬間、液体は真っ赤な炎を噴き出した。
激しく燃え盛る炎は、あっという間に男の全身を呑み込んだ。
「ガイスト、無事か!?」
「見ての通り焼け死んだよ畜生……!」
ヒルデガルドの呼びかけに、ガイストはすぐに応じた。
甲冑の守りも意味はなく、焼け焦げて絶命するまでほんの数秒。
が、亡霊を名乗る男は不死の呪いを患う身。
焼け爛れた死体から、すぐに元通りに蘇生を果たした。
「ハッハッハッ、いやいや流石は《不死英雄》! 聞きしに勝る不死身っぷりよな!
我も長らく彷徨ったが、矛を交えるのは初めてだぞ!」
「そうかい、珍しいもん見れたなら満足しただろ!」
「当然、まだまだ食い足りんわ!」
薙ぎ払う《虐殺者》の一撃。
赤い液体が派手に撒き散らされる――が、その飛沫を黒い影が受け止めた。
燃える炎も蹴散らし、ヒルデガルドは手にした斧を《彷徨える王》に叩き込む。
黒い刃と、赤黒く燃える刃が正面から激突する。
「小娘が、腕を上げたではないか!」
「貴様は変わらんな、老害……!」
これまで、多くの《英雄》を圧倒してきたヒルデガルド。
人の域を超えた《忌み姫》の膂力。
《彷徨える王》は、それを真っ向から押し返す。
怪物じみた力に、ヒルデガルドは奥歯を噛み締めた。
少しでも気を抜けば潰される……!
必死の形相で抗う姫君を見下ろし、強欲な王は喜悦に顔を歪ませた。
「そそる女になったものだなぁ、姫よ! お前を思う様に蹂躙するのが楽しみだ!」
「下衆が、虫唾が走るわ……!」
叫び、ヒルデガルドは全身全霊を構えた斧に込める。
《彷徨える王》は小揺るぎもせず、逆に押し潰そうと《虐殺者》に力を――。
「ガアァァっ!!」
「むっ……!?」
赤く燃える炎を掻い潜り、灰色の影が地を這う。
死角から襲う狼の牙が、《彷徨える王》の右脚に深く食い込んだ。
王は苦痛に眉を顰める。反応はそれだけだ。
怒りはなく、むしろ憐憫さえ含んだ声で告げた。
「蛮勇が過ぎたな、犬っころ」
「…………!?」
悲鳴を上げる暇もなく、灰色の毛皮が赤く染まる。
牙で裂けた《彷徨える王》の傷口から噴き出した炎によって。
「我が血は《虐殺者》の力により、一滴残らず燃える灼熱の血潮。
炎として焼き、毒としても命を蝕む。
そら、悠長にしていて良いのか? 姫君よ。
戦えば戦うだけ、我が毒血は都を蝕んでいくぞ?」
「貴様……!」
「ハッハッハッハッハ! 良き顔だぁ!」
睨みつけるヒルデガルドに、《彷徨える王》は嘲りを送る。
王の言う通り、炎を上げる血は異様な臭気と共に広がりつつある。
ヤタが住民の避難のために動いてはいるが、果たして間に合うのか。
焦燥に駆られて、互いの斧同士が噛み合う状況からどうにか脱しようとする。
が、《彷徨える王》はそれを許さない。
少しでも力を抜けば、そのまま叩き潰さんと刃を巧みに操る。
「逃がすと思うか? お前はこのまま我と――」
「オラァッ!!」
燃える毒血の炎。それを突き抜けて、ガイストが叫んだ。
狙うのは狼が刻んだ傷口、未だに火を吹く血が流れるそこに剣を突き立てた。
当然、灰色狼と同じくガイストも炎に焼かれる。
熱だけではなく、血に混じる毒は容易く人を死に至らしめる。
《彷徨える王》の足を刃で刺しただけで、ガイストは軽く三度は死んだ。
死んで、その数と同じだけ蘇生を果たす。
「まだまだ……!!」
「ッ――鬱陶しいぞ、不死人が!!」
不快そうに顔を歪め、《彷徨える王》は刺された足でガイストを蹴り飛ばす。
炎と毒に冒された五体が拉げ、地面の上を派手に転がった。
それでまたガイストは死に、そして再び蘇る。
彼の傍には、同じく蘇生を果たした灰色狼の姿もあった。
「大丈夫か、相棒」
「…………」
「メチャクチャしんどいって? 奇遇だな、俺もだよ」
血反吐を垂れ流し、焼けて再生したばかりの身体で立ち上がる。
その間にも、周りで燃える炎と漂う毒気は生を蝕む。
例え死なずとも、受ける苦痛は変わりないはず。
あまりにも平然と蘇りを繰り返す様に、《彷徨える王》は僅かに困惑を滲ませた。
「――気を取られすぎだぞ、《彷徨える王》」
そこに、ヒルデガルドの声が響いた。
意識をガイストに引っ張られた隙に、《忌み姫》は全力を傾ける。
緩んだ《虐殺者》の刃を弾くと、攻めるのではなく後方へと距離を離した。
同時に影を操る。武具を生み出すのではなく、広場全体に拡大する。
出来上がったのは、黒い茨で作られた巨大な鳥籠だった。
手つかずの魔術師塔ごと、炎や毒を外に出さぬよう隔離したのだ。
天まで塞ぐ茨の囲いを見上げて、《彷徨える王》は笑った。
「健気なものよ。己を愛さぬ国と民のため、ここまで力を尽くすか」
「……王でなくとも、私は王の血を引く者。
当然の義務を、果たしているに過ぎない」
「つまらん答えだな。それだけの力を持ちながら、何故不自由に生きる?
国と民に尽くすことが王の使命? 下らぬ下らぬ、そんなものは退屈だ!
王とは強き者、そして強き者は何者にも縛られぬ!
望むままに全てを欲し、求めるままに全てを奪う。
国も民も、不要なら捨てれば良い。
それこそが王者たるべき者の姿だ!」
「そんなものは暴君以下だ。吐き気がする」
「本当にそう思うか? 王に忌まれ、王の座を諦めた姫よ。
お前もまた、我と同じく何もかもを欲する竜の強欲を宿しているはずだ」
日輪の瞳で見透かしたように、《彷徨える王》はヒルデガルドに語る。
「覚えているぞ。かつて戦場で見えた時から、我はずっと覚えている。
己を愛さぬ父のため、国のため民のためと理由を付けてお前は戦っていた。
だが、その胸にはいつだって強欲の火が燃えていたはずだ。我には分かるぞ」
「これ以上、戯言をほざくな……!」
「戯言なものかよ、我はお前の同類、ただ一人の理解者よ!
孤独な姫よ、哀れな王女よ! 認めてしまうがいい、我が姿こそ理想の王だとな!
そうだな、認めるのならこの都も《王器》も、お前の所有としても良い。
望む物を手にして、改めて我が伴侶となるのだ」
「黙れと言っている――!!」
好き勝手のたまう王に、ヒルデガルドは叫んだ。
叫び、大戦斧を振り上げて地を蹴る。
風と見紛う速度で駆けるが、《彷徨える王》の眼はその姿を捉えていた。
迎え撃つため、王もまた《虐殺者》を構える。
死角から迫る二つの影にも、当然気が付いていた。
「そう何度も同じ手を食うか、愚か者がッ!!」
吼える声と共に、炎が吹き荒れる。
《彷徨える王》の口から、竜の如く燃える吐息が吐き出されたのだ。
気配を絶って近付いていたガイストと狼は、その炎をモロに浴びてしまう。
「くそっ、好き勝手燃やしやがって……!!」
「グルルル……!?」
「ハッハッハッハッハ、死なぬだけではなぁ!
姫君も、これでは孤軍奮闘と変わりあるまいよ!!」
「そう思うのなら、そう思っていれば良い! 王ですらない孤独な愚者め!!」
ヒルデガルドの斧が振り下ろされ、王の《虐殺者》がそれを受ける。
毒を含んだ炎の華が咲くが、《忌み姫》は平然と刃を振るう。
《彷徨える王》はその場を動かず、刃と刃を激しく重ね合わせた。
「どれほど強大さを誇ろうが、貴様は王ではない……!!」
「いいや、王だ。我こそが王の中の王!
《死》すら我を囚えるに能わず、森羅万象はこの手の内よ!
これほどの力を持つ者が、王でなくて何だというのか!」
「ただの欲深いだけのジジイだろうがよ!!」
炎は消えず、死にながら焼かれ続ける状態で。
それでもガイストは蘇る。死で終わるはずの苦痛を、無限に味わいながら。
横合いから割り込む剣は、再び足の傷を狙う。
牙で裂かれ、剣で貫かれた傷跡を更に深く抉り裂く。
炎が噴き出そうが、既に燃え続けているガイストには関係がなかった。
灰色狼も、毛皮に炎を纏った状態で、構わず足元に牙と爪を食い込ませる。
「俺ほど不死身じゃないんだ、あんまり無理するな……!」
「…………!!」
「こっちの台詞だってか? 俺は大丈夫だから良いんだよ!
くっそ熱いはゲロ吐きそうだわ、何度死んだと思ってんだクソジジイがっ!!」
「ッ――ええい、邪魔をするな!
貴様らなど、ワシに奪われるだけの宝の分際で……!」
振り払おうと試みるが、それはヒルデガルドが許さない。
燃え続ける亡霊と狼に纏わりつかれる王に、姫君の斧が容赦なく襲いかかる。
「どうした、《彷徨える王》。強さこそが王の証明なのだろう?
見下した相手に、随分と煩わされているじゃないか……!」
「何だ、この程度でもう勝ったつもりかよ小娘!」
「勝ったつもり? 違うな、勝つのだよ。
私は――いや、私たちは、お前に勝つ!!」
咆哮。ヒルデガルドの振るう斧が、《虐殺者》の刃を弾く。
気が逸れた瞬間ではなく、真っ向からの激突。
先ほどまでは完全に力負けしたというのに。王は驚愕に目を見開いた。
返す刃で、黒い大戦斧が《彷徨える王》の首元を狙う。
王は回避を試みるが。
「そら、大人しく死んでくれよ!!」
執拗に足元を狙う亡霊たちに、その動きを阻まれた。
刃が迫る。まともに直撃すれば、骨ごと首を断たれてもおかしくはない。
久方ぶりに感じる、戦いの中での《死》の脅威。
だが、《彷徨える王》に恐れはない。
ガイストのような《不死英雄》ではないが、王もまた《死》に囚われぬ身。
恐怖に勝る戦の高揚が、王の心臓を燃え上がらせた。
「良いぞ貴様ら! 奪われるだけの宝でなく、踏み躙るに値する強敵だ――!!」
「ッ――――!?」
声に伴う圧力は、爆発する炎にも等しかった。
大戦斧に手応えを感じた直後に、ヒルデガルドはその圧に負けて吹き飛ばされる。
ガイストと灰色狼の方も、同じように燃える地面を転がった。
「ハッハッハッハッハッハ……!!
こうなっては、何もかも焼き尽くすまで止まらんぞ!!」
響く哄笑。更に勢いを増した炎の中で、《彷徨える王》は佇む。
《虐殺者》は完全な火の塊と化し、王自身も身体から灼熱の血を溢れさせていた。
まさに災害の化身。語る言葉通り、全てを焼き尽くすまで止まりはしないだろう。
さっきまでとは比較にならない戦慄に、ヒルデガルドは身を震わせる。
恐怖はある。畏怖はある。
だが、それに心折れて、膝を屈するような事だけはなかった。
「まだやれるかい、姫様。俺たちは元気いっぱいだ」
「誰に物を言ってるんだ、お前は」
焼け焦げた身体を引きずって、ガイストはヒルデガルドの傍らに立つ。
灰色狼も、苦しげな息を吐いているが健在だ。
一人ならば、とっくの昔に諦めていた。戦う事すら出来なかったかもしれない。
だが、今の《忌み姫》は一人ではなかった。
孤独を味わうばかりの戦場は、もう過去のものだ。
「私は勝つと、そう言ったぞ」
「あぁ、俺たちで勝つ。確かに聞いてた」
「良い。ならば、後はやるべき事をやるだけだ」
笑う。ヒルデガルドも、ガイストも笑っていた。
きっと狼も、笑ったに違いない。
「宴もたけなわという奴だなぁ!! さぁ来い、王に挑む愚か者どもよ!!」
地獄の炎となった王が吼える。
言葉は返さず、ヒルデガルドたちは走り出した。
決着をつけるために。
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