第9話:奸臣たちの密かな語らい
今朝方届いた報せを受け、バルド王国の宰相ゼフォンは重い息を吐き出した。
綺麗に剃った禿頭と、長く蓄えた白い顎ひげ。
老齢を感じさせぬ立派な体格だが、纏う気配は若干弱々しい。
自領内の屋敷、その執務室にて。
周囲に人の気配がない事を確認してから、ゼフォンはもう一度ため息をこぼした。
「……メグロスの小僧でも駄目だったか」
呟く。口にしたのは、ヒルデガルドに挑んだ男の名だ。
元は北方辺境の鎮護を担っていた《英雄》であり、野心と実力の双方を兼ね備えていた。
北における蛮族の動きも減じた事から、王となるべく名乗りを上げた。
ゼフォンと、大法官クロウェルの両名もこれを認め、王都に送り出したのだが……。
「いよいよ手詰まりになって来たな」
こうして有能な人材を送り込み、無為に散らせたのは何度目か。
バルド王国広しと言えど、《英雄》と呼べる者が無尽蔵にいるわけでもない。
他国から噂を聞きつけてやって来た強者も、その大半は同じ末路だ。
かつては緋色の栄光で輝いていた王城は、今や挑む者を帰さぬ死の迷宮と同義だ。
その事実も不名誉だが、切実な問題は他にもあった。
「この状況が続けば、周辺諸国がどのような動きに出るか……」
今の時代を、詩人たちは《凍てついた火》などと歌い上げている。
地にばら撒かれた《王器》を、人々が激しく奪い合った火の如き戦乱。
力を得た大国が並び立つと、彼らの睨み合いによって大きな戦は少なくなった。
故に火は凍てついたのだと言うが、凍てつこうと火は火だ。
大国同士の衝突が少なくなったとはいえ、戦自体が無になったわけではない。
小競り合いなど日常茶飯事であるし、国と国との争い自体は珍しくもないのだ。
ましてバルド王国は、《王器》を担うべき王すら不在なのが現状。
王城も気狂いの《忌み姫》に占拠され、宰相含めた重鎮は全て追い出された。
果たして、諸国はこれを見てどう思うか?
幸い、大っぴらに侵略の手を伸ばすような動きはまだ確認できていないが。
「とはいえ、それも時間の問題か」
魂でも吐き出しそうなぐらいに、ゼフォンはまた重く息を漏らした。
ヒルデガルド。全てはあの《忌み姫》のせいだ。
この国の誰より美しく、同時に悍ましさが際立つ姿を禿頭の宰相は思い浮かべる。
「小娘め、それほどまでにこの国が呪わしいのか?」
彼女が凶行に及んだ理由。
民草の多くは理解しがたいだろうが、ゼフォンには幾らでも心当たりがあった。
母の命を奪って産まれた忌み子の娘。
父たる覇王ガイゼリックは、彼女を我が子として愛する事はなかった。
そう、愛はなかった。だが、ヒルデガルドが生まれ持った力に関しては別だった。
並の《英雄》など歯牙にもかけない、圧倒的な異能。
影に己の血を混ぜる事で、無数の武具を創造する特別な能力。
その上で、ヒルデガルド自身も戦士の才覚にあふれていた。
ガイゼリックは娘を愛さなかった。ただ、有用な『武器』として活用した。
これはゼフォンを含め、一部の重鎮たちしか知らぬ事実だ。
覇王の名が大陸に轟く過程で、ガイゼリックが成し遂げた数々の武功。
その内の数割は、ヒルデガルドの手によって成し遂げられたものだった。
「愛されず、名を表に出す事も許されず。
平時は城の奥に設けられた一室から、出る事さえ許されなかったのだ。
恨みに思うのは当然か」
ゼフォンもまた、ガイゼリックの行いに加担した人間の一人だ。
バルド王国の発展と未来を考えるなら、それは当然の選択だった。
悔いはないし、罪に思った事もない。
狭い世界しか知らぬ娘は、不平不満も漏らさず従順そのものだった。
だからこそ、ヒルデガルドの愚行は誰にとっても手痛い誤算となった。
「……む?」
視界の端で、青い光が瞬いた。
執務用の広い机の上、その端に置かれた小さな水晶球。
特別な呪いが施され表面が、青白い光を放っていた。
宰相は億劫そうに手を伸ばすと、水晶に指を触れさせる。
すると光は収まり、変わりに何かの影をゼフォンの正面辺りの空間に映し出した。
『ご機嫌よう、友よ。特に変わりはないかね?』
「機嫌なら最悪だな。お前も報せは受けただろう」
『あぁ、メグロスについては残念だったよ。彼ならばと、そう期待していたのだが』
わざとらしく嘆くのは、青い法衣を纏った仮面の男。
この国ではゼフォンと並ぶ権威を持つ人物、大法官クロウェルだ。
顔はおろか、肌すら見せぬその不気味な姿に、ゼフォンは僅かに警戒を強める。
「それで、何の用だ?」
『勿論、今後についてだよ。私も君も、メグロスには大いに期待を寄せていた。
彼が無事にヒルデガルドを組み敷いていれば、我々の未来は明るかった』
「だが、そうはならなかった。火吹き竜の紋も、結局は本物の竜には届かなかった」
『まったく残念でならないよ。迷宮の奥で宝を守る竜は、未だに健在だ』
「世間話をしたいだけなら、もう切らせて貰うぞ? これでも私は忙しいんだ」
不快さを隠そうともせず、ゼフォンは再び水晶に手を伸ばす。
投影されたクロウェルの方は、変わらぬ調子で言葉を続けた。
『まぁ待ちたまえ、友よ。確かに我らは不倶戴天の敵同士。
かつては血が流れるほどの暗闘を繰り返した仲だが、今は違うだろう?』
「何が違う。お前は国家を食い物にする虫で、今もその認識は変わらん。
自らが私腹を肥やせるのなら、国を売る事さえ躊躇いもない奸雄ではないか」
『そういう君は、自分の地位を守るのが一番大事な老害だろう?
国家の繁栄が第一と嘯くが、それは君自身の現状を守ることの言い換えだ。
王たるを志さないのは、自分の器が分かってるからだ』
両者の間で、軽い火花が散った。
無論それは錯覚だが、宰相と大法官は互いに殺意に近い感情を向ける。
決して相容れぬ敵だからこそ、相手の事は誰よりも理解している間柄だ。
「……止そう、今は不毛極まりない」
『あぁ全く、私も君も《忌み姫》の前では等しく虫さ。
虫けら同士が争っても、竜にとってはどうでも良い話だ』
故にこそ、彼らは矛を収めて妥協すべき時だと分かっていた。
ゼフォンにしろ、クロウェルにしろ、今のままでは不都合しかないのだ。
「……竜雷の勇者ローランディア、その前は南方から流れてきた巌の豪傑ドムリ。
影踏まずのエルロイ、双子剣パーシィとディア、流浪の騎士カルツェド」
『石喰いのレマ、鉄拳司祭ドボルザーク、磔の茨のフェルナンデス。
塵も残さぬラーカスに、裁きの天秤アストレア。国内の人材が払底してしまうね』
「お互い、よくもまぁ殺されたものだな」
『いやまったく。そちらに、まだ使えそうな手駒は?』
「それは先ず、聞いた方が答えるべきではないかね」
『あるにはあるが、これ以上遣い潰すのは気が進まない、と言ったところで。
そちらも同じじゃないかな? 宰相殿』
「癪な話だがな。……メグロスが失敗したのは、本当に痛手だった」
あの男の立場は中立に近く、だからこそ宰相や大法官にとっても都合が良かった。
無事に《王器》を得た後なら、幾らでも取り込む手段も用意できたからだ。
……ヒルデガルドの時も、彼らは同じように考えていたわけだが。
己の行いに瑕疵があったなどとは、彼らは少しも考えない。
「ヒルデガルドを、どうにか懐柔する手は無いか」
『既に何度も試した後じゃないか。姫君はその全てを打ち払った』
「アレは愚かな小娘だが、何も分からん馬鹿者ではない。
今の状態が不健全である事ぐらい、頭では理解しているはずだ」
『王女殿下が、愛しき祖国もろとも心中しようと考えている場合は?』
「仮にそうだとすれば、回りくどい手段を取る必要などない。
《王器》の力を十全に振るい、民も国土も全て薙ぎ払えばそれで終わりだ」
彼女にそうする理由はなく、そうしないだけの理性がある。
それは現状が何よりの証拠だった。
宰相ゼフォンはヒルデガルドを侮り、物も道理も分からぬ小娘だと見下している。
が、その上で戦働きを含めて、高い能力を持つこと自体は正しく評価していた。
「《王器》を握る王なくば、この時代に国家は立ち行かぬ。
国家の運営は政の範疇だが、王たる力がなくばその枠組みを維持できん」
『分かった上で、彼女は今に至っているんだろう。
自明に過ぎる道理を語るなど、既に我々が行った事の一つじゃないか』
「……危機感を与えるしかあるまいな」
『危機感?』
呟く言葉は、これまでで一番重い響きを伴っていた。
「ヒルデガルドは強い。多くの《英雄》を送り込んだが、全て返り討ちにされた。
あるいは、《王器》の加護を得ていた覇王ガイゼリックより強いかもしれん」
『……陛下の功績の内、幾らかは娘のヒルデガルドが挙げたものだ。
それでも、ガイゼリック様の覇王の異名は決して伊達じゃあない。
そう認めた上で、君の言葉が正しいのだから、全く恐ろしい話だよ』
「覇王さえ上回る武勇。それが故に、あの小娘は慢心しているのだ。
例え如何なる危難が起ころうと、自分ならどうとでもできると」
事実は異なるが、ゼフォンたちの眼から見ればそれが真実だった。
玉座の前に君臨する、驕れる竜の如き暴君。
古き神話に語られる、天に燃える火の心臓を最初に欲した強欲な竜王そのものだ。
『で、具体的な方法は?
あの姫殿下に勝る力など、伝説の《彷徨える王》ぐらいしか思いつきませんが』
「…………」
『? ゼフォン宰相閣下?』
「……極めて不愉快で、腹立たしいことこの上ないが。
こればかりは、私よりもお前の方が向いた話だ」
『……と、申しますと?』
「知らぬ振りはいい。お前自身も、私と同じ事を考えているはずだ」
僅かな沈黙が、帳のように両者の間に下りた。
沈黙は、果たしてどれだけ続いただろう。
『……私としてもリスキーなので、できれば最後の最後に取っておきたかった。
手は進めつつ、如何にして君から手札を吐き出させるか。
そのつもりでアレコレと考えてたんだけどねぇ』
「無論、私もこんな手を使いたくはない。不利益が大きすぎる。
だがもう、そのような事を言っている場合でもあるまい」
『まぁ、君の言う通り。このままじゃあ最悪共倒れだからねぇ』
笑う。大法官クロウェルは、仮面の下で喉を鳴らした。
逆に宰相ゼフォンは、極めて不愉快そうに顔面のシワを深くしていた。
――不本意だ、不本意極まりない。
声には出さずに、老いた宰相は胸中で同じ単語を繰り返す。
不本意だが、打てる手を選り好みしているような余裕もないのは事実。
故に、決断を迷う必要はなかった。
「お前のやりたいようにやれば良い、大法官クロウェル。
支援が必要ならば、私も手を惜しまん」
『宰相閣下のお墨付きが頂ければ、話はすぐにでも纏まるだろう。
いや、流石にこの展開は私も予想していなかったよ』
「戯言をほざけ。予想はせずとも、想定はしていたという態度だぞ」
『謀というのは、あらゆる可能性を考えておくべきだ。
例えそれが、どれほど細い糸のようなものであってもね。
……まぁ、お姫様の行動を読めなかった私が言う事じゃあないか』
「笑えん皮肉だな」
言葉通りに、ゼフォンもクロウェルも笑うことはなかった。
再び、沈黙の帳が薄く二人の間を隔てる。
先に口を開いたのは、宰相ゼフォンの方だった。
「……気が重いな」
『そうかい? 私はとても晴れやかな気分だよ』
「お前の言う通り、私は私の地位と名誉を第一に重んじている。
だがそれは、国家の繁栄と安定があってこそのもの。
故に、この国に忠誠を誓っていること自体は偽りではないのだ」
『ええ、ご立派な志ではないかと』
「だからこそ、気が重いのだ。お前のような売国奴と違ってな」
『君も一度味わえば病みつきになるかもしれないよ?
いや、私も流石に初めてだけどねぇ』
まるで舞台で戯ける道化の如く、クロウェルは大げさに腕を広げる。
仮面の奥の表情は、宰相ゼフォンでも見抜く事は難しい。
『こんなにも大っぴらに、「国を売る」というのはねぇ。
うーん、売国奴! 良いじゃないか、大変素晴らしい響きだ!
これほど旨味があって気持ちの良い商売は、他にないと私が保証するよ?』
大法官クロウェルは、心底楽しげにそう語ってみせた。
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