第14話 天国か地獄か

 



 あぁ、なんだか頭が痛い。


 せっかく気持ち良く寝ていたのに、それを邪魔する頭の痛み。1度気付いたら気になってしまって、もう寝ている場合じゃなくなる。それにゴツゴツした物がこめかみ辺りに当たってるし、なんかわき腹も少し痛くなってきた。


 そんな感覚に少しイライラしながらゆっくりと目を開けると、周りが少し暗いとしか霞んだ目では分からなかった。

 段々と目が覚めてくると、頭とわき腹だけじゃなくて左肩にも少し痛みを感じる。どうも地面かどっかに横になって寝ちゃっているみたいだった。


 なんでこんな所に寝てるの? 体痛いし……

 私は……私……は……確かタクシーに乗って奥豊湖へ来て……


 それを思い出した時、意識が一瞬ではっきりとする。そして勢いよく体を起こすと、目の前を見つめていた。自分が何をしたのかどうしたのか少しずつ思い出していく内に、それに合わせるように目が見開いていく。


 奥の方へ歩いていって、それから砂浜みたいな所に降りてって……

 みんなに呼ばれるように湖の中に入って……そして……そして……

 死んだ……?


 その瞬間、私は慌てて立ち上がると辺りを見渡していた。


 パパは? ママは? 真言は? おばあちゃんは? みんなは……?


 必死にみんなの姿を探したけれど、辺りは岩しか見当たらない。少し薄暗い空間が広がっていて、そこは洞窟という言葉がいうのがぴたりと当てはまっていた。真ん中辺りに、出っ張った岩があったり、横らへんには外へ繋がっていそうな出口っぽいものが見えたけど、そんなのはどうでもいい。


 目が覚めたら綺麗な花畑の中にいて、みんなが笑いながら私を起こしてくれる。そして手を引いてくれて、みんなで一緒に……

 そんな自分の想像していた場所とかけ離れた、薄暗い岩だらけの空間。ここは間違いなく天国じゃないことだけは確かだった。誰もいないし、気配すら感じない光景を目の当たりにして、わたしは戸惑いと絶望が入り混じって張り裂けそうだった。


「何で誰も居ないの……。誰か返事してよ! 返事してよ!」


 それを必死に否定しようと何度も叫んだけれど、誰も答えないし、誰も現れない。その後に訪れる無音の時間が、余計に自分を押し潰す。


 みんなに会いたくてしたのに。みんなが呼んでるから嬉しくて……

 迷うことなくしたのに……こんな訳の分からないところで、結局一人ぼっちだよ……


 悲しい、寂しい、泣きたい。そんな感情がぐるぐる回っている。だけど、涙の一粒も出てこない。

 みんなに会えずに、ただ自分で命を断った私はこれからどうなるのか。その不安と恐怖がびっちりと頭の中に張り付いていた。


「どうなるのかな……私」


 無意識に口からこぼしながら、うなだれていると、


「うわぁ~!」


 洞窟にうっすら聞こえた、男の人の声。いきなり聞こえたその声に、一瞬ビクッとなる。


 男の人の声? でも、なんか叫んでいるような……

 一瞬他に人が居ることに少し安心したけれど、何かから逃げるようなその声には不安しか感じない。けど、それでも誰かがいるなら会いたかったし、ここがどこなのか知りたかった。改めて、辺りをじっくり見渡してみたけど、他に入り口と思える場所は見当たらない。


 だったら、あそこしかないよね。

 横の方にあった入り口のような所。そこをじっと見つめながら、右側にある壁伝いにゆっくりと向かっていく。段々と鮮明に見えてくるあっち側の様子は、ここからだと少ししか見えない。ただ薄暗いってことと入り口っぽい所に松明の様なものが掛けられていて、周りを照らしているのは分かった。それが段々と近付くにつれて、心臓の鼓動が早くなってくる。


 照らされた向こう側に何があるのか、不安と期待が入り混じっている。それにさっき聞こえた男の人の声が、あれから全然聞こえてこないのも気がかりだった。松明の燃えているパチッパチッという音だけが私の耳に入り込む。


 その音がより一層大きく聞こえた時、目の前にはその入り口が待ち構えていた。思い切って真正面から外の様子を見るなんて、怖くてできなくて一旦足が止まってしまう。


 怖い……

 でもそれを見ないとなんにもできないし、なにも始まらない。気持ちを落ち着かせ、大きく息を吐くと入り口近くの岩の壁に左手をかける。そして外の様子をゆっくりと覗き込もうとしたその時だった、


「やっ、やめろ!」


 さっきと同じ男の人の声。その声はさっきよりも大きくて明らかに何かに怯えているようだった。


 誰かいる……だけど、何かに追われている?

 その声に、一気に心臓の鼓動が早くなる。両手は小刻みに震えているし、不安しか感じなかった。それでも、無理やり全身に力を入れると意を決して外の方を覗き込んだ。


 すぐ外には、火の点いた2本の松明が地面に刺さっていて辺りを照らしている。その先の方は少し薄暗くて、はっきりとは見えなかったけれど、さらに奥の方には点々とぼやけた光のような物が何個も見えた。

 そのぼやけた光を目を凝らしてじっと見たけれどその正体ははっきりしない。そうしている内に、その光が下の方からゆっくりと暗闇に消えていった。


 あれ? なんで?

 そんな私の疑問なんてお構いなしに、1つまた1つとぼやけた光は消えていって、その理由を考える間もない内に、聞こえてきたのは誰かの息遣いと足音。そして誰かの影が上下に動いていることに気が付くのにそんなに時間はかからなかった。

 それは段々大きく。段々早く聞こえてくる。そしてそれは松明の光に照らされていて……その正体が少しずつ浮かび上がる。


 まるで鳥の巣のようなパーマのかかった髪形に、松明の明かりが当たっていても分かる金髪。そして、唇には赤い玉のようなものが付いているピアス。


 あいつだ……

 その顔を見た瞬間、息ができなくなる。心臓から背中を通って一気に寒気が走った。


『容疑者、三好剛』


 朝に見たテレビが頭に浮かんでくる。


 あの髪、あの顔……

 息をするのを忘れるくらい、目の前にいるその姿が目に焼き付いて離れない。会うことなんて一生ないと思っていた人が、目の前にいる。しかも何かに脅えるような、何かに恐怖を感じているような顔でこっちに向かって走ってくる。


 どうしよう……どうしよう……

 足が鉛の様に動かない。だけど考えている間もなく、その人はどんどんに近づいてくる。


 このままだと、ここに来ちゃう!何処かに隠れな……

 その時だった、その人と……三好剛と一瞬目が合った。テレビで見た、どこか気だるそうな目が明らかに私の方を見ている。

 その瞬間、覗きこんでいた顔を反射的に壁に陰に隠すと、目を瞑り両手で耳を隠してながら、壁に寄りかかるようにしゃがみ込んだ。


 頭の中がグルグル回る。

 心臓の鼓動が速くなって、いつも以上によく聞こえる。


 なんで? なんであの人がいるの? みんなを殺した、あの人が!

 でもあのままだったら、ここに入ってきちゃう。

 見たくない! 聞きたくない! 会いたくない!

 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! イヤだ! いやだ!


 何度も何度も、心の中で何かの呪文のように繰り返す。ここに近付く足音も、声も、姿も何もかもが嫌で嫌で仕方なかった。


 自分でも何度同じ事を呟いていたのか分からない。目の前にあの人が立っていそうで、怖くて目も開けられない。

 そんな時間をどのくらい過ごしたんだろう。あの距離なら、もうここに来てもおかしくないのに、そんな気配もしないし、それらしい音も聞こえてこない。わたしはそっと両手を耳から離して、ゆっくりと目を開けてみたけれど、聞こえてくるのは松明の音だけだし、目の前には薄暗い空間しかなかった。


 あれ……、来てない? こっちに来なかった?

 何度辺りを見渡しても人の気配はないなんて感じられない。ただ、とにかくあの人に会わなくて済んだと、今の私はそれだけでも十分嬉しかった。


 その安心感を噛み締めながら、私はゆっくりと立ち上がる。少し邪魔は入ったけれど、わたしは自分の目的を果たすために行かなきゃならない。

 

 そう、みんなと会う。


 それだけは絶対に忘れてはいけないと自分に言い聞かせ、もう1度洞窟の外を覗き込んだ。


 さっきと同じように2本の松明が刺さっていて、その奥の方に無数に見えるぼやけた光。さっきと変わらない風景にほっと胸を撫で下ろす。ここでまたあの人が走ってきたら……なんて考えたけど、暫く経ってもそんなことは起きなかった。


 大丈夫かな……

 内心まだ不安でいっぱいだ。でも、さっき自分に言い聞かせたことを思い出すと少しだけ足に力が入るような気がする。少しずつ少しずつ左足を入口の真ん中に向けてめいいっぱい伸ばしていくと、それに合わせるように今度は右足を移動させていく。

 本当にゆっくりだけど、それが今の自分にできる精一杯だった。3分の1、半分、3分の2と次第に体が露わになっていく。そして、


 ここまできたら……。

 こんだけ時間を掛けても、なんにも起きないって事はもう大丈夫なはず。

 意を決して、横にジャンプするように体を預けた。


 わたしの体はついに洞窟の入り口の真ん中に姿を露わしていた。その瞬間わたしの目に映ってきたのは2本の松明。そしてその奥に広がっているさっきと比べ物にならないくらいの無数のぼやけた光と、それに溶け込むような淡いオレンジ色の景色だった。


「綺麗……」


 自然に口からこぼれる。

 奥豊湖も綺麗だったけど、ここの景色もそれに負けないくらい綺麗で……本当にこの世のものじゃないみたいだった。その景色から目を離す事が出来ずに、もっと近くで見たくて仕方なかった。なんの迷いもなく1歩2歩と勝手に足が進んでいく。


 辺りの薄暗さを見る限り、日が沈みかけてるくらいかな。ずっと奥の方には山の岩肌みたいなのが見えて、そこに夕日っぽいオレンジ色が映し出されているみたいだった。それが前の方に見えるぼやけた光に溶け合って、とっても不思議で仕方ない景色。それに少しずつ近付いていく度に、ぼやけていた光もだんだん鮮明に見えてきた。


「綺麗……とってもきれ……」


 ゴツッ、ゴツッ。

 いきなり左の方から聞こえてきた音に、一瞬で我に帰った私は、すぐにそっちへ振り向いていた。

 耳にしていた松明の燃えている音とは違う重低音。敏感になっていたのかもしれないけど、自分でも驚くくらいの反応だったと思う。


 ドン!

 私の視線の先で、そんな大きい音と共に現れたのは結構大きめの岩らしきもの。見た感じだと山? の上から転がり落ちてきたみたいだった。


 あっ、岩か……良かった。

 とりあえず害になるようなものじゃなかったから、ひとまずひと安心って思ったけど、わたしの目に入ったのはその岩だけじゃなかった。その岩のすぐ横にあったのは洞窟のような入り口とその両側に付いている火のついた松明。さっき自分が出てきた所の入り口にまさにそっくりだった。


 そのあまりにも似た光景に、一旦自分が出てきた入口の方を眺める。そこには確かに、山の様な岩の壁に開いた穴とその両側に掛けられた松明。強いて言うなら岩が落ちてきた方には、地面に刺さった松明がないくらいで、それほど瓜二つだった。


 なんか似てる……って事は、もしかしてあそこの中も洞窟みたいになってるのかな? どこかに繋がっている道があって、そこからみんなの所に繋がってたり……


 一瞬そんな淡い希望を感じたけど、冷静に考えてみるとそんなに上手くいくわけがない。それに過度な期待は持たない方がいいってことは身を持って知っていた。


 そんなわけないか……

 小さくため息をすると、もう一度岩が落ちてきた方を眺める。そんな都合よくいくわけないけど、だけど見つけちゃったら中がどうなっているのか気になって仕方がなかった。


 駄目で元々、行く場所が分からないなら行ってみる価値はあるかもしんない。それに考えてたって何も始まらないなら、行ってみよう。

 そう自分に言い聞かせると、私は落ちてきた岩の方にある洞窟に向かって歩き始めた。


 自分でもなんでこんなにポジティブな思考になったのか理由は分からなかった。思考が変わったというよりは、思考を変えるしかなかったが正しいのかもしれない。自分が動かないと何も起こらないし、始まらないし、それが自分の本当の意志なのかどうかさえ分からないままだった。ここにきてそんなに経っていないのに、そうしないといけないってことを一瞬で感じられるのがこの場所だった。


 いつもより、なんか歩く足が軽い気がする。気のせいかもしれないけど、それはそれで気分が良かった。まわりには雑草が生い茂っていて、一面が原っぱの様になってるみたいでそれはそれで眺めもいい。

 ただ、気になったのは自分が歩いている地面には雑草が生えていないってことだった。自分が歩き始めた所から、行こうとしている洞窟まで一直線に、ある程度の幅で雑草とかがなにも生えていなくて土が剥き出しになっている。


 やっぱりこの近くには誰かがいて、頻繁に歩いてるとか?

 雑草が生えてる所と地面の部分の境目っぽい部分がはっきりしているし、その可能性だってなくはない。そしてなにより誰かがいてほしい気持ちが強かった。


 しばらく歩くと、次第に洞窟が近づいてくる。その入口の周りは誰かがいる様子もなくて少しがっかりだった。左の方にはさっき落ちてきたであろう岩だけが、静かに佇んでいる。


 入口に掛けられた松明のおかげで少しは明るいけど、上の方からゆっくり見てみてもやっぱり中の様子までははっきりしなかった。これで行き止まりとかだったら嫌だな……なんて思っていた時だった、洞窟の中の下らへんになにかがあるのが見える。


 ん? なんだろう?

 わたしはそれに目を凝らしながらゆっくり近づいていく。徐々に色もはっきりしてきて、それは茶色と白の2色。それに形は上の方が少し丸みを帯びた感じでその下には紐みたいなのがあって、


 あれは……

 あれは……靴?


 その瞬間、足が動かなくなる。

 目の前の洞窟の中に見えるのは、間違いなく誰かの靴だった。そしてその持ち主として、とっさに脳裏に過ぎったのは、さっき走ってきた三好剛だった。


 あいつだったらどうしよう。でも、靴だけって可能性もあるよね? それにあの靴の位置的に寝ているんじゃ……

 色んな考えが頭の中で交差して、一旦その場で立ち尽くすしかなかった。さっきまで軽かった足が、嘘のように重くなる。


 もし本当にあの人だったらって考えるだけで、怖いし、嫌だ。だけど……だけど……考えてても始まらない!

 わたしはまるで鉛のように重い足に必死に力を入れる。

 少ししてやっと地面から離れた足を、今度は思いっきり前に伸ばすと、それを何回も繰り返していく。

 それを何回繰り返したかわからないけど、ようやく私は洞窟の前まで来ることが出来た。


 入口の前から、洞窟の中をもう1度よく見てみたけど、目の前にあるのはやっぱり靴だった。それも大きさ的に男物なのは確かだったから、緊張感がより一層増える。

 洞窟自体は、真正面には道がなくてすぐ左の方に曲がるような構造になっているみたいだった。そしてそこに靴の持ち主がいる。


 私は一つ息を飲むと、洞窟の中に足を踏み入れた。そして曲がり角の壁の部分に左手を掛けると、ゆっくりとその奥の方を覗きこんだ。


 えっ……?

 そこには確かに人が居た。仰向けになって、倒れているのか寝ているのか分からない人の姿。ただ一つだけハッキリとしていることがあった。その人は、あの三好じゃない。


 少しパーマのかかった髪の毛に、可愛い顔をした……男の子だった。




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