第7話 ようこそ
……あれ。なんか真っ暗だ。それに頭の後ろからから背中まで、なにかゴツゴツしたものが当たって少し痛い。
その寝心地の悪さに、俺はゆっくりと目を開ける。
ここどこだ? おれ、たしか穴に落ちて……。
少しぼやけた後、少し薄暗い中に見えたのは岩の壁。視線を横に移してもそれは続いている。
洞窟……っぽいな。まぁあの穴に落ちたんだから、その奥ってことなのかぁ。
「よっこいしょ」
不規則に隆起している地面に両手をつけると、俺はゆっくりと上半身を起こしていく。
周りを見渡すと、目の前には更に奥へ続くように空洞が続いていて、後ろの方は行き止まり。俺が座っている場所の幅もそれなりに広く感じる。
そういえば俺、穴に落ちたんだよな?
徐に上を見上げて見ると、そこには周囲と変わらない岩があるだけだった。
「まじかよ……落ちてきた穴、どこにもないじゃん」
にわかには信じられない光景に、思わずはそう呟くと……自分の体をゆっくりと確認する。
来たはずの穴がないってことは……俺死んだ? もしかしてあの世なんじゃ。
ゆっくりと右腕のインナーをまくり、二の腕を見ても傷ひとつない。同じように左腕も見ても、ジーパンを無理やりたくし上げてふくらはぎを見ても、かすり傷すらなかった。
「傷ひとつない……あんだけ派手に転げ落ちたはずなのに……」
この瞬間、俺は少なからず嫌な予感を感じた。もっとも最悪な結果の死という予感。
これで心臓が動いてなかったら……
ゆっくりと右手を自分の左胸へと移動させ、そして恐る恐る手を当てる。
ドクン ドクン
右手に確かに感じる鼓動。それを認識できた瞬間、安心したのは言うまでもない。
とりあえず、心臓は止まっていない。ということは、大丈夫。まだ生きている。
訳も分からない場所で、訳も分からない状態だけど、心臓だけは動いている。それだけで、今の自分を繋ぎ止めるのには十分だった。
とはいえ、まずはここがどこなのかハッキリさせないとな?
俺は胸をなでおろすように、1つ大きく息を吐くと……ゆっくりと立ち上がった。
「意外と高いな」
この洞窟のような場所の上を眺めながら、
「よっと」
その場でジャンプしてみたけど上の部分には届かない。
3m以上あるなぁ。
天井の高さや改めて周りを見る限り、比較的余裕のある空間だって分かる。自然に出来たものなのか、人工的なものかは分からないけど、体を休ませたりするには十分な広さだった。
「なるほど……にしても薄暗いな。何か明かりでも……あっ!」
アレ? スマホどこ行った? 確か落ちる時……持ってたよな?
その途端、俺は薄暗い中、自分の寝ていた場所やその周辺まで目を凝らして探した。だけどスマートフォンは見つからない。
まじかよ……
ズボンのポケットを触ってみても、地面に四つん這いになって手探りで探しても、スマートフォンは何処にも見当たらなかった。
「落ちる時、勢いでスマホ投げちゃったかもなぁ。いきなり過ぎて覚えてねぇよ」
ゆっくり立ち上がり、頭を掻きながらもう1度辺りを見渡す。スマートフォンはもちろん、特に目立った所も見当らない。そして、当然自分が落ちて来たであろう穴のようなものもなかった。
「となると、行けるのはひとつだけか」
おれは1箇所だけ、洞窟の続いている方向を見つめる。
「ここに居たって、どうにもなんないしなぁ」
俺はそう呟くと、ゆっくりと洞窟の中を歩き始める。
少し歩いてみても、薄暗いのは相変わらず。だけど徐々に天井の高さがさっきより低くはなってきている気がした。
まぁそれでも圧迫感とか感じないし、十分な高さには変わりない。そんな中、ふと目を凝らして奥の方を見つめると、少し先の方ででこの洞窟が左へと曲がっているのが見えた。その時だった。
「やっ、やめろ!」
突然聞こえた男の叫び声に、一瞬立ち止まってしまう。
男の声? 俺以外にもここに誰か居るのか? それにしてやめろって……なにかに襲われてる?
すぐに小走りでその声の方へ向かったけど、左へと曲がる所で一旦立ち止まる。自分でもよく分からないけど、妙に頭の中がすっきりしていて、たまに感じる冴えているって感覚だった。
もしかしたら曲がった所に居るかもしれないし、誰かに襲われてるなら当然そいつも。もしも見つかったら来た道に逃げるしかないけどその先は行き止まりだ。そうなったら最後、おれもやられる。
それだけは何とか回避したかった俺は、曲がり角から少しずつゆっくりと顔を覗かせてその様子を伺った。
幸い、その先には誰も居なかったし、だれの声も聞こえることもなかった。その代わりに見えたのは、オレンジ色のぼやけた光。それが辺りを照らしていて、明るくなっている。
右の方は、出口?
その明かりの様なものは、俗に言う松明の様なモノだった。実物は見たことがないにせよ、ゲームに出てきそうな風体なら俺にでも分かる。
誰もいない。ということは声の主は外か。
おれは誰もいないのを確認すると、再び洞窟を歩き始める。曲がった先は少し真っすぐな道が続いていて、すぐに右に曲がっていた。その曲がり角の先には、こことは違う風景が広がっている。
遠目から木の葉っぱの様なモノがチラチラと目に入り、近付くたびにぼやけた景色はだんだん鮮明になっていく。その穴はやっぱり外に繋がっているようだった。
あの先が出口……というより、この洞窟の入り口か。
そんな事を思いながら、出口へ向かって歩いていると、
「な、なんだよお前! ふざけるな! 何がしてぇんだよ!」
再び、先程の声と同じ男の声が聞こえた。
出口の近くにいるのか?
俺は出口に近づくと、壁に隠れるようにそっと外の様子を窺う。外はまるで日が落ちたばかりのような、そんな薄暗さ。そんな中、目の前に映ったのは……
男と……着物を着た女?
顔を覗かせた先には、木々が立ち並ぶ森の様な場所が広がっていた。そして横にはここと似たような洞窟の入口と思われる洞穴。そして、その入口の前で尻もちを付きながら後ずさりする半袖短パン姿の男と……黒っぽい着物のような物を着ている髪の長い女の姿があった。
ゆっくりと男に近づいている女の右手には、鎌のようなものが握られている。
おいおい、この状況ってまさか。
後ずさりする男に、それを追う女。そして手には鎌。あきらかに嫌な予感しかしなかった。
「やめろ……、やめてくれ! 俺が何したっていうんだ!」
そう叫ぶ男に、女は無言で近づいていく。
どうする? 助けるべきか? だけどどうやって?
そんな事を考えている間にも、男はゆっくりと後ろへと進んでいく。すると洞窟の入り口付近の壁に立て掛けられた松明の明かりが、徐々にその男の顔を照らし出していく。
「わけわかんねえよ! 気付いたらこんな所にいて、しかもてめぇみてぇな奴に追いかけ回されて!」
叫ぶ男の顔が、松明の明かりで徐々にはっきりと見えてくる。そして、その顔が全て見える。
「あっ……」
その顔を見た瞬間、おれは驚きの声を飲み込むと、口を少し開けたまま……その顔をただただ見ていた。
あの顔は……昨日ニュースで見た……。
その男の顔は昨日の朝にニュースで見た、道路で当て逃げした犯人と同じだった。トラックで対向車線にはみ出して乗用車にぶつかった後そのまま逃げて、今も捕まっていない犯人その人。
なんで……捕まってない犯人がこんな所に? しかもなんで女に追われている?
分からない事だらけで、頭の中が混乱する。
「はっ! はぁ? なんだよ左足って!」
突然叫び出した男の声に、一瞬驚く。
左足? 何のことだ?
「おっ、お前じゃない? 当たり前だろ! 俺はお前のこと知らねえよ!」
さらに男は叫ぶ。その視線を見る限り、女と何か話しているみたいだけどここから聞こえるのは男の叫ぶ声だけだった。
女も何か言っている?
「人違いだろ! 分かったらさっさとどっか行け!」
続け様に捲し立てる男を、女はただただ見下ろしている。男のほうを見ても、動こうとする気配がない。
恐怖と不安が溢れるような表情で女の顔を見ているだけだった。そして男の体は小刻みに震えている。
体が動かないのか?
さっきと明らかに男の表情が変わってた。ここからでは、何がどうなっているのか詳しく分からない。声だって男が叫ぶように大声を出してるから聞こえるだけで、ほかのことは全然聞こえない。
やばいな。なんとか気を逸らせる事は出来ないか?
そんなことを考えていた時、それは一瞬だった。
今までじっと男の方をみていた女が、持っていた鎌を一気に振り上げて……男の足に向かって一直線に振り下ろす。
その瞬間、俺は呆然とするしかなかった。男もそうだったのだろう、少し間が空いた所で切られた部分を急いで両手で押さえる。
「いっ、いてぇ! お、お前ふざけんな!」
叫ぶ男を、女は先程と同じ様に無言で見下ろしている。
「くそっ、くそっ! 血がっ……血がっ! はっ!? おまえなに言って……」
男の足を押さえている指と指の間から、黒い液体が溢れ出てくるのがうっすらと見える。その量はここからでも見えるくらいで、鎌で切られた傷口からは想像出来ないものだった。そしてみるみるうちに男の両手ははその液体で黒く汚れていく。
「うあぁ! 熱い、熱い! 足が!」
痛みに耐え切れないのか、今までとは違う苦しみにもがくような声を上げながら、男は地面をのたうち回る。その様子を、女は黙って見下ろしていた。
そしてそんな光景を前に……俺は洞窟に体を隠しながら、それをただただ眺めていることしか出来なかった。
目の前で起こっていることが信じられなかった。というより、信じたくなかった。針を付くような風が頬を切って、その風に女の長い髪の毛がなびく。髪に覆われていた部分があらわになり、口元が見える。その口元は……笑っていた。
笑っている……?
女は血を流し痛みに、苦痛に転げ回っている男を笑みを浮かべながら見下ろしている。そして女は笑いながら、ゆっくりと男の元へとさらに近づいていく。
なにをするつもりだ? いったいなにを……
男はそれに気付いていない。気付けないって言った方が正しいかも知れない。足からの出血と痛み。そして有り得ない現状のことで頭の中は一杯なはずだ。周りの様子を見る余裕なんてあるはずない。
その光景はまさに異様だった。見ているだけの自分ですら、呼吸は荒く、足は震えている。
ある程度近づいた所で女は止まって、そして先程と同じように男をじっと見下ろす。もう風は止んでいて、女の顔は髪の毛で再び見えなくなっていた。
その時、あれ程転げ回っていた男の動きが止まったかと思うと、その顔はじっと女の方を見上げている。目は見開き、なにか驚いているようなそんな表情。
男の行動、そして表情に違和感を感じる。だけど女が何かをしたことだけはなんとなく分かった。
今まであんなに動いていたのに、なんで止まった? しかもなんだあの顔? なにか言われた……? それとも……
その瞬間だった、女は再び鎌を振り上げると、迷うことなく横へと切り払う。思考を巡らせていたおれの頭の中は、その一瞬で真っ白になった。
男の喉元から噴水のように吹き上がる血飛沫。
まぶたを見開き、ただただ女の方を見る男。
その血飛沫を浴びる女。
それはあまりにも唐突で、あまりにも残酷だった。
血……血が……
おれはその光景をただただ見ていることしかできなかった。目を逸らすことも閉じることもできずに、それぐらいの衝撃だった。
喉元は黒く染まり、そこから勢い良く噴き出す血液を目の前にして、自分の体はどんどんおかしくなっていく。
一瞬にして背筋に寒気を感じ、それと同時に胃から込み上げる吐き気が襲う。目の前の視界がぼやけ始めて、ぐらぐらと揺らぐ。
自分がちゃんと立っているのかどうか、それすらあやふやになる。
目の前のぼやけた光景が徐々に薄暗くなってくる。外側から光が失われ、真っ暗な闇が迫ってくる。
自分が今どんな状態なのかすら全然分からない。
目の前を完全に闇が覆いかけたその時だった、どこかで聞いたことのあるような、そんな声が耳の中へと入ってきた。
「
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