第8話:約束


「ウオオオォォォォォォォォォッ!!」


 雄叫びを上げ、先陣を切ったのはメグロスだった。

 愛用の大太刀を振り上げ、真っ直ぐにヒルデガルドへと挑む。

 大上段から最短距離を切り裂く一撃は、積み重ねてきた鍛錬を感じさせる。

 火吹き竜の異名は伊達ではなく、決して剛力自慢だけの男ではない。

 配下の兵らも、主の必殺の一刀が多くの敵を討ち倒したのをその目で見ていた。

 故に、その刃が同じ結果を導き出すと信じていた。



 が、ヒルデガルドはそれをあっさりと受け止めた。

 大太刀と大戦斧。二つの重量武器が、正面からガッチリと噛み合う。

 柄を両手で握って押し込むメグロスに対し、ヒルデガルドは片手で耐えていた。

 あり得ざる光景に、火吹き竜と呼ばれた男は目を見開く。


「どうした、大言壮語を吐いておいてこの程度か?」

「っ……まだまだ!!」


 嘲る《忌み姫》に、メグロスは激情を露わに叫んだ。

 退かず、立て続けに鋭い斬撃を重ねる。

 一刀一刀が必殺、幾つもの戦場で敵の屍を山と築いたメグロスの剛剣。

 その全てを、ヒルデガルドは涼しい顔で受け流す。

 メグロスの大太刀よりも、更に巨大な大戦斧。

 それを巧みに操り、次々と繰り出される剣を容易く打ち落とす。


「馬鹿な……!」

「何だよアレ、どうなってんだ!!」

「嘘だろ、メグロス様が……!?」


 武器を構えた兵士たちは、目の前の現実に動揺を隠しきれない。

 最強と信仰し、それが真実であると証明し続けてきた《英雄》メグロス。

 それが今、遥かに小柄な女一人に手玉に取られてしまっている。

 この場の誰にとっても、悪夢じみた光景だった。


「ッ……あり得ん、《忌み姫》がまさか、これほどの……!」

「……本当にこの程度のようだな。くだらん」


 渾身の力と共に振り下ろされる一刀。

 ヒルデガルドはそれを大戦斧で受けると、そのまま強引に弾き飛ばした。

 ゴミでも払うかのような、酷く乱雑な動作で。

 あっさりと押し負けたメグロスは、無様に床に転がされる。

 巨体が派手に地に伏すと、それを追って幾つもの黒い影が宙を走った。


「ぐがッ……!?」


 濁った悲鳴と、撒き散らされる血の飛沫。

 メグロスの身体を、何本かの黒い剣や槍が突き刺さっていた。

 足元の影から、ヒルデガルドは更に追加の武具を何本も引き抜く。

 射抜かれたメグロスを、冷たく燃える瞳が見下ろしていた。


「メグロス様!?」

「いかん、あの女を止めろ!!」

「陛下、今お助け致します!」


 主君の危機を目の当たりにし、兵士たちも死線へと踏み出す。

 数にして二十人の歴戦の強者たち。彼らは誰一人、逃げる素振りさえ見せない。

 轡を並べた主を助けるため、恐るべき怪物に躊躇なく挑んでいく。

 故にヒルデガルドは、浮かべた刃の標的を変更した。

 メグロスから、向かってくる兵士たちへと。


「ぎっ!?」

「ぐぁ……っ!!」

「怯むな、進め――ッ!?」


 先ず、先頭付近にいた三名が命を落とした。

 胸や頭を剣で貫かれ、苦痛を感じる暇もなく絶命する。

 転がった仲間の死体を、兵士たちは躊躇うことなく踏み越える。

 足を取られることも、恐れで竦むこともない。

 兵士たちの目にあるのは、恐怖を焼き捨てる戦意の炎だった。

 彼らの士気の高さに、ヒルデガルドも驚嘆していた。


「見事な兵たちだ――故に惜しい」


 強く素晴らしいが、彼らは簒奪者だ。

 武器を持って挑んでくる以上、ヒルデガルドも手を抜かない。

 突き出す槍を大戦斧で切り払い、続く兵士たちの剣も同じように弾く。

 後方で弓を構えた兵は、矢が放たれる前に影の武具を高速で放って射殺した。

 この攻防で、更に五人の兵が命を落とした。


「図に乗るなよ、《忌み姫》……!!」


 兵士たちの勇戦を、メグロスも黙って見てはいない。

 手足を剣や槍に貫かせたまま、大太刀を携えた巨体が再び最前線に躍り出る。

 鋭く放たれた刃の先端を、ヒルデガルドは紙一重で回避した。

 彼女の周りには何人もの兵士が張り付いていたが、彼らの隙間を縫うような一撃。

 恐らく、こういう状況でも彼らは戦い慣れているのだ。

 それもまた見事な腕前だが、ヒルデガルドは手心を加えない。


「メグロス様! どうか我らには構わず……っ!!」

「王におなり下さい! 貴方様なら、必ずや――!!」

「……見上げた忠義だ。だからこそ、本当に惜しいな」


 メグロスの剣を弾きながら、攻めの手は彼にではなく兵士たちへと向ける。

 果敢に挑む兵が一人また一人と、《忌み姫》の操る影の刃によって討たれていく。

 その様を見て、メグロスは強く奥歯を噛み締めた。


「くそっ……! もう良い、退け! お前たち、これ以上は……!」

「私は言ったはずだぞ、メグロス。全員、残らず屍になれと」


 今更遅いと、ヒルデガルドは冷たく囁く。

 機会は与えた。慈悲は見せなかったが、逃げる兵までは追わないと。

 だが彼らは主君の忠義を選んだ。既に選択はなされたのだ。

 四方から打ち込まれる剣に槍、飛んでくる矢。

 その全てを躱し、叩き落としながら、ヒルデガルドは血風と共に舞い踊る。

 兵士たちの数は瞬く間に減っていった。そして。


「ッ……火吹き竜の紋に、栄光、あれ……!」


 最後の兵が、自らの血に身を沈めた。

 死を覚悟したその兵は、最後の最後で命を懸けた一刀を繰り出していた。

 ほんの僅かだが、その先端はヒルデガルドに届いていた。

 微かに刻まれた頬の傷から、赤い血が流れる。

 ヒルデガルドはそれを拭わず、兵が倒れる様を見届けた。


「見事だ、勇者よ。名は知らぬが、その戦いぶりは私の魂に刻もう」


 敬意を込めた餞の言葉。

 最後の兵だけでなく、挑んで散った全ての兵士たちへと送る。

 そうしてから、ヒルデガルドは残った一人に目を向けた。


「さて、後はお前だけだな。メグロス?」

「…………」


 挑発めいた言葉に、メグロスは無言。

 激しい怒りと敵意をその眼に燃やしながらも、彼は努めて冷静だった。

 身体を幾つもの武器に貫かれ、流れる血の量も《死》に近い。

 ほどなく戦闘不能となり、そうなれば後は絶命するのみ。

 そんな状況でも、メグロスは静かに剣を構えていた。


「てっきり、途中で逃げ出すかと思っていたが」

「戦士たる者、逃げ傷に勝る恥はない。それは《死》より重いものだ。

 あまり侮ってくれるなよ、《忌み姫》」

「そうだな。私はお前たちを侮っていたよ。それは認めよう」


 少しずつ、両者の間合いが狭まる。

 既に互いの武器であれば、十分に届く距離だ。

 ヒルデガルドも、メグロスも。

 言葉にはしないまま、次の一刀で決着をつける事を誓っていた。

 防御も回避も間に合わない、真に必殺の間合い。

 そこにたどり着くまで、あと少し。


「……そちらも、口ほどに余裕はないはずだ。

 オレの兵たちは優秀だ。ここまで共に戦地を駆けてきたのだ、間違いはない。

 最後の剣を受け損なったのは、消耗していたが故に反応が遅れたのだろう?」

「だとしたら?」

「まだ、オレにも勝機はあるという事だ」


 笑う。追い詰められ、窮地に至ったからこそメグロスは笑った。

 大太刀を普段以上に小さく構えて、最速最短の剣撃を脳裏に思い描く。

 ヒルデガルドは強い。自分よりも遥かに。

 メグロスはその事実を認めた上で、如何に勝利するべきかを思考する。

 先に受けた傷から、ヒルデガルドの肉体はそこまで頑強でないのは分かっていた。

 一刀さえ届けば、そのまま打ち倒す事は可能なはず。

 そのために、メグロスは慎重に距離を計る。

 防がれたら死ぬ、避けられても死ぬ。

 絶命必死の局面において、か細い勝機を手繰り寄せる渾身の一刀。

 ――できる。可能だ、オレならば必ず。

 野心を抱く諸国が、ただ痛手を受けたくないと理由で暗黙に了解した薄紙の平和。

 《凍てついた火》などと呼ばれる時代だが、戦そのものは珍しくもない。

 仮初の平和をその火で溶かし、大陸に覇を唱えんという志こそ火吹き竜の紋章だ。

 己が頂く紋に恥じぬ戦いを、メグロスは改めて誓う。

 そう、あと少し。あと少しで、この手は《緋の玉座》に――。


「死ね」


 無慈悲に告げられた死刑執行の合図。

 目の前のヒルデガルドに集中し切っていたメグロスは、反応すらできなかった。

 足元に踏んでいた彼女の影。

 そこから伸びた大刀が、火吹き竜の心臓を貫いていた。

 血が溢れ出し、鎧と大地を濡らす。

 火吹き竜の炎は、何も燃やすこと無く呆気なく鎮火したのだ。

 完全に《死》に落ちたことを確認してから、ヒルデガルドは細く息を吐いた。


「葬送を。数が多いゆえ、手早く済ませろ」


 姫君の声に応えて、眷属たる鴉は素早く翼を広げた。

 命じられた通り、黒い羽根はまたたく間にその場を覆い尽くしていく。

 最早誰一人、生き残っている者はいない。

 ヒルデガルドは改めて周囲を見渡し、それを確かめた。

 …………誰一人?


「ふぅ……死ぬかと思った。いや、普通に死んだんだけど」

「……貴様」


 鴉の翼に覆われた床から、ムクリと起き上がってくる男。

 いつの間にか戒めを解かれたガイストは、億劫そうにその場で立ち上がった。

 彼の傍には、半ばで千切れた鎖を引き摺る灰色狼の姿もあった。


「…………」

「あ、『何をしてるんだお前』って感じの目かな?

 いや、戦いが始まったは良いけど手足があんなだっただろ?

 このままじゃヤバいと思って、どうにか鎖を解こうとしたんだよ。

 けど自力じゃ無理で、どうしたもんかと思ってたら姫様の武器が飛んできてさ。

 『あ、これを上手いこと鎖に当てれば千切れるのでは?』って思い付いたんだよ」

「それで?」

「チャレンジしたら、鎖ごと串刺しにされて死んでました」

「…………」


 酷く哀れなものを見る目で、灰色狼はガイストを見上げる。

 ヒルデガルドもまったく同じ視線を、何故か恥じらう馬鹿男に向けた。


「むっちゃ視線が痛い」

「そうか。では死ね」

「待って、姫様ちょっと俺の話を聞いて」

「愚か者の戯言など聞きたくもないと、私はそう言ったはずだが」

「いやホントに、ちょっとだけで良いんでお願いします」

「…………」


 土下座する勢いで懇願されて、《忌み姫》は少しだけ迷いを見せた。

 一体この状況で、この男は何を言うつもりなのか。

 それが全く気にならないかと言えば、嘘になる。

 仕方ないとばかりに、ヒルデガルドは大きく嘆息した。


「言ってみろ。どの道殺すのなら、末期の言葉ぐらいは聞いてやる」

「姫様ってやっぱり意外と優しいですよね」

「殺す」

「ちょっとだけ待って……!」

「いいから、早く本題を言え」


 未だに、怒りの炎はヒルデガルドの胸の中で燻っている。

 腹立たしい。苛立ちで気分が悪くなる。

 そんな不快さを味わう中、ガイストは何を思ったか、いきなり深く頭を下げた。

 戸惑うヒルデガルドに向けて、男はハッキリと言った。


「悪かった」

「……何?」

「昨日、いつも通りに行くつもりだったんだけどな。

 コイツらに絡まれて捕まっちまったせいで、どうにもならなかった」

「…………」

「姫様は二度と来るなとは言ってたが、行くと口にしたのは俺の方だからな。

 嘘をついた形になって、ホントに申し訳ない」

「…………別に、そのような事」

「いや、一応な。単なる嘘つきのままじゃ、俺も気分がスッキリしないし」


 どうでも良いと、ヒルデガルドは口にしかけて。

 ふと、気が付いた。怒りと、それに伴う不快な感情が薄くなっている事に。

 ……この男は、虚偽を語ったわけでも、あの者らと手を組んだわけでもなかった。

 口からでまかせを言ったとは、微塵も考えなかった。

 こんな愚かで間抜けな奴が、口先で騙すなんて賢しらな真似をするものか。

 ヒルデガルドは、自分が根拠もなくそう確信している事に、まだ気付いていない。


「……もう良い」

「はい。じゃあ、そろそろ……」

「今日は帰れ」

「もっぺん死ぬ覚悟は――って、はい?」

「二度言わせるな。今日は帰れ、私も流石に疲れている」


 完全にやる気を無くした《忌み姫》は、ガイストに軽く手を振って追い払う。

 ここからさらなる残虐ショーが始まる覚悟をしてた男は、逆に困惑してしまった。


「あの、姫様? 俺を殺すんじゃないんで?」

「不死身の男が口にするには、なかなか面白いジョークだな。

 ……それと、二度言わせるなと言ったはずだが?」

「あっはい、失礼しました」


 ギロリと睨まれ、ガイストは思わず頭を下げた。

 どうやら、今日のところは退散するしかないようだ。

 呆れ気味な灰色狼の視線を感じながら、不死の男は踵を返す。

 ヒルデガルドは、その背を黙って見送るつもりだったが。


「……明日は来るのか?」


 つい、そんな事を聞いてしまっていた。

 ガイストは立ち止まり、一度だけ振り向く。

 それから迷うこと無く。


「あぁ、明日はちゃんと挑ませて貰うわ」


 偽りのない言葉で、そう応えた。

 ヒルデガルドは静かに笑う。


「そうか。では今度こそ、必ず殺してやる」

「おっかないなぁ姫様は。じゃあ、また明日」


 立ち去るガイストを、ヒルデガルドは見送る。

 気分は、思ったよりも晴れやかだった。

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