第13話 呼ばれて、誘われて
ふぅ……
私は大きく息を吐くと、額の汗を手で拭う。時々感じる生暖かい風が、心地良く感じる。
もっと遠くへ……
そう思いながら、ひたすら歩いてきた。どれくらい時間が経ったかなんて覚えてもいない
最初は湖に沿うように続いていた道路も、次第に右へ左へと曲がりくねってきて……そんな道路を通るたびに、どんどん奥へどんどん遠くへ向かっているんだと感じる。
人の気配はもちろん、車すら通らない。辺りは独特な静けさが広がっていて、聞こえてくるのは虫の鳴く声と、微かな湖の音だけ。
なんか、静か過ぎて世界にわたししか居ないみたいだな……
そんなことを思いながら、急な右カーブの道路を曲がり切った時だった、私の目の前に現れたのはずっと真っ直ぐに続いている道路。
「うわっ、すごいなぁ」
少し歩くと、いきなり現れた景色を目の前に立ち止まる。左の方には木とか岩とか遮るものが無くて、一面に広がる湖を眺めることができるし、その真上でこっちを見下ろしている月の光が一面に広がる奥豊湖に反射して、波打つたびにそれがゆらゆら揺れてなんだか幻想的な雰囲気だった。
なんか、吸い込まれそう……
そんな雰囲気に吸い込まれそうな感覚のまま、私はもう少し近づこうと一歩、また一歩と湖の方へ歩き出す。そしてガードレールに手を掛けると、少し前のめりになりながらその景色を眺めようとした時だった、
あれ?
私は手を掛けているガードレールに違和感を感じる。ガードレールに手を掛けているというより、そのものを握ってる?
なんでガードレールを握ってるんだろ? 無意識のまま掴んでいたけど、なんか固くて細い線の様な……
その正体を確かめようと、ゆっくりと視線を下へ向けていく。自分の手の中にあるもの、それは何重にも編みこまれているワイヤーのような固い紐だった。
ワイヤー?
わたしはそれに気付くと、一旦手を離し、そのガードレール全体を見渡した。そこにあったのは、編みこまれたワイヤーが3本等間隔で横に並んでいるそんなガードレール。
これ……ガードレール? なのかな……
今まで見てきたガードレールと違って、白い鉄板じゃなくて3本のワイヤーしか付いていないことに、少し驚く。
なんか、弱々しく見えるけど……
そう思いながら、辺りのガードレールを見渡すと、丁度カーブを曲がりきった所……この景色が始まった辺りからガードレールが変わっているのに気付いた。
人とかあんまり来ないから……経費削減とか?
不思議に思いながら、そのガードレールを目で追っていくと、少し先の方で外灯が立っているのが見えた。辺りに何もない分、普通の外灯でもそれなりの存在感を感じる。それに電球の光が点いたり消えたりしていて、自然と視線がその外灯へと向いていた。
あれっ、何だろう……
不規則に点滅している光。ただそれだけなのに、なぜか私には何かの合図のような目印のような……そんな感じがして目が離せなかった。
なにか……あるの?
自分でもわからない。だけど足が勝手に動き出す。
誰か……呼んでるの?
何も聞こえない。だけど耳の辺りには、何かよく分からないものに呼ばれるようなそんな感覚がある。
気が付くと私は外灯を目指して歩き進んでいた。
一歩、また一歩。その不思議な感覚に包まれながら、少しずつゆっくりとその外灯へと近づいていく。
何かに呼ばれるような感覚……
その瞬間、ふと頭の中にパパとママと真言とおばあちゃん、みんなの顔が浮かんでくる。
みんなが……呼んでいるの?
迎えに来てくれたの?
みんなの姿は見えない。
みんなの声も聞こえない。
だけど、なぜかわたしはその何かがみんなの声に思えて仕方なかった。
みんな……まってて……
今行くから……
みんなが待っている、呼んでいる。それだけで私は嬉しくて仕方なくて、自然と早歩きになってしまう。
みんなどこに居るの? どこに行けばいいの?
辺りをくまなく見渡しながら、私は居るはずのないみんなに何度も何度も問いかけえう。待ってくれているって喜びと、それを早く見つけなきゃって思いが入り混じって、とにかく必死だった。
歩きながら視線を湖のほうへ向けると、目の前の水面をゆっくりと眺める。そこにはさっきと変わらず、静かに波打つ湖が一面に広がっていた。
なんだろう……
湖の方を見た瞬間、不思議な感覚に襲われる。なんだか、湖全体に見られているような、そんな感覚。
だけど、怖いとか気持ち悪いとかそんな感じはしなかった。むしろ暖かくて、見守られてるような……
そんな不思議な感覚を味わっていた時だった。ふと視界の端のほうに点滅する光のようなものを感じた。私はその光のほうへ視線を向けると、そこにはさっきから気になっていた外灯が相変わらず不規則な点滅をしながら立っている。
いつの間にか、着いちゃったか……
わたしは外灯の真下に辿り着くと、電球の部分を見上げる。明るい光がわたしの顔を照らし始めたけど、すぐに視線をもう湖の方に戻した。
たぶんこっちだと思うけど……どうやって行けばいいんだろう? 飛び降りる?
わたしは外灯の真横の辺りにまで来ると、足元の湖を見るために前かがみになった。そして自分の立っている道路のほぼ真下の部分を眺める。
横にある外灯が、足元から続いているコンクリートの壁を照らしている。
下り坂……というには少しきつい傾斜。ある程度の間隔で横に続いている溝。そんな感じでずっと下の方へと続いているのが見えた。
そのままコンクリートの壁を目で追っていくと、途中からは外灯の光もさすがに届かなくて、月の光を便りに目を凝らすしかなかった。体もどんどん前のめりになっていって、目を細めながらじっとその先を眺めていると、ある部分からコンクリートの壁の色が変わっている。
ねずみ色のような白っぽい色から、少し黒く。その部分が湖じゃないって事だけは一瞬で分かった。柔らかい水の動きじゃない、硬そうな地面が、目で見える限り足元に広がってる。
下が地面だって全然分かんなかった。もし勢いで飛んでたら……
頭の中で、勢いよく飛び降りるイメージが浮かぶ。硬い地面に両足が着くと同時に下半身に衝撃と激痛が走る。足首は曲がり、そのまま地面に膝をぶつけ、そのまま動けず何時間も激痛に悶え続ける。想像した瞬間、あまりにも痛そうな光景に一瞬で寒気が走った。
危ない危ない。想像しただけで気持ち悪くなっちゃった……
私はひとつ大きく息を吐くと、改めて真下の部分を覗きこんだ。
結構急だけど、滑る感じで行けば降りれなくはないかな。所々にある溝に足を掛ければ、滑るスピードも落とせそうだし……、よしっ。
一旦体を起こして、辺りの道路を見渡す。下に降りるのを万が一誰かに見られていたら嫌だし、誰にも邪魔をされたくなかった。今まで歩いてきた道にも、この先の方にも、人はもちろん車の気配すらない。誰も通らない道路に、それを照らす外灯。それに並んでいるガードレールだけが続いているだけ。
誰もいないのを確認した私は、改めて湖の方を向くと……ガードレールの柱に右手を掛ける。目の前に広がる湖はやっぱりとても綺麗で、心が奪われそうだった。自分でもこの場所を見つけたこと、この場所からみんなの所へ行けるなんて、結構運がいいのかな? なんて思っていた時だった。私はある事に気が付く。
あれ? なんで……目の前にワイヤーがないの?
それは偶然なのか……その光景に息を飲む。視線を横に向けると、そこには確かにワイヤーが張られている。ただ、なぜか自分の目の前の一区画だけ……見事にそれが無かった。
下を見ることだけに集中して、目の前のそんなおかしな光景に気が付かない。そんな自分はおかしいと思う。
ただ、今思えば朝起きてからここへ来るまでに、色んなことがあった。
テレビで偶然事故の映像を見てしまったこと……
必死に作ってきた姿が簡単に壊れてしまったこと……
たくさんの思い出がある奥豊湖に来たこと……
何かに呼ばれている気がして、ここで立ち止まったこと……
そしてワイヤーのないガードレールに、その先に広がる地面……
その瞬間、頭の片隅にあったものが一気に溢れ出した。
「みんなが呼んでる……やっぱり呼んでるんだ」
そう呟きながら、わたしは湖を眺める。目の前の湖はさっきよりもとても綺麗に幻想的に見えた。
ここなんだね……
みんな……ここなんだね……
それが、みんなの合図。私はとても泣きたくなる。悲しくなる。嬉しくなる。
もう自分の感情すらよく分からなくなっていた。
だけど、早くみんなの所に行かなくちゃ……
それだけははっきりとしていて、体は自然と動いていく。
湖に背中を向けるようにその場にしゃがみこみ、道路の端っこに指をかけると、そのまま梯子を降りるように右足を下ろしていく。つま先に感じるコンクリートの感触。それを確認すると、今度は両手にありったけの力を込めながら左足を下ろす。
すぐに左足にも似たような感覚を感じた私は、その場でつま先立ちのまま大きく息を吐いた。そして道路の端っこを掴んでいる左手を離すと左足を湖のほうへ向けて、まるでサーフィンでもする様な格好になったと同時に、道路を掴んでいた右手を離す。
そこからはあっという間だった。支えていたものがなくなり、わたしの体はコンクリートの斜面を下っていく。そのスピードはわたしが想像していたよりずっと速くて、必死に足の裏に力を入れて遅くしようとした。
それで少しでも遅くなったかのかどうか、感じなかったし分からなかった。地面がどんどん近づいていて、気が付けば左足に硬い何かがぶつかった瞬間、勢いよく前のめりになりながら地面の上を進んでいた。
倒れないよう無意識に体が動く。地面の感覚が足の裏に響いて少し痛い。ただ、その衝撃に耐えていると徐々に勢いも治まってきて、ようやく顔を上げることができた。
目の前に広がってる奥豊湖。それに誘われるかのように、足は勝手に動き続ける。
「みんな……来たよ……」
わたしの声に答える様に、打ち寄せる波の音がより一層大きくなる。
「待ってて、今からみんなの所に行くね……」
わたしの声に答える様に、湖に映し出される光がより一層強くなる。
わたしは1人じゃない……みんながいるんだ……
わたしは笑っていた。笑いながら奥豊湖へ向かって歩き続ける。
水の染みた砂に、靴が少しずつ埋まっていく。そして、足に感じる少し冷たい感覚。それは足の先から、足全体へ、そして足首へと広がっていく。冷たかった感覚も不思議と段々なくなってきて、気付けば腰あたりまで湖に浸かっていた。
それでも進むのはやめない。やめたくない。湖の先でみんなが待っている。早く行かなきゃ。みんなに会いたい……。
それだけで頭の中でいっぱいだった。
足の裏に感じていた、砂の感覚がなくなり、体が浮き上がる。
とっさに両手で湖を掻きながら、足をバタつかせゆっくりと湖の真ん中へ向かって進み続けた。
みんなの所へ……みんなの所へ……
どのくらい進んだのか、自分がどこに居るのかさえ全然分からない。
その時だった、
「ここだよ」
その声に、私は一旦泳ぐのをやめる。誰の声かは分からない。だけど、なんだか優しいその声に、私は何だか満たされていた。
顔を上げると、まんまるに輝く大きな月。それはとても綺麗で……優しくて……
その月を見つめていると体が徐々に沈んでいく。湖の中へ沈んでいく。
肩が浸かり首が浸かり、そして顎に感じる湖の感触。それに全身を包まれながら、わたしは目を閉じると沈んでいく動きに身を委ねる。
怖いとかそんなことは一切感じない。それよりもやっとみんなに会える安心感で一杯だった。
そして、わたしの体の全てが湖の中へゆっくりと溶け込んでいく。
その時だった、誰かがわたしの足首を掴んで湖の奥へ奥へと引っ張るような、そんな感覚を覚えた。普通だったら怖いし、びっくりしてあせると思う。でも、今のわたしにとってはどうでもよかった。
誰かが連れて行ってくれてるんだ……
誰でもいいから……ちゃんとみんなの所に連れてって……
そんな事を考えていると、段々と頭がボーッとしてきた。水の中で冷たいはずなのに、体がなんでか暖かくなってくる。
これがとても心地良くて、気持ち良い。
あぁ……やっとみん…なに……あ……え…
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